住民と行政による住環境保全のルールづくり |
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千里NTにおける主な住環境保全ルール |
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住民の発意による住環境保全ルールの分布 |
ただ、千里ニュータウンにおいても、開発当初の10年間は、宅地の譲渡契約とそれに伴う協定があり、住宅以外の用途の制限、建蔽率40%以下、宅地の原状変更の禁止、その他壁面・塀の位置や緑化などに関するルールが適用されました。しかし、新住宅市街地開発法(以下、新住法)の規準は10年を過ぎると失効するため、その後1975年頃に豊中市の戸建住宅の8地区で申し合わせが行われました。その内容は新住法に基づく協定に、過小宅地の禁止、広告看板等の設置禁止などの内容が加えられたものでした。これは、建築協定をめざして作られたものでしたが、建築協定には至らず任意協定という結果になりました。しかし、住宅の建て替えなどに際して自治会長の承認印が必要なこともあり、多くの住民に“このルールは守らなければならない”と認識されており、現在でも効力を発揮しています。
吹田市では、このようなルールが導入されなかったことから、豊中市域よりも敷地分割が多く見られるようになったことをきっかけとして、4地区で建築協定が結ばれていますが、その内容は宅地譲渡時の新住法に基づく協定をほぼ踏襲する緩やかなものです。
地区計画は、津雲台と藤白台近隣センターで導入されています。
これらの規制には、「建設された当初の住環境を守っていきましょう」という考えが基本にあると思います。またルールが導入されたのは部分的であり、あとは全くの白地の状態であるために、ニュータウン全体としての住環境保全の担保性は低かったのです。
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「基本方針」から「土地利用の考え方」への変化と背景 |
この要綱が作成されたのにはいろいろな背景があります。まず若い人に住んでもらうためにはいろいろなタイプの住宅が必要です。高齢者のための交流施設や生活支援施設も必要ですし、相続上のいろいろな問題も発生します。千里中央地区で再開発が進んでいますが、事業化のためには住宅を入れる必要があったようです。
このような様々な背景のもと、ニュータウン開発当初の住環境に近い形で保全しようとした基本方針からの転換を図ろうとしたと考えられます。
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住環境保全ルールの推移 |
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まとめと考察:成熟化過程におけるルールのあり方 |
住環境ルールは、なくても住環境が良好な形で保全されれば、それで良いと思いますが、やはりニュータウンは普通の街と違うので、こういったルールが必要であり、初期の15年間の「形成期」は主に開発者がルールを整備し、次の15年間の「推移期」は、主に豊中市、吹田市と住民が作ってきました。「更新期」では、地域の課題が多様化しますから、地域の住民が中心になった、話し合いによるルールづくりが必要なのではないかと結論づけました。