国営事業の柱に公園事業があると思うのですが、おそらく投下した予算に比べると利用度が低いのではないでしょうか。そは何に問題があり、あるいはこれからどう活用したら良いのでしょうか。
宮前:
国営公園の年間利用者数は約80万人で、他の国営公園に比べると単位面積あたりの利用度は高いと思います。そして、明日香への来訪者は、この数とイコールなわけです。逆に言いますと、観光客はあそこを公園だとは思っておらず、例えば石舞台に行くのであったり、小学生の遠足で甘樫丘に登って集落景観を見るのであったり、高松塚の壁画を見るのが目的だったりするわけです。つまり公園が歴史的風土にとけこんでいるのです。
もともと国営公園ができた理由が、観光公害から村民の生活を守るための利用拠点づくりでした。駐車場や利便施設であるトイレを作ったのがそもそもの目的であって、それは今も変わっていないと思います。
古都法が国民のためのものとおっしゃいましたが、国民と言いますとやはり観光者だけではなく村民も国民であると思います。今までお聞きした話では、これまでの整備が観光者の視点、例えば遺跡の整備とか歩道の整備とか、そういう部分のものが多いように感じます。国民のためと言うからには、そういった輻輳しているものを両立させる立場から考えなければならないのではないでしょうか。
それには結局村民自身が、観光的な整備や田園、建物などの整備を、自分たちの財産だと考えて、自分たちのためにも積極的に関わっていく姿勢が必要だと思います。
そういったことから、現在村民がどのくらい明日香村の景観保全に関わっているのか、あるいは村民自身が公園をどの程度利用しているのかというデータを知りたいと思うのですが、いかがでしょうか。
それから、結局は村民の意識変革というものに関わるとすれば、そこはやはりコンサルが担っていけない部分なのではないのでしょうか。サポートという事ももちろんありますが、先ほどの護岸の石積みのような話についても、やはりその地域ごとの解と呼べるものを見つけて、その地域にあったデザインをきちんと提案していかなければならないだろうと思います。
明日香の問題が難しいのは、「見えない資産」と「見える資産」があるとすれば、明日香にある歴史的な遺産は、まさに見えないものであって、それを見に行くと言うよりは、ある種の「原風景」を皆が追いかけるために行く舞台であることにあると思うのです。
そのときに、その舞台を何で表現しておけば良いのかがいまいち分からないわけです。例えば、古い街並みが残っている所のように、それを残せば雰囲気が残るというのであれば明快なんですけれども、明日香の場合はそうではなくて、その背景にある自然とか、そういったものを、ではどうやって、どこまで残せばいいのかということが問題になってくるわけです。それがまた例えば、住んでいる方が生活しているまさに糧である田園の風景であったりということとも連動してきます。
ですから、残そうと思っている者がある種の幻みたいなものをずっと追いかけて、色んな規制をやっているという見方もあると思うのです。
例えば町屋に関しても「明日香スタイル」と呼べるような建物形式はないわけです。そういった中で、何となく和風で歴史的なイメージのものをデザインとしていかにして表現していくのか。これを具体化するのはかなり難しい問題ではないでしょうか。
誰のための何のための整備か
国営公園は
白石:
住民の視点が抜けているのでは
徳勢(阪大):
明日香村は幻では
藤崎:
生業が崩壊する中でどうするのか
玄道(歴史街道推進協議会):
感想じみた事になりますが、やはり「古都法」や「明日香法」といった国家の強制力でもって明日香の景観を守るというやり方については、これ以上のものは無いと思います。しかし基本的な産業構造がどんどん変わっていく中で、それでも稲作をベースとした農山村の生業が基本にあって、初めて明日香の景観が持続的に守らていくのではないでしょうか。
明日香に限らず日本の社会全体がそうですが、今どんどん高齢化が進んでおり、その影響が農山村にもっとも厳しい、ストレートな形で出てきています。農山村の生業が何らかの形で成り立つような諸政策が必要だと思います。
しかし、この高齢化社会の中で、農業をやる人がどんどん歳を取る、あるいは若い人達が都会に出て行き、他の仕事に就くといった状況があるわけです。せっかく形式としてはこれ以上のものはない形で守られてきているものが、その内実、中身の方から崩れてきているというのが実態ではないでしょうか。
話が飛びますが、長野県にある大糸線の信濃森上駅から片道40〜50分歩いて登ったところに青鬼(あおに。長野県白馬村)という集落があります。ごく最近、個人的な関心からそこに行ってきました。この山間の集落には、14戸の古い民家が残っていて、今日も江戸時代から開墾された土や石積みの棚田で、稲作を中心とした農業が営まれています。2000年12月には、集落一帯がわが国の伝統的な農山村景観をよく伝えるものとして、重要伝統的建造物群保存地区の指定を受けています。また、日本の棚田百選にも選ばれています。
地元の人から話を聞くと、「最近は文化庁の人達が来るわ来るわ」とおっしゃる一方で、「このままではもうこれ10年もたんだろう」とおっしゃるわけです。
というのも、昔は集落のまとめ役として長老がいて、山水を皆で引いて分け合ってきた。ところが、今ではこの一番大切な村の「助け合う」という気持ちがどんどん失われてきて、反対に役所からお金を取ってくるのが上手な人が発言権を持つようになってきている。また、集落から次第に人が出て行って、子供達はここに住まなくなってきた。帰ってきた子供達もここには戻らず、下の方の便利な所に住む。あるいはパートナーが欠けるともう農業をしなくなる。そのようなことが起こっているというのです。
そういった客観的な情勢の中で、しからば今後、明日香の景観や歴史的風土をいかに維持しながら、発展(社会の変化に対応)していくのかという投げかけられた課題に話が戻りますけれども、それはやはり、これを単なる保存だけではなくて、創造的に、未来の社会を創るという意味合いも含めて、新しいモデルをつくっていかなくてはいけないと思うのです。
先ほどもそのための様々なアイデアや類型、取り組み例を紹介いただきましたが、中でもこれ、という確固たる回答はないんだと思います。常に迷いながら、様々な規制に頼るだけではなく、あるいは色々な利害関係者との新たな合意づくりも含めて、これはもう永遠の課題として取り組んでいかざるを得ないんだと思います。
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