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少しだけ篠山盆地も見てみます。 これは丹波富士とも形容されている高城山です。 明智光秀を苦しめた波多野氏の山城ですが篠山盆地のランドマークとなっています。
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西のお徒士町(武家屋敷)だけでなく城下を流れる黒田川に沿っても竹林が多く残っています。
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城下の北に鎮座する春日神社 | 城下を取り囲む小丘 |
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役所の横から街道が伸びていますが、 市街地を取り囲む四方の山と北に配した春日神社を街路のアイストップに活かしています。
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篠山川は盆地内の一番低いところを流れていて、 今も鬱蒼とした竹林に覆われています。
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つまり篠山川は排水機能の河川で、 盆地内の農地は篠山川の各支流河川るの谷側から灌漑しています。
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山陰旧街道のような官道には、 大きな道標が今も要所に残っています。
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街道村のたたずまいはけっこういいでしょう。 篠山盆地は旧城下街の市街地を除けば、 ほぼ街道村と山裾集落に大別されますが、 篠山盆地を特徴付ける街道村では今もこうした民家が軒を連ねるように山陰旧街道沿いに残っています。 妻から入る「摂丹型民家」です。 伊勢の妻入り民家と同じ形ですが、 伊勢では参道でもある街道沿いにきるだけ多く商家を建ち並べたいため、 奥行き深く間口は狭い妻入りにしたということになっていますが、 「摂丹型」は、 片土間三間取りから田の字型の家の変革期に構成された民家ではないかという説がありますが、 詳しいことはよく分かっていません。 篠山の安口や、 八上、 大山といった街道村にこういう妻入り民家が多く残っています。
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江戸時代に発展した宿場町では、 京町家と同じ平入り民家がよく見られます。 現在の丹波の家屋は昭和初期のものが大半ですが、 街道沿いは代々の敷地形状にあわせ建替えを繰り返し、 継承してきたため当時の面影をしのぶことができます。 ですから、 平入りか妻入りかでいつ頃構成された集落なのかがほぼ見当がつきます。 それに合わせ、 石高の伸びを町史で調べ角川書店の地名辞典でもひもとけば、 大体の集落の歴史的特徴は把握できると思います。
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安口から八上に残る山陰旧街道の街道村は、 尾根筋の山裾に集落を構成し、 北側家屋の裏手となる低地側は、 菜園畑を配しています。 これにクヌギの畦畔木や柿木が数多く残っており、 家屋の見え隠れを演出しています。
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家屋の西側には鎮守が分布し、 尾根沿いの山手にも稲木や畦畔木が残っており、 街道沿いに連なる家屋は、 柔らかな緑に包まれる様に構成されています。
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したがって篠山盆地を特徴付ける街道村周りは、 多用な豊かな緑で包まれるように集落環境を構成しており、 背景の山並みと広がる農地とともに幾重にも豊かな緑に包まれた集落環境を形成しています。
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広がる田園の農地には加古川や竹田川流域では見られなかった古木が小祠とともに多数分布しています。
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山陰旧街道にもかつての一里塚を髣髴するような古木や名木が集落間に分布しています。
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鎮守林とともにこうした古木や篠山川沿いの竹林が取り囲む山並みを背景に重なり合って篠山盆地特有の緑豊かな田園風景を形成しています。
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