道頓堀遊歩道計画のコラボレーション
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4-1 太左衛門橋のデザイン
そのコンセプトについて

中村伸之(ランドデザイン)

 

 これから太左衛門橋のデザインについてお話しします。 今まで見てきた遊歩道は水辺の景観を生かそうと、 すっきりした軽やかな感じになっています。 ただ、 道頓堀はそれではすまない場所柄です。 やはり「におい」を持った場所ですので、 橋の方でそれを表現するのがいいだろうと話し合いました。 遊歩道はさらっと通して、 橋の方で「場所の力」を表そうということになりました。

 この橋のデザインをめぐって、 まずは場所の力、 そしてコラボレーションの力についてお話しします。


場所の力

 まず、 この橋が架かっている道頓堀、 およびミナミ周辺がどういう場所かということについてです。 角川地名辞典で見てみると、 ミナミの本質的なものは「芸・食・色の3道」と書いてありました。 つまり歌舞伎や演芸などの芸能と、 食べること、 色というのは色街のことで、 この3つの要素がミナミおよび道頓堀の本質ということになります。 それが歴史的にずっと続いているわけですね。

 この場所自体はもともと何もなかった場所ですが、 そこに芝居小屋ができ、 色街が出来上がっていくという風に、 欲望を出発点として人が集まり、 街が出来上がっていきました。 「まず欲望ありき」という場所だったのです。 現在もその匂いは濃厚でして、 それに人々が引きつけられてやってきて、 にぎわいを形成していると思います。

 このような匂いをデザインにストレートに生かすわけではありませんが、 やはり何らかの形で反映しないわけにはいかないだろうと考えました。

 私自身の道頓堀の思い出を振り返ると、 約30年前、 今のキリンプラザがまだキリン会館というレストランだった頃、 そこでしゃぶしゃぶを食べたことがあります。 この前道頓堀に来たとき、 突然それを思い出しました。 まさに3つの要素のうちの「食」が街の記憶の原点になっていたのです。 それを思い出した途端に、 街が自分の方へ「戻ってくる」という感覚を体験をいたしました。

 それを皮切りに、 「ああそう言えばこの街であんな映画を見た」という風にどんどんと連鎖的に思い出がよみがえりました。 そんな鮮明な思い出を与えてくれるのが、 この道頓堀の持つ力じゃないかという気がします。


道頓堀の持つ場所イメージ

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道頓堀芝居側(出典「摂津名所図会」より)
 これは太左衛門橋を描いた江戸時代の名所図絵です。 橋の後ろには角座が見えます。

 太左衛門橋という名前の由来は、 角座を建てて歌舞伎の興行を行った、 江戸時代のプロデューサー・大坂太左衛門という人がお金を出して作った橋だからです。 芸の街である道頓堀にふさわしい橋のあり方で、 歌舞伎に関係の深い橋です。

 最初この橋のキャッチフレーズとして「よみがえれ!!大坂太左衛門」というのをあげて、 太左衛門が橋を渡って戻ってきて大阪にもう一度芸能の光を灯すというイメージを考えておりました。 やはり、 橋のデザインにはそういう「芸」のイメージを生かしたいと思いました。

 この絵で川沿いに並んでいるのは水茶屋(芝居茶屋)で、 芝居の前後にこうした茶屋で食事をするのでした。 茶屋を隔てて後ろ側に芝居小屋がありました。 また、 舟で茶屋に乗り付けるための階段もいくつか作られていて、 水辺空間をフルに生かした楽しい街でありました。 芝居を見て、 ご飯を食べお酒を飲む、 まさに遊びのための街が道頓堀だったのです。

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顔見世(出典「摂津名所図会」より)
 これも道頓堀筋を描いた名所図絵です。 芝居小屋には提灯がにぎやかに飾ってあります。 今の道頓堀はネオンで有名ですが、 その原点がここにあります。 芝居小屋の提灯だけでなく、 大きな張りぼて人形もこの時代からあったそうで、 グリコの大看板やかに道楽の動く看板の原点がすでに江戸時代にはあったのだと思うと、 まさに都市の遺伝子だなと感心するわけです。

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道頓堀法善寺(出典「滑稽浪花名所」より)
 左が法善寺横丁、 右が道頓堀のにぎわいを描いた図絵です。 大きなノボリには役者の名前が書いてあります。 このような広告物・仮設物でにぎわいを演出するのは、 この街の特徴かなと思います。

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道頓堀角座付近(出典「古写真なにわ風景」より)
 時代を下って昭和初期の道頓堀筋の芝居小屋が並ぶ風景です。 やはり、 広告が入った旗が張りめぐらされており、 江戸時代から連綿と続く都市のイメージがあります。

 これらがネオンなどの照明に置き換わっても、 そこに流れている匂い、 都市イメージは共通しています。


太左衛門橋の形の変遷

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道頓堀角芝居(「浪花百景」より)
 幕末に近い頃の太左衛門橋です。 版画集「浪花百景」に載っていました。 木で出来た橋で、 反り返った形をしていました。 また橋の両側が水茶屋の隙間に入っていき、 橋が街と一体化していたことが分かります。 そこを抜けると向かいに芝居小屋があるという構成になっていました。

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近代の太左衛門橋(出典「道頓堀商店会のWebサイトより」)
 時代不詳ですが、 おそらく昭和に入ってからでしょう。 これを見ても橋の両側の建物と密接な関係になっていることが分かります。

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現代の太左衛門橋
 今、 遊歩道の工事がされている太左衛門橋の姿です。 今の橋も昔の木橋のイメージを受け継いだような欄干の作りになっています。 岸辺の建物は水茶屋からビルに変わりましたが、 建物の機能としては相変わらず飲食の店でして、 そこから川を眺める形になっています。


晴れがましさを演出するデザイン

 これからは具体的な橋デザインに結びつく、 いくつかのネタをお見せしていきます。 私はまず「晴れがましさ」を演出したいと思い、 そのイメージを探しました。

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舟乗り込み(出典「舟乗込図」芳雪より)
 これは江戸時代の歌舞伎の舟乗り込みの絵です。 役者さんが舟に乗って顔見せをするときのシーンで、 向こうに見える橋が太左衛門橋かなと思います。 堀沿いに並んだ水茶屋の軒下には提灯が吊され、 そこから舟乗り込みを見物していたり、 船上の燭台にろうそくが灯されています。 電気のなかった時代にろうそくの明かりだけで、 夢のような夜景の演出が出来たことに驚かされます。 こうした雰囲気を橋のデザインに生かせないかと考えました。

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天神祭り夕景(出典「浪花百景」より)
 これは道頓堀ではなく大川で行われる天神祭りの様子ですが、 こちらも水辺の建物が提灯で飾られていたり、 屋形船の軒下に提灯が吊してあったりと灯りの風景がデザインされています。

 

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新しい太左衛門橋のイメージ図
 
 以上のようなイメージを意識しつつ、 こんな橋の絵を描いてみました。 屋形船や水茶屋のイメージを橋に持たそうと思い、 橋に屋根をかけて提灯を吊してみました。

 

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新しい太左衛門橋のイメージ図
 
 細かい話をしますと、 今の太左衛門橋の幅は4mですので、 その両側に橋を増設して広い橋にしてあります。 川に下りる階段も作り、 回遊性を持たせることが当初からの条件にありました。 それを合成写真で入れ込むとこんな感じになります。 水茶屋の風景を90度回転させて持ってきたということです。

 橋に屋根をかけたことで見通しが悪くなるとの指摘もありましたが、 考えようによっては囲むことでより劇場性が高まるのではないでしょうか。 コの字型の空間ができて、 三方から堀を見るような桟敷席ができるのではないかと考えました。


コラボレーションによるアイデア

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浪花江南雪景色(出典「江戸時代図誌3」より)
 これは上方歌舞伎の役者絵で、 太鼓橋の上で勢揃いしている絵です。 この橋は太左衛門橋だと私は思うのですが、 橋が役者を紹介する舞台にもなっています。 そういうところから、 堤さんの太鼓橋のプランが出てきました。

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太鼓橋プラン(平面図)
 もともとある橋はフラットな橋ですが、 その両側に太鼓橋を付け加えるプランです。 当然落差が出てくるので、 それを階段で解消する面白いプランです。

 

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コラボレーションによる橋のイメージ
 
 この太鼓橋案と屋根案を合体させる方針が出てきたわけで、 無茶なこと言うなとも思いましたが、 それがコラボレーションの面白いところでしょう。 太鼓橋の反りに合わせて、 屋根が緩やかな曲線になりました。 意外なアイデアがぶつかってきて、 化学反応が起き新しいものができるという体験をしました。

 さて、 これを実際どうするかという段階になると、 江川先生の登場です。 私はイメージが出来上がったところで「ああ面白いな」と終わったのですが、 実際どうするかになるとお手上げです。 ここから江川先生の苦難の日々が始まるわけです。

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