宗右衛門町 まちづくりのはじめにあたって
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宗右衛門町は風俗店と共存する町

宗右衛門町商店会元会長 江崎政雄(株式会社食道園)

 

 私らが若い頃、 道頓堀より北の島之内界隈は旦那衆が通う色っぽい雰囲気の街でした。 当時私は川より南で焼き肉屋をやっていまして(今も焼き肉屋ですが)、 川の北側へ来ることはめったになく、 私も昔の宗右衛門町のことを知っているとは言えません。

 万博の頃、 千日前に万博事業のひとつとして高速道路が出来ました。 それで私の店は立ち退きになって宗右衛門町に移ってきたのですが、 それが昭和43年のことです。 その当時の宗右衛門町は高級キャバレーがあり、 メトロという巨大なダンスホールがありました。 その頃流行ったのは、 大型の洋酒喫茶です。 これは大きなホールにボックス席を配したダンスも踊れるような店で、 大きな店がいくつもありました。 ハワイチェーンというのがあって、 中に入ると大音響の中、 女の子がパンツが見えそうな恰好でお客さんにサービスするという店が大流行でした。

 もちろん料亭も沢山ありました。 どちらかというと色気を売り物にした店が多くなって、 今の風俗店もその流れに近いんだろうと思いますが、 徐々にそうした店に街が浸食されていったという感じです。

 この町の変化を40年近く見てきたわけですが、 風俗店が多くなるにつれ、 比較的大きなレストランからも客が遠のき、 固定したお客しか来ないという街になってしまいました。 昔は家族連れもけっこう来る街だったんです。 買い物帰り、 会社帰りのグループ連れ、 接待で訪れる客がいなくなりました。 特に女性客がいなくなり、 男性客ばかりになってきたように感じます。 これも街の雰囲気が変わってきたせいだと思います。

 ただ私はいつも思っていることですが、 風俗店が増えるのは需要があるからです。 また風俗店自体は違法じゃないんです。 風俗店業界の売り上げの規模は何百億どころじゃないと思います。 需要があるんだったら、 何とか共存共栄できないかと思ったことも何回かあります。 風俗店がない宗右衛門町なんて考えられない街になっているんですから。

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