5年ほど経て、 復興が段々進んできたわけですが、 再建されて少し落ち着いてくると住民の方々の間に「ああ、 ちょっと街が変わってしまったな」という気分が段々と起こってきて、 声に出しては言わないけれども、 何とかしたいという意識が高まってきました。
震災から1年くらい経った頃、 東京などからいわゆる学識者がやって来て、 芦屋や西宮の復興の状態を見たとき、 なんだかプレハブみたいなのばかり建って芦屋の住宅地の風情が失われてしまってけしからん、 とか言うんですね。 でも現場の人達にしてみれば、 そんな事を言ってられない。 彼らだって必死で復興しているわけですから。 だけど東京から来る人達にはそんな事を言う人もいました。
そういう事に腹も立てられないし、 自分達もやはり昔からの良い街が失われたな、 というそういう気分がどこかあるわけです。 だけど、 なかなか口に出して言えないということがありました。
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神戸市長田区房王寺周辺地区景観調査
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そこで、 景観復興をどのように考えたらよいか少し考えてみようという事で、 兵庫県で景観調査に着手しました。 そのときに、 先ほど申し上げたいくつかの地区の現在の状況はどうか調査したわけです。 同じ場所で震災後5年目と10年目(これは去年の調査ですけれども)の写真を撮って比較しました。
そうすると、 ここではあまり詳しくは説明しませんが、 新しい住宅がどんどん建っていく一方で、 空き地がまだ沢山残っているという状況もわかりました。
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神戸市須磨区離宮道周辺地区景観調査
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これは山手から少し降りてきた辺り、 須磨の離宮公園の近くにある離宮道という地区ですが、 ここには震災後10年経っても何も変わっていない家がありました。 もしかしたら所有者が再建どころか片づけもできないくらいご老人なのかもしれません。
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淡路島一宮町郡家地区 景観調査
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これは淡路島一宮町の郡家という地区ですが、 ここも全壊が多く相当の被害がありました。 ここは元々漁村集落で、 復興のときに少し道路等の整備をしないといけないということで、 住環境整備事業を行っています。
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淡路島北淡町富島地区 景観調査
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これは北淡町の富島という漁村集落だった地区です。 震災当時を知ってる人はご存じのとおり、 ほとんど壊滅状態でした。 ここでは区画整理が行われたのですが、 元々が都市計画区域外で、 震災直前に都市計画区域に入れようという準備が進んでいたんですね。 ですからここは震災後、 都市計画区域に入ると同時に復興をやらないといけないというダブルパンチでした。
そんなわけで都市計画法を知らない住民の方々が、 いきなり法律に直面し大変な経験をされたわけです。 我々も震災後、 調査だけではなく色々支援に行きましたが、 区画整理反対派と賛成派に別れて3〜4年は計画がなかなか進行しない状態が続いていました。 ここ2〜3年で、 ようやく事業が順調に進み出したと聞いています。
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