現代の船場建築の固有性
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船場のバナキュラー性とは
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さて、 ここからが船場のバナキュラー建築についてです。
建築の固有性に影響を与えているのは、 まずその敷地です。 それによって建物の形は大きく制限されます。 つまりボリュームやセットバックなど、 建物の形状が決められていきます。 また、 都心部だとそのファサードデザインが建物の重要な位置を占めます。 特に船場のように建物が建ち並ぶ場所では、 ファサードこそが建築の全てのように見えます。
こういった建築の要素の中で、 果たしてどれが船場の歴史性や固有性を表すものなのか。 あるいは船場の中でどれが普遍性を表すものなのか。 それを表す要素こそ、 船場のバナキュラー建築としてあげられるものだと思います。
現代の船場の建築の固有性としてあげられるものは、 次の2点だと思います。
ひとつ目は、 船場は戦災によって多くの木造の町家が消失してしまい、 ほとんどが戦後に建った建築だということです。 ですから、 5、60年以内に建った建築が大半です。
ふたつ目はその建築が建つ街自体は、 秀吉が4百年前に計画した町割の状態からほとんど変化がないことです。
この二つの要素が、 船場の固有性を形作る一因ではないかと考えました。
船場の敷地
ではまず、 船場の敷地形状を見てみます。
秀吉によって作られた町割は、 40間四方の正方形の町割です。 それを南北に2等分して、 東西に8等分して家が建てられました。 ですから、 一軒の家は奥行きが20間、 間口が5〜6間の敷地割りで建てられました。 これが船場のオリジナルの敷地割りです。
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オリジナルに近い形状の敷地の分布
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時代を経るにつれ、 隣の敷地と合筆して大きくなったり、 反対にもっと細かく細分化されるなどして、 現在オリジナルに近い敷地の形状を残しているのは1割ほどに過ぎません。 1974〜2000年にかけての敷地状態を調べても、 オリジナルの敷地はどんどん減っていて、 敷地自体が常に変化していることが分かりました。
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船場敷地の形状
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オリジナルに近い形状の敷地の形としては、 昔からの形を残す「基本短冊形」、 後ろの方が消滅して街区に面した表だけを残す「街区表側型」、 それが組合わさった形の「L字型」2パターンがあります。 ほとんどは基本短冊形か街区表側型の敷地で、 道路面に対しては5間から6間の間口を持っている敷地です。 これを私はバナキュラー建築の対象として調べることにしました。
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敷地と建物の関係
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まず敷地に対してどんな建築が建っているかですが、 昔は町家の形態として中庭や通り庭があり奧に倉庫が建つという3棟が分棟している形式が大半でした。 今は敷地いっぱいに建築を建てる都心の建築になっています。
そのように船場の歴史のある敷地に建てられた建築を「船場建築」と名付け、 それぞれのボリュームや形態、 ファサードデザインを調べたわけです。
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