宗右衛門町 まちづくりのはじめにあたって
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昔日の栄光、 変わりゆく宗右衛門町

宗右衛門町商店会会長 岡本敏嗣(株式会社福壽堂秀信)

 

 今日はお話しをする機会を作っていただいてありがとうございます。

 宗右衛門町の歴史についてですが、 実は私自身若いころ宗右衛門町で遊んだという世代でもございませんので、 そんなに詳しくは知らないのです。 ですから宗右衛門町商店会の入会案内書に書いてあることや、 私の父から聞いた断片的なことを申し上げます。

 私の父は昭和23年にこの地で和菓子屋を開業いたしました。 私の代まで商売を続けてこられたのも、 この宗右衛門町に育てられたことが大きいと思います。 例えば、 私の店ではちょっと高級な和菓子を作っているのですが、 近隣の高級料亭から注文があって生菓子を持っていくといろんな意見をちょうだいするんです。 張り切ってデコラティブなものを持っていくと「これはもうひとつや」と意見されたり、 材料を吟味したシンプルなものだと誉められたりする。 そんなことが積み重なって、 現在の上菓子屋になることができたと思っています。

 また、 芝居や日本舞踊、 文楽などの上演があるごとに難しい注文をいただき、 その時々にちなんだお菓子を作ることもありました。 そういう文化的な背景がないと和菓子屋はできないのです。 私の店が宗右衛門町に育てられたというのはそういうことです。

 ですから大阪の中では宗右衛門町が一番高級な街であり、 一番高い街であったと聞いています。 私の子どもの頃の記憶でも、 夏にはかき船が浮かんでいました。 ただ私が宗右衛門町に住んでいたのは3歳までで、 いかんせん3歳では宗右衛門町でお金を出して遊ぶわけには参りませんので、 それ以上詳しいことが分からないのが残念です。 ただ、 父の断片的な話だけからも、 宗右衛門町は大阪のみなさんが接待などで高級料亭、 高級クラブに訪れる高級な街なのだということが強く印象にありました。

 ところが最近は横山さんのお話にもありましたように、 街の様子が大きく変わっています。 特に目に余るのは、 風俗の無料案内所の激増です。 最初はおとなしく1階は普通の店、 2階で案内所という形だったのですが、 今はもう堂々と巨大な看板を出し、 いかに目立つかを競い合っている有様です。 旅行者の方が大阪に来られても、 道頓堀の北に渡ったら危ないと聞かされるそうで、 地元の人間にとっては情けない話です。

 そういう中で我々は7年前からまちを活性化させようと活動を始めました。 今はちょっとペンディングになっていますが、 昨年末から南署のご協力もいただきながら、 まずは街の浄化から始めようという動きがありました。 置き看板の撤去を考えたのですが、 その後のまちづくりを考えないと無意味だという意見があり、 いろんな意味で難しいことが分かりました。 では我々には一体何ができるのか、 まちづくりはどうしたらいいのか。 そんなことを話し合っています。

 特に危機感を覚えるのは、 遊歩道が出来るのに合わせ、 宗右衛門町自身もハード、 ソフトともに一新していかなければスラム化してしまうのではないかということです。 いい店が消えていき、 その後には風俗店が出店という現状では、 我々だけの知恵では限界があります。 広く専門家にご意見をいただき、 どういうところにきっかけを求めればいいのかアドバイスいただければ嬉しい限りです。

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