宗右衛門町 まちづくりのはじめにあたって
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もう一度、 老若男女が楽しめる街へ

おかみさんの会 西村冨子(株式会社大黒屋本店ビル)

 

横山

 地区計画で用途制限をかけてこの町から風俗を排除しようじゃないかという話もありました。 しかしそれでは宗右衛門町の存在そのものを否定してしまうという意見もあり、 じゃあどうすればいいのかと頭を悩ませているのが現状です。 この問題にはまた後で触れることになると思います。

 ところで宗右衛門町には「おかみさんの会」という女性団体が立ち上がり、 CDデビューもするなどの活動を始めています。 ここで、 おかみさんの会はなぜ発足したのか、 会の活動、 今後の取り組みなどについてお話しいただきたいと思います。

西村(おかみさんの会)

 「おかみさんの会」は立ち上げて1年足らずですが、 私たちは男性と違って考えるより行動する方が先という質(たち)でして、 宗右衛門町が崖っぷちに立っていることもあり、 女性が行動すれば何か変わってくるんじゃないかという心境で「おかみさんの会」を発足させた次第です。 みなさんに呼びかけましたところ、 宗右衛門町の女性の方々はみな同じような思いだったらしく、 会が出来ることになりました。

 今お二人に宗右衛門町の歴史を語っていただきましたが、 私は昭和18年生まれで、 戦争で宗右衛門町が焼け、 しばらくは疎開先の田舎とここを行ったり来たりする生活でしたが、 完全に宗右衛門町に戻ってきたのは昭和28年のことで、 今も宗右衛門町に住んでおります。

 その頃の宗右衛門町と言えば料理屋さんがずらりと並んだ街で、 大和屋さんもまだ宗右衛門町に入口を向けていました。 そこのおかみさんが三味線や踊り、 鼓を教えていたので、 芸妓さんの学校のような感じでした。 夕方になるとお稽古の三味線の音が聞こえたり、 舞いを踊る様子が格子戸からのぞけたりもして、 風情のある街でした。

 その頃の街は、 お茶屋さん、 料亭、 待ち屋、 喫茶店、 女性向けの小物や下着を売るしゃれた店がいっぱいありました。 ちょうどウチの前はお風呂屋さんでして、 夕方になると芸妓さんが下駄の音をコロコロさせながらやってきたのを懐かしく思い出しますし、 いい街だったなと思います。

 宗右衛門町の格式ということを言えば、 大阪の商人が宗右衛門町で遊べるようになれば社会的にも人物的にも一人前として認められるということがありました。 宗右衛門町で遊ぶことが男性のステイタスだったのです。 若い人が宗右衛門町に遊びに来ると「まだ10年早い」などと言われ、 この町は頂点を極めた人の街として認識されていたと思います。

 そうした雰囲気を残している老舗は今では本当にわずかになってしまいました。 今話した大和屋さんを始め、 1年に何軒もこの街から抜けて行かれます。

 高級であれ何であれ宗右衛門町は色町として発展してきた町です。 しかし、 時代の流れとは言え、 今の現状はあまりにも低俗化していると言わざるを得ません。 女性は通れない、 カップルでも通れない、 ましてや子ども連れで来る街ではない。 宗右衛門町は怖いと言われているのが現状で、 ここで商売なさっている方でさえ、 かつての宗右衛門町がどんなところであったのかをご存知ないのです。

 私は宗右衛門町を昔に戻せというわけではありませんが、 色町といえど誰もが通れる街にしたいんです。 色を売り物にしている店があっても、 食べ物屋さんがあって、 大人も子どもも来れるような、 全ての老若男女を対象にした装いがあってしかるべきです。 風俗の看板がどっと出るという問題だけじゃなく、 もっと根底からどんな街を目指せばいいのかを、 今おかみさんの会でも考えている次第です。

 おかみさんの会としてはいろんなことを少しずつやっていますが、 そのひとつに相合橋を地元の憩いの場として整備できないかと考えています。 相合橋は近松門左衛門の戯曲にも登場した橋で、 別れ橋とか縁切り橋とも呼ばれ、 芸妓さんと旦那の別れ話はこの橋でしたという言い伝えがあります。 そんな逸話を逆手にとって、 ただ別れるだけじゃなくて、 再生をモチーフにしたモニュメントを作れないだろうかと考えています。 橋も今の明るいライトではなくガス灯のような柔らかい明かりにして、 木造の橋で赤い欄干にしようと、 私たちは勝手に想像してイメージを作り上げています。

 おかみさんの会では、 自分たちのできることはどんどんやってみようという精神で活動しています。 そして、 その活動を商店会にフィードバックしたいと思って頑張っているところです。

 最後に、 昔宗右衛門町が栄えていた頃はもっと大勢の人が住んでいました。 今はビルだけ建てて、 お店の人は外に住み、 管理は不動産屋任せ。 そんな空洞化が風俗店に浸食される原因を作ってしまったのではないかと思います。 老舗でもこの町に残っている店は、 経営者がちゃんとこの町に住んでいます。 やはり、 街に人がいないと、 街の空洞化、 衰退化につながってしまうと思います。

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