海外建築家の日本での仕事
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1。 国立国際美術館の設計思想
〜アーキテクチャー・オブ・レスポンス(Architecture of Resonse)

 

 ペリは設計を行う場合、 常に考慮すべきこととして、 以下の八つをあげています。

 これらは設計条件とも言えるでしょうが、 ペリはあえて「八つのコネクションズ」と呼んでいます。 これは、 八つにこだわるというわけではなく、 分類すれば八つになるということですが、 それぞれが関連しあいながら、 それぞれにレスポンスしてゆくことでプロジェクトを構成してゆきます。 もちろプロジェクトごとにそのやり方は変わってきますが、 国立国際美術館の場合ですと、 次のようになると私は思いました。

1)時代
 プロポーザールが行われた1995年の8月当時は1月の阪神・淡路大震災の衝撃がようやく落ち着いてきた状況でしたが、 文化的な復興はまだだと当時の木村重信館長さんがおっしゃっていました。 またその後(1995〜1998)基本設計から実施設計にかけて都心回帰現象が注目され始めた時期で、 私たちの仕事にもそうした動きが徐々に反映してきました。 かたや公共建築の箱物批判や財政難の折から美術館の独立法人化が言われた時期でもありました。

 こうした時代背景が、 美術館建設の設計のころにありました。

2)構成・工法
 ここは非常に水位の高い所で、 そこに地下20m以上の工作物を作る条件でしたから、 水対策には非常に気を使いました。 また、 国の建築物で逆打ち工法を採用することはあまりなかったらしいのですが、 柔弱地盤での大規模地下工事の安全面を考えて逆打工法を採用することにしました。

 普通地下を作る場合は全部穴を掘って一番下の階から作っていくのですが、 この工法は上から順番に掘ってゆき、 掘った所からどんどん仕上げていくやり方です。 ですから一番最初に出来たのは、 一番上の階です。 それから下へどんどん掘り、 床が出来た所でさらにその下を掘るというやり方です。

3)場所
 場所については先ほどの岸田さんのお話にあったように、 大阪・中之島であることを意識しました。 私もいろんな所にヒアリングに伺いまして、 この辺りの周辺開発構想の情報はいろいろと知った上でプロジェクトを進めたつもりです。

 場所の持つ特性については、 やはり外国人であるペリでは完全には分からないんです。 だから日本人スタッフがその状況を把握して、 いかにペリにインプットしていくかが私たちの大きな役目だったと思っています。

 ただ私は大阪生まれとは言っても実は仕事以外で中之島に来たことはあまりなく、 むしろロイヤルホテルによく泊まっていたペリの方がこの辺りのことをよく知っていた部分があります。 関空のコンペの時、 ペリは大阪によく来ていて、 その頃このあたりを散歩したりジョギングしたりしていたのです。

 この美術館のプロポーザルをやることになったとき、 ペリが言ったことで新鮮だったのは「残念ながら今の中之島にはあまり川を感じることがないよね」ということです。 また「この美術館の敷地は、 肥後橋から真正面に美術館が見えるよ」とも言っていました。 ペリ自身もこの場所性については日本人の私たち以上に、 しっかりつかむ努力はしていたんです。 しかし、 場所性の背後にある地域の特性の様なものについて把握するのは難しいので、 その点は私たち日本人が理解し、 反映するのが役目でした。

4)目的
 先ほどの見学の場でも何回か言いましたが、 「都市に開かれた美術館を作ること」、 これが大きな目的になっています。 また、 大阪市内には外国から来た人を案内できる美術館があんまりないんです。 ですから中之島を芸術文化の中心地にしたいということは昔から言われていたのですが、 残念ながら今は大阪市立科学館ひとつしかない。 ですから今後は、 この美術館を始めとして市立美術館、 オペラハウスも含めて中之島が芸術文化のシンボルになる必要性を常々感じていました。

5)文化
 文化はいろいろな形で全ての領域に関わってくると考えていますが、 この国際美術館は当初から現代アートを取り上げることが決まっていました。 一度美術館の人に「古代や近代のアートと現代アートの違いは何ですか」と尋ねましたところ、 「現代アートは作家が生きていること。 だから、 作品がどんどん増えていくんですよ」と明快に答えて下さいました。 つまり、 現代アートは今後もどんどん伸びていく可能性がある分野で、 それをどう建物で表現していくか、 それを考えながら設計して行きました。

 もうひとつ、 文化の面で考えたのが、 美術と人との出会いです。 僕も含め、 子供の頃から、 日本人で美術に関心を持つ人は少ないと思います。 欧米ですと身近に美術館がたくさんあり、 ほとんどタダに近い値段で行けることもあって、 子供の課外授業にも使われることも多いようです。

 美術館の入場料が案外高いということもあるんですが、 日本では美術はどうも上から与えられるものというイメージがあるようです。 これからはもっと身近になるべきだと思います。

6)設計プロセス
 設計プロセスも私たちは重要視しています。 ペリの場合、 自分だけで発想して絵を描き、 「これを作れ」というプロセスはほとんどありません。 プロジェクトチーム皆んなで創り上げてゆくことはスタッフにとって、 やりがいのあることですし、 スタッフの発想を彼がどう料理するかも興味のあるところですが、 今回は特に日米の違いもあったことから様々なプロセスがありました。 今回、 構造や設備については三菱地所設計が協力してくれて、 一緒にやることになりました。 そういう技術的なコラボレーションも大事にしています。

 一番難しいのはクライアントとの打ち合わせですが、 日本人はイエス・ノーをはっきり言いませんので、 打ち合わせの場ではなくそれが終わってから、 あそこは実はこうして欲しいなどの細々した話がよく出てきました。 欧米ではトップ同士の会談で全てが決まっていくことが多いのですが、 日本ではそうもいかなくて奥深い所を読み込んでいかなくてはいけないのが、 難しくて又、 逆に面白いところだと感じました。

7)顧客
 今回の国立美術館はとても複雑な顧客でした。 工事を発注したのは当時の建設省、 使うのは美術館(省で言うと文部科学省になります)です。 だから打ち合わせするのはこの二者ということになります。 しかし、 最終的にこの建物を使うのは来館者ですから、 来館者にとって美術館はどうあるべきかを考えました。

 もうひとつ考えたのは、 美術館がパブリックな存在であることです。 中之島を訪れる人にとって、 また大阪市にとって、 ひいては大阪全体にとってこの美術館はどうあるべきか。

 公共建築を手がける場合、 そのバックにいる顧客をどうとらえるかという問題はしばしば設計の現場で矛盾を生じさせます。 発注者にとってはいいことでも来館者にとっては悪いことになることが多々あります。 しかし、 ペリが大きなプロジェクトで基本にしていることは、 パブリックを優先させることです。 ですから、 どんなビルであれ、 私たちが得意とする外観デザインは外に向かって開いています。 今回もパブリック性を重視しながら、 パブリックとプライベートの領域性には気を使いながら設計を進めました。

8)自己
 自己というのは、 建築家自身ということです。

 私が12年間ペリ事務所で仕事をしていて感じるのは、 どんな大きなプロジェクトでどんな素材を使っていても、 ペリの作品はどこかほっとする空気が流れています。 やはり建築家自身の人間性や設計理念が少なからず作品には出てくるのだと思います。 ですから、 建築家の人間性や思想も建築においては大事な要素となります。

 国立美術館の場合、 ペリは展示室については「ホワイトキューブ」という言い方でとらえていました。 ペリがニューヨーク近代美術館(MOMA)を設計するときに学芸員から聞いた話だそうですが、 「美術館の展示室は白い箱であることが理想」なんだそうです。 美術を展示するには、 白くて何にでも使えるフレキシブルな空間であるべきだという考え方です。

 ここの場合、 展示室の天井高が4.6mで白い壁、 正方形のできるだけ大きなスパンで設計しました。 本来は5m欲しかったのですが、 コストや構法などの事情から4.6mが最大限高くとることのできる天井高となりました。 展示室は建築家がゴチャゴチャと考える所ではなく、 あくまで美術館のものだという立場で設計しています。

 続いて、 都市に対して考えたのがビューコリドーです。 今後中之島にはいろんな建築が建ってきます。 しかし、 ペリが最初に感じた「川を感じる場所にしたい」ということから、 美術館はできるだけ見通しのきく透明感のあるものを提案しました。 ただ美術館のシンボル性も欲しいということで、 竹を編んだ透けたイメージの地上部(エントランスゲート)ができています。 これが今回、 彼の考え方の基本姿勢と言えます。

 また、 美術館が重要に考えていたことが「アミュージアム」という考え方です。 これは「楽しむ」(アミューズ)という言葉と「美術館」(ミュージアム)という言葉をくっつけた造語ですが、 「楽しめる美術館」ということです。 この言葉は、 ペリも大いに賛同した言葉でした。

 以上、 この八つの要素を意識しながら設計を進めてゆきました。

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