景観からの復興まちづくりの諸側面
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復興景観の評価

 

住民の変化と景観評価

 震災後、 被災地の東部(東灘区、 芦屋、 西宮)では住民の半数程度が入れ替わりました。 再建や復興した住宅のうち、 とりわけマンションでは大阪方面から若い世帯、 子どものいる家族が多く転入してきたからです。 ですから居住者としては若返り、 子どもの数も増える傾向にあります。

 従前から住んでいる人たちは、 自分たちの住む地域の景観が悪い方向に変化したと思っているのですが、 新しく来た人たちは「なかなか良いところだ」と新たに生まれている景観に満足しているという調査結果になっています。 その意識の差が、 将来どんなふうに影響してくるのかと思います。

 元々住んでいて人たちと新しく来た人たちの間にはコミュニケーションがないんですね。 また、 昔から住んでいた人たちが持つ景観の記憶がどんどん消えていっています。 先ほど「常日頃から地域環境を考えなければいけない」と言いましたが、 その辺のギャップが将来どういうふうに作用するのだろうと考えてしまいます。

 

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居住者の景観評価・調査のための枠組(芦屋の町並みを表構えで見る)
 
 これは一昨年に芦屋で行った調査です。 復興住宅のいろんなタイプを、 表構えの開放度と緑の多さの2点から分類してみました。 横軸に開放度大→低、 縦軸に緑なし→多と並べ、 復興住宅のタイプを見てみました。 一番右端のタイプEは、 旧来型の家です。 もともとはこのタイプの家が主流でした。

 

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継続居住者と新規来住者の景観イメージの違い
 
 この調査票を用い、 芦屋で従前の家に継続して住んでいる人、 元から住んでいる人で再建住宅に住んでいる人、 新しく芦屋に来た人の3グループに分けて、 それぞれ好き嫌いをマークしてもらいました。

 そうすると、 将来の「希望のまち」にふさわしいタイプとして旧来型のEタイプをあげたのは元々住んでいる人たちのグループでしたが、 新しく来た人たちはそれとは全く違うタイプの4-Aがもっとも多いという結果になっています。

 現実には将来どうなりそうかの「予想のまち」でも、 継続して住む人と新しく来た人のイメージは違っており、 「現在のまち」でもとらえているイメージはその延長上にありました。 景観認識が各グループともばらばらなわけです。

 

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どのような「まち」でありたいかについての継続居住者と来住者の違い
 
 元々住んでいる人たちは、 将来こうなってほしい町のイメージとして旧来型の表構えを持つ家を選びました。 しかし、 新しく来た人たちは旧来型の閉鎖的な表構えでなくもっと開放的なパターンの家を望んでいるのです。 そういう新旧のギャップを埋めるのは難問で、 最近の若い家族が望む開放的な表構えの理想を、 閉鎖的な表構えに変えるのは至難の技だと思います。

 緑豊かな住宅地とはいっても住民それぞれが多様なイメージを持っているわけで、 旧来型の緑イメージをベースにしてまちの特徴を生み出すためにはどうしたらいいか。 そういうことも調査を通じて分かってきました。


復興事業と景観

 
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道路整備の観点から(家の前で道路整備がされた例)
 
 住宅の再建や新規開発によってまちの景観が変化しましたが、 もうひとつ道路整備による影響も考えられます。

 写真は住環境整備事業で整備された道路で、 歩道は整備されていないのに車だけが通りやすくなっています。 何か変な景観だと思いませんか。

 関連して、 道路整備と景観の関係について調べた人がいます。

 それによると「住環境整備事業によって道路が整備されたが、 道路整備が歩行行動の安全性を低下させている可能性がある」と報告されています(『街の復興カルテ』2002年度、 2003年度版)。

 とりわけ高齢者には、 それまで抱いていた地区道路のイメージが一変して、 車が走りやすくなったという環境変化に追いつけない傾向があります。

 また「歩道のない道路が拡幅されると、 自動車の速度上昇を引き起こす可能性がある。 これらが全体として歩行行動の安全性低下につながりかねない」と指摘しています。 つまり、 住環境整備を道路と自動車の関係だけで考えていると深刻な問題を引き起こしてしまうわけで、 これは相当考えなければいけない問題だと思います。

 

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復興の展開(新長田南地区 2001年)
 
 新長田南の再開発でこんな町が生まれてきています。 ここ以外にも、 HAT神戸とかいろんな所で復興の大プロジェクトが進みました。


復興住宅のデザイン評価

 復興5周年を迎えた2000年に、 海外からの識者も参加して復興事業の検証が行われました。 その中に、 復興住宅もテーマとして設定されました。 外国から来た人たちには、 復興公営住宅でできた団地に違和感があったようで、 けっこう手厳しい意見がいろいろ出てきました。

 以下にあげるのは、 その意見のまとめです。

 (4)の「高層住宅による住宅の大量供給は、 結果として市場性のない空き地を大量に生み出し」というのは、 団地をいっぱい作る一方で区画整理をやっていたら、 区画整理をした土地が埋まらないじゃないかという指摘です。 これは震災後5年目なのでまだ区画整理地区に空き地が多く見られ、 建物が建ってない状況だったこともありますが、 そういう問題点があることも事実です。


マンション紛争

 復興期には、 マンション紛争が沢山起きました。

 これは西宮の例ですが、 調停制度に持ち込まれた事例が95年から99年にかけて34件、 2000年〜2003年までには65件起きており、 西宮だけで百件近いマンション紛争がありました。

 経緯を見ると「震災後、 急増したマンション建設に伴い、 計画地周辺住民から反対運動などの紛争が起こった」「震災復興型総合設計制度などを適用し再建した既存不適格の被災マンションの調停制度の適用事例はないが、 周辺住民等との紛争事例あり」となっています。 つまり、 通常のマンション紛争が集中して起きたということだと思われます。

マンション紛争の増加
紛争の内容当事者経緯現在の状況結果
マンション建設に対する紛争 非公開 震災後、 急増したマンション建設に伴い、 計画地周辺住民から反対運動などの紛争が起こったもの。 また、 震災復興型総合設計制度などを適用し再建した既存不適格の被災マンションの調停制度の適用事例はないが、 周辺住民等との紛争事例あり 平成7年度から平成11年度までは、 市の中高層建築物に関する調停制度、 平成12年度以降は市の斡旋・調停制度により「終結」、 「打ち切り」、 「取り下げ等の不開始」のいずれかに終結している。 H7〜H11
総数34
(終結9/打切り2/取下げ等23)
H12〜H15末
総数65
斡旋(終結28/打切り15/取下げ等13/継続1)
調停(終結 5/打切り 1/取下げ等 2)
震災復興型総合設計制度等適用 13(内、 紛争5)
(震災復興区画整理に関する紛争について)
事業に対する反対意見や、 個々の権利者の紛争等はあったが、 通常の区画整理事業でみられる状況と大差はなく、 震災復興が原因と思われる顕著な現象は見られなかった。

 震災復興区画整理に関する紛争については「事業に対する反対意見や個々の権利者の紛争はあったが、 通常の区画整理事業で見られる状況と大差はなく、 震災復興が原因と思われる顕著な現象はなかった」と西宮市はコメントしています。

 なお、 これは被災した10市10町に「被災後どういう問題があったか」「景観にどんな配慮をしたか」のアンケートをとったうちの西宮市の回答です。


地区計画の策定(西宮市の場合)

 震災後、 西宮ではいろんな施策をとっていますが、 震災復興区画整理の区域外でも地区計画を多数定めています。 被災地ではこの手法で行われた所がとても多いですね。 内容的には高さ制限など、 最低限のルールを決めて取り組んだといったところです。

 西宮はマンション紛争の事例と、 地区計画を決めた事例が一番多いことが分かりました。

地区計画の策定
施策等の内容 実施主体 実施場所 成果
地区計画の策定
(震災後21地区決定。 うち震災復興区画整理の区域内の地区計画は2地区)
○南部市街地(震災復興区画整理事業区域内) 森具地区、 西宮北口駅北東地区
○南部市街地(その他) 仁川五ヶ山地区、 安井地区、 若江・神園地区、 大畑地区、 甲子園三保地区、 夙川駅北東地区、 夙川霞・松園地区、 甲子園一番地区、 甲子園浜田地区、 甲子園洲鳥地区、 里中地区、 甲子園二・三番地区、 甲陽園目神山地区、 浜甲子園団地地区、 上鳴尾地区、 甲子園五番・花園地区
○北部ニュータウン 名塩平成台地区、 西宮名塩さくら台地区
各地区まちづくり協議会、 西宮市 左記のとおり もともと住環境保全を目的としているが、 下記の制限内容は景観形成面でも一定の成果を上げている。 ・建築物等の高さの制限20地区で制定
・建築物の壁面の位置の制限9地区
・形態・意匠、 広告物の制限9地区
・垣・さくの構造の制限(道路際の緑化推進)7地区

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