台湾の参加型まちづくりと震災復興について
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集集大地震について

 

地震の概況

 集集大地震は、1999年9月21日午前1時47分に発生しました。

 日本では集集大地震と言っていますが、台湾では地震の発生した日にちから921地震と呼びます。

 

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 地震の震源は南投縣集集鎮の東北、日月潭の西12.5kmの地点にあり、地震の規模はM6.8、震源の深さは7〜10kmでした。震源が浅いため被害も大きく、激しい断層が生じました。

 この地震は、車籠埔という断層が南北にわたって約100kmの亀裂、変位したことによって起きました。

 断層の水平移動の最大距離は10m、垂直変位の最大段差は11mでした。

 

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 左は道路に沿って断層が走っているところです。

 真ん中は道路を横断するように断層が走っているところです
 右は川を横断するように断層が走っているため、立派な滝ができています。当初この河底の垂直変位が約10mありましたが、現在は、何回かの台風の豪雨で流れたりしたため変位が約5mに減っています。


被害の概要

 地震被害は、死亡者数と行方不明者数を合わせて2471人、負傷者数は1万1305人でした。断層が広い範囲で走っているため、被災地は、南北約105km、東西約80km、合計28郷鎮と広範囲に及び、被災者数は約31万人にのぼっています。しかし、断層の上盤側には中央山脈と呼ばれる3000m級の高い山が連なっている地域であるため人口は少なく、被災地全体を見てもほとんどが山村、農村でした。一番大きなまちである埔里でも人口は約9万人でした。そのため、阪神淡路大震災に比べると被害は小さかった。もし、この断層がもう少し西側に位置すると、台湾で3番目の都市である台中市にあたるため、死傷者数は数倍になると思います。でも、集集大地震の揺れで、台中市でも数棟のマンションが倒れました。

 全体を見ると建物の被害状況は、全壊3万8935戸、半壊4万5320戸で、合計約8万戸が被害を受けました。直接損失金額は107億ドルと言われていますが、実際はそれ以上だと思います。

 

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 建物の崩壊状況です。地下駐車場への入口部分の強度が足りないか、アーケードが設置されているところは強度が弱いため、一階部分が潰れてしまったところも多く見られました。土レンガでつくられた古い住宅はほとんど壊れました。

 

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 左は断層上にある石岡ダムです。日本統治時代に建設したもので、全体としては頑丈ですが、断層が通った部分は壊れました。現在は修復されています。

 地震のあとの一番の問題は山崩れです(写真、真ん中と右)。地震当時は崩れていなかった部分にもヒビが入り、大雨が降ると崩れるのです。地震から5年が経っても、台風の季節には、土石流や山崩れがよく発生します。被災地域の多くは昔から美しい地形を有し、有名な観光地でしたが、地震のために観光がだめになってしまいました。

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