熊野古道で探る歴史と向き合う街とは、癒しの風景とは
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写真で見る聖地と参詣道

 

町石道

 
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慈尊院山門
 
 高野山側から見ていきます。 町石道は慈尊院というお寺からスタートします。 すぐ近くを紀ノ川が流れているところです。 写真の一番手前に鳥居の一部が見えますが、 これは丹生官省符神社(にゅうかんしょうふ じんじゃ)です。 この神社の横から上がっていく道が町石道です。

 
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町石と町石道
 
 町石道には一町ごとに「町石」が建っています。 全部で108町石あります。 右の写真はそれがずっと続く町石道です。 普通の山道ですが、 よくハイキングでも使われる道です。

 
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丹生都姫神社
 
 町石道の途中に天野地区へ降りる道があり、 そこに丹生都姫神社(にゅうつひめ・じんじゃ)があります。 ここも由緒のある神社で、 世界遺産のコア・ゾーンに入っています。

 
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天野地区
 
 神社の回りに広がる天野地区は茅葺きの民家が十数棟ばかり残っていて、 民俗文化的にも有名でファンも多いところです。 農業も盛んです。 山道を登っていった所にある開けた盆地で、 実際に行ってみるとビックリするような場所にあります。

 
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高野山・壇上伽藍
 
 さて、 町石道をさらに上がっていくと高野山に着きます。 写真はたくさんのお坊さんが毎日修行している壇上伽藍です。 これは海外の人にも分かりやすい聖地ですね。


中辺路

 
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滝尻王子社 ここから神域
 
 今回世界遺産に指定された熊野古道は、 滝尻王子社から始まる道で、 残念ながら田辺市内から続く道は入っておりません。 ただ今は滝尻王子社は中辺路町ですが、 市町村合併後は田辺市に含まれることになるでしょう。

 さて、 中辺路はここからすごい坂道になっていきます。 ここが本格的に神域の入口ということになります。

 
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中辺路の田んぼの風景
 
 尾根道をずっと歩いていく道が多く、 高原では夏から秋にかけては奇麗な田んぼの風景が見られます。

 
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中辺路・高原の近代的に整備されてしまった古道
 
 ただ、 道の途中には、 ちょっと前に近代的に整備してしまった箇所もあります。 こうなると昔の面影が失われていて、 コア・ゾーンからはずされることになりました。 奇麗すぎる近代的な整備が、 本来の景観とは異なっているということです。

 
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中辺路・山道
 
 熊野古道は、 こんな山道によく見ると昔の石敷が入っている場合が多くあります。 写真のようにクネクネとうねりながら山の中を抜けていきます。

 
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近露の里
 
 山道を抜けると、 先ほどの天野のように急にポンと開けた盆地の人里に出ます。 ここは近露の里というところです。 ここにも「近露王子」があります。

 
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一方杉
 
 山の中腹に大きな杉が数本建っているのがお分かりでしょうか。 これが南方熊楠の保存運動で残った「一方杉」です。 写真では見えませんが、 その杉の下を通り山の中を縫うように続いているのが熊野古道です。 ここにも「継桜王子」と神社が残されています。

 
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里の秋のお祭
 
 熊野古道の途中で里に入ると、 その季節のお祭りに出会うこともあります。 写真は、 野中の里の秋のお祭りで獅子舞を見る人たちです。


本宮

 
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伏拝
 
 中辺路をずっと行くと本宮町に入ってきます。 写真は伏拝(ふしおがみ)という集落です。 ごらんのように村の中を行く道で、 昔ながらの井戸も残っていたりします。

 
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伏拝の古道
 
 この道をまっすぐ行くと、 急に曲がって写真のような道に出ます。

 この伏拝の集落は、 NHKの朝のテレビ小説「ほんまもん」のロケ地だったところです。

 
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ビューポイント
 
 その時のロケ班が見つけたビューポイントです。 放映時はたくさんの観光客が訪れたという話です。

 
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山道
 
 伏拝を抜けると山道に戻ります。 このあたりは、 人工林を少しずつ自然林に戻す実験を地元の人がやっている場所です。 ここも石敷が残っていて、 明らかに古い道だと分かる箇所がいくつかあります。

 
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熊野本宮大社
 
 こうしてやっと熊野本宮大社に着きました。 この大社は明治の水害のあと、 今の場所に移されたものです。 元は川の中州に作られていました。

 
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熊野本宮大社大斎原
 
 今は「熊野本宮大社大斎原(おおゆのはら)」という名の緑地になっていますが、 本来はここがゴール地点です。 そこに建つと、 遠くに「七超の峯(ななこしのみね)」が見えますが、 その峯から降りるルートが奧駈道なります。

 
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奧駈道
 
 奧駈道の下の方をとった写真です。 上の方は勝手には行けません。

 このあたりで経塚も見つかりました。


熊野川から太平洋へ

 今回の世界遺産指定の課題について少しお話ししたいと思います。 メインに当たるものは史跡指定などで保護下に置かれていますが、 本当はそこから見える遠くの景色があって初めて美しい景色になるんです。 しかし、 遠くの景色は何の指定がされているわけでもなく、 将来もその景観が保てるかについては担保されていません。 そうした心配を抱えた場所はたくさんあります。

 
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雲取山方面
 
 写真は雲取山方面を見ながら熊野川沿いにいく国道からの風景です。 昔は船で熊野川を下ったそうです。

 
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熊野川
 
 熊野川も古道と同じく山の中をクネクネと曲がりながら流れ、 途中で滝もあったりしますから、 景色としてもきれいな川です。 ただし、 水量は昔に比べると減ったと言われています。

 
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渡しを再現
 
 これは新宮に近づいた地点で、 写真は昔の渡しを再現するイベントの時のものです。 舟自体も職人仕事で出来た今ではなかなか作れない文化財級の貴重な舟です。

 
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高野坂
 
 新宮と速玉大社を通過していく太平洋沿いの道です。 高野坂という所です。

 
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高野坂から見た太平洋
 
 振り返ると写真のように浜が見えます。

 
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大門坂
 
 那智大社に着くと、 大門坂から入ることになります。 ここも有名なビューポイントで、 テレビやポスターでおなじみの場所です。

 
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冨田坂)
 
 白浜町にも大辺路の一部である「冨田坂」があり、 ずっと山の上の方まで続いています。 つまり、 いろんな道が聖地につながっていることが、 今回指定された熊野古道の構成になっています。

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