先ほど言いましたように、 1995年の公募型プロポーザルから9年の歳月を経て2004年3月に竣工し、 美術館側に引き渡すことが出来ました。 2004年11月3日が美術館の開館日です。
2。 国立国際美術館の実際
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プロジェクトを進めている最中は、 実を言うとプロポーザル時の提案を振り返る余裕がなかったのが正直なところです。 終わってみると、 この時の提案した地下1階の広場やシンボリックタワーも実現されています。 プロポーザルとコンペの違いは、 コンペは絵を描き提案した図面等で選ぶのに対して、 プロポーザルはその施設をどうしたいかなど考え方を提案し、 設計者自身を選ぶという違いがあります。 後で国交省の方に聞いたのですが、 我々の案が選ばれたのは「ペリさんの所の案に一番可能性を感じたから」だそうです。 その可能性をぜひ実現して欲しかったと聞いて、 非常に嬉しかったものです。
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将来構想の市立美術館やオペラハウス、 民間の高層ビルなどを含めたマスタープランを作成して、 その中でこの美術館がどうあるべきかを考えました。 その中で重要だったのは「ビューコリドー」という、 川と川をつなぐ見通しでした。 又、 日本では珍しい大きな中央広場がここに出来るということも聞いておりましたので、 この一帯に車の入ってこない広場空間が出来ることを考慮した上で美術館の入口の位置を決定いたしました。
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プロポーザル時の提案で見ていただいたように、 最初はステンレス製のモニュメントはなく、 コーンを伏せたような形のものなどを提案していたんです。 その後、 美術館の方々と何回も話し合いをしていく中で、 やはり美術のシンボル性を、 パブリックに向かって発信していくことも大事だということになり、 今のようにステンレスのモニュメントが出来ました。
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模型を作っていく過程の中では、 ペリの身長よりも高い2m以上の大きさになって、 ドアから出せなくなったこともありました。 こんな25分の1の模型を作って、 ああでもないこうでもないとみんなで議論する日々が続きました。 ペリも3カ月に1度は来日しましたし、 スタッフは毎月のように来ました。 当時の建設省の課長たちもよく自腹でアメリカのペリ事務所にやってこられたし、 私たちはクライアントの熱意を非常に感じました。 やはり、 いいプロジェクトはみんなでいいものを作ろうという熱意が形になっていくんだなと思います。 私たちもクライアントの熱意に負けないよう、 全力を尽くして作業しました。
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写真は、 アメリカで作った25分の1の模型を日本でも同じように作った場面です。 残念ながらエントランスゲート工事が終わってつぶしてしまったのですが、 今になると残しとけばよかったと思います。 このエントランスゲートの形状は図面で説明しても職人さん達には実感がわかないので、 この模型を現場まで持ち込んで説明しました。 多くの方の努力で今の形があると思っています。
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実際にこの形状が目に見えることはないのですが、 図で表すと地下3層はこんな風になっています。 一番上のプラザから地下1階までが無料のパブリックスペースで、 地下2から3階が展示室になっています。 地上部分のモニュメントの高さは約50mあります。
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設計から工事完成まで、 この9年間社会情勢も含めいろんなことが変化いたしました。 また、 9年前の設計時には今ほど言われなかった身障者や高齢者を含めた全ての人に対する(ユニバーサルデザイン)配慮などもその一つで、 キッズルームを設計変更で付設することも行いました。 そういういろんなことも、 ペリを含め何度か議論を重ねながら対応しています。 エントランスゲートのライトアップの実験も模型を使って何回も試しました。 どこに何個照明を置けば、 ステンレスパイプを美しく光らせることができるかなど実験で確認しながら進めました。 今はまだ行われていませんが、 オープンした後、 ぜひライトアップを見ていただきたいと思います。
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これは、 中之島の土佐堀川から見たところです。 写真のエントランスゲートの背後の福島地区に、 オリックスチームが建てる超高層の住宅やその西側の朝日放送のビル、 その手前には大阪市立の美術館が出来る予定で、 10年後には相当違う景観になっていると思われます。 手前に古い民家があり、 これらも含めこのアングルはいい感じですねと言う人が何人かいました。 今後、 この中之島という場所が良い形で変わっていったらなあと思います。
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私はこのアングルが好きなので、 ご紹介します。 混沌とした中でピカッと光る輝きがあり、 その光り方でいろいろと形が変わって見えるようなところが好きです。
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地下1階フリーゾーンの床の石は大理石のモザイクで、 ロッソアリカンテという石で、 シート状になっているものを貼っています。 これはイタリアの石ですが、 いったん中国へ送って、 人海戦術でこういう小さなモザイク状の石のシートにしてもらいました。 この作業を日本でやると平米当たり20万円以上になったことでしょうが、 海外に委託することでコストを安く抑えることができました。
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展示室はまだ何もない状況で、 まさに「白い大きな箱」の状態です。 上に見えているのは照明とライティングレールです。 フックが一定の間隔に付いていて、 自由にものが架けられるようになっています。 グリッド状に各設備や装置を設けてフレキシビリティーを高めています。 柱も本当なら無くしたかったところですが、 何分ここは地下20mの大きな土圧を受けている場所ですから構造上どうしても必要なものなんです。
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これは収蔵庫です。 今は外部の人は中には入れません。 先ほど申し上げましたように、 現代アートはこれから作品がどんどん増えていくでしょうから、 2段のラックにして収蔵容量に余裕を持たせました。 地下の建物は増築が難しいので、 将来のことを考えておく必要がありました。 ちなみに内装は、 床にはナラの無垢フローリング、 壁、 天井は調湿材を入れてアルミ箔がその裏に貼ってあり、 二重三重に換気できるようにしています。 天井裏や床下も単独で換気を行うことができ、 空気層がこの部屋を包むような構造になっています。
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竣工時に行ったライトアップの写真です。 日本の美術館は5時閉館が多いのですが、 それだと普通の社会人はますますアートから縁遠くなってしまいます。 ここは5時からも入れるような美術館を目指しており、 大人のデートスポットになってくれたらいいなと思っています。 運営上のハードルがいろいろあるようなのですが、 今のところ前向きに検討されているようです。 エントランス全体を行灯のような感じでボヤッと浮かび上がらせ、 その中にステンレスの線が光る。 その回りの床には天の川のようにLEDの光の帯が様々なパターンを見せます。 これが美術館の夜の顔です。 美術館の向かいに市立科学館がありますので、 よく小学生の低学年ぐらいの子供達が社会見学に来ています。 その子供達がモニュメントに興味を示してくれています。 もう少し大きくなったら美術館にも来て欲しいですし、 学校の社会見学の場にも使ってもらいたいです。 この印象的な形状が子供たちの記憶に残ってくれればと思います。
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この美術館がこんな風に人が集う場所になって欲しいと願っています。 この場所のことも、 私たちは勝手にエントランスゲートと呼んでいますが、 ぜひとも市民の人たちにニックネームを付けていただきたいと思っています。 市民に愛されてこそ、 こうした公共建築物の存在意義があるのですから。
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