段丘斜面を越えて奥の谷筋の支流域に入ります。
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竹田川支流域にこういう山裾集落が形成されています。 山並みに抱かれ農地の畦が輻輳するきれいな集落が谷あいごとに分布しています。
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これは竹田川の支流のひとつ美和川流域ですが、 いずれの支流域の集落構成もほぼ竹田川流域と同等で、 写真中央の鎮守はちょうど支流河川が屈折する所に位置しています。 その土地を治めるように川から守られた形で鎮守を配し地域が形成されるのは、 竹田川流域の共通パターンです。
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ずっと南に下がると、 視覚的に段丘斜面林は消えるのですが、 棚原や野野上という地名のように低地の農地との境に小さな段丘斜面が残り、 その微高地の上に家屋が立地し集落を構成しています。
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さらに南の春日町にはいると、 集落の中にこういう段丘の形が出てくる地形になります。 古い家屋は段丘の上に沿って建てられ、 新しい家屋は低地部分の道沿いに建っている場合が多いので、 これまでと同様に低いところは農地、 水かかりの悪い高台に家を建てる、 地勢の変化を利用した集落の構成パターンが継承されています。
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もっと南へ下ると、 今度は高低差そのものを家屋の立地で吸収しているようになります。
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竹田川の上流に入るたびに段丘斜面はどんどん小さくなるのですが、 一応ムラとノラの境には菜園畑や畦畔木を配して視覚的にも区分されています。 家の回りに自家用の菜園を作り、 水田は低いところに配する。 つまり、 段急斜面の竹田郷と同じ空間構成で土地利用が行われているわけです。
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地区を代表する大きな鎮守は「式内社」です。 「式内」(しきない)とは、 昔の国勢調査のような文献ですが、 その古書にも載っている中世には建立されていた古い神社です。 竹田川流域では式内社はムラと低地のノラの境に必ず分布しています。
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先ほども言いましたように、 集落を守るための川の抑え所に分布しているわけです。 こういった土地利用秩序があるから何気なく見ても美しい風景になるのではないかと私は考えています。