日本景色史・序
左三角
前に 上三角目次へ 三角印次へ

 

3 景色の誕生

 

 景色が世界でいつ誕生したのかが西欧では議論になりますが、 そういう問いかけは日本人には馴染みにくいのです。 西欧では一般に15世紀、 16世紀に景色が誕生したのではないかと言われていますから、 こういう議論が生まれるのです。 もちろん、 古代ギリシアにもあったのだといった異論もあるのですが、 どんな条件で景色が誕生したと見るかによって時期は変わってきます。

 オギュスタン・ベルクは『風土学序説』で五つの条件を挙げて、 景色が発見されたのは4世紀の中国で、 隠遁地の山水の景色が最初だとしています。

 その五つの条件とは、

 (1)景色が考察の対象となっているか
 (2)景色を呼ぶ言葉がある(景色という言葉がある)か
 (3)景色が画家によって描かれているか
 (4)自然の美しさを再現する庭園がつくられているか
 (5)景色が口承文学、 筆記文学で描かれているか
です。

 では日本ではいつ景色が誕生したのかですが、 これについて論じている論文はないのですが、 身近な資料で考えてみました。

 (1)考察の対象になった
 既に天智天皇(在位626〜671年)のころに「春と秋のいずれまされる」という議論がありました。

 (2)景色を呼ぶ言葉がある
 日本で文字が生まれたのは6世紀頃ですが、 「風雲の気色、 常に違うことあり」(続日本紀、 721年)といったように使われています。 それ以前にもこういった見方はあったと思います。

 (3)景色が画家によって描かれているか
 810年代の清涼殿の山水図壁画(唐絵)にすでに描かれています。 10世紀ごろ盛んに描かれたやまと絵にも月次絵、 四季絵、 名所絵といったかたちで描かれていたと言われていますが、 残っておりません。 それ以前は分かりません。

 (4)自然の美しさを再現する庭園がつくられているか
 626年ごろに嶋宮が「嶋大臣(蘇我馬子)」によって作られています。

 (5)景色が口承文学、 筆記文学で描かれているか
 景色を読んだ歌としては口承文学である古事記にすでに神武天皇の時代のものとして「木の葉乱(さや)ぎぬ 風ふかむとす」(イスケヨリヒメ)という歌があったと書かれています。 ヤマトタケルノミコトのものとされている「やまとは 国のまほろば たたなづく青垣 山隠れる 大和しうるわし」も景色を捉えています。 これがいつの時代かは特定出来ませんが、 6世紀頃には景色が日本文学に登場していたことが分かります。

左三角前に 上三角目次へ 三角印次へ


このページへのご意見はJUDI

(C) by 都市環境デザイン会議関西ブロック JUDI Kansai

JUDIホームページへ
学芸出版社ホームページへ