まず第一に、 和歌山県の都市やまちは「私」が豊かであるため、 「公」や「共」が貧弱なって状況です。 昔から住んでいる人は代々大きなお屋敷をもっており、 その周りには立派な木が植えられています。 公園を作らなくても家の中で十分自然を味わえ、 少し外に出れば山などの自然が沢山あるのです。 したがって「公」の部分をそんなに豊かにしていく必要性がなかったのです。
次に、 一般的にまちのデザインは生活と関連性が大きいのですが、 特に和歌山県のまちはそれが強く表れており、 非常に「生活習慣的なまち」がつくられています。 生活習慣病は、 日々の生活の積み重ねの結果として発生する病状ですが、 それと同様に、 「生活習慣的なまち」とは地域の人が日々の生活を積み重ねた結果として出来上がったまちということです(筆者の個人的定義)。
「生活習慣的なまち」は地域の人にとっては使い心地が良いのですが、 逆に、 地域外の人たちからすると使い心地が悪いし、 色々と文句を言いたくなる要素が沢山あります。 さらに文化的な環境まで話を広げると、 和歌山県には馴染むのに時間を要するような環境があります。 例えば、 私も和歌山県に来て初めて気付いたのですが、 和歌山県には敬語がないのです。 ただ、 なぜ敬語がないかということまでは私も調べていません。
このようなことで、 来街者のような異なった生活をしている人に対して、 十分魅力を発揮できていないのではないかと思います。
和歌山県のまちの特徴
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