デザインによってできたこと
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SH変換に成功した事例

 

プロダクト・デザイン

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ヤマハ・サイレントバイオリン
 
 最初はプロダクトの事例を見ていただきます。

 図は、ヤマハのサイレントバイオリンです。プロダクトの目的はソフトにあります。「お家で静かに誰にも聞かれずにバイオリンを練習したい。好きな所で邪魔されずに弾きたい」人のために作られました。その機能を満たすためのエレクトリック楽器ですが、形はもともとバイオリンが持っていた楽器としての意味性ははっきりと伝わるデザインになっています。見ただけでエレクトリック楽器で、かつバイオリンだと分かり、触ってみたくなる優れたプロダクトです。

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VWビートルの旧型と新型
 
 次は車の事例です。ビートルにはビートルユーザーというある種のマニアがいるのですが、その人達の気持ちに対して新しいビートルのデザインをどう示したか。

 新しいデザインは、21世紀の車にふさわしいディティールや面の処理、カラーリングを施しているにもかかわらず、全体的な形の処理はそれまでのイメージを引き継いでいました。

 おそらく企画段階では、それまでのビートルの形のままで中身だけ変えるという案も出たはずです。そうすると、どうなっていたか。もしそうなっていたら、みんな前の車の方が好きだと思ったはずですね。そういうダメな事例が次に示す事例です。

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ボルボV70系エステート
 
 ボルボユーザーの気持ちを掴めなかったために失敗したのがボルボです。あまり走ってないことを考えると、誰も買わなかったのでしょう。昔のエステートは今もけっこう見かけるのに、丸みを帯びた新しいエステートはあまり見かけません。

 このように街のデザインの前にモノのデザインをお見せしたのは、人々のデザイン価値に対する所有のOK/NOが「買う/買わない」ではっきり出てくるからです。


空間のデザイン

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MOROSOA-POC
 
 そのデザインが欲しくなるか、ならないかについて、別の視点から見ていきます。

 これは、つい先日ミラノで行われた国際家具展示場で行われたプレゼンテーションです。名作椅子シリーズのバタフライチェアに三宅一生が生地をカバーリングしただけで違う表情が生まれてきた例です。みんながこれは楽しいと大騒ぎしていました。これなんかデザインの力じゃないですか。

 ただ今まで見てもらった「買いたくなる」プロダクトデザインとは目的が違うんです。

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屋根-SALONE FIERA
 
 今日は都市デザインのエレメントやディティール、形について一石を投じないといけないので、ここからは空間デザインの話です。

 写真は、同じく家具展示場のサローネの屋根です。2kmぐらい続く歩道に架けられた屋根です。

 今年新しく作られたもので、建築デザインはマキシミリアム・フクサクという人です。私はこの展示会には10年近く行っていますが、会場の写真を撮ったのは初めてです。それまでは撮ろうという気が起こりませんでした。

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展示会場の写真新旧
 
 左側が去年までの展示会場です。ところが、今年(2006年)、右写真のような屋根が架けられると、オープンスペースの使われ方がガラッと変わりました。みんな写真を撮っていくし、ベンチでお弁当を食べるようになりました。

 この変化は、ただ屋根がかかっただけではなくて、そこに楽しい感じやそこで人々と盛り上がれる予感が出てきたからでしょう。それは、この屋根が持つデザイン、この微妙な形、ある特殊性を持った形の中から生まれたものだと言えるでしょう。

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京都駅駅ビルの大階段
 
 同じような事例で、京都駅ビルの大階段を挙げておきます。この駅ビルの大階段ではしょっちゅう何かが起きて賑わっていることは、みなさん感じておられると思います。

 しかし、この駅ビルの建設をめぐって賛否両論だったことも覚えていらっしゃるでしょう。京都にはふさわしくないデザインだという話はいっぱいありましたし、私も実は違うデザインの方が好きだと思っていました。

 ところが出来上がってみると、大階段という大空間の操作が功を奏して、今ではここでいろんなイベントや出来事が起きていて、ただの駅ビルにはない空間が生まれています。

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岡山県営中庄団地
 
 もうひとつ事例として挙げておきたいのが、塀の形です。遠藤剛生さんがマスタープランをされた岡山県営中庄団地の例です。これは一期の模様です。

 私が感動したのは、ここでは住民が勝手に花を植えたりいろんなことができる空間なんです。つまり住宅が出来たときが完成ではなく、そこがスタートで、住民が好きなように使って自分たちの住まいをデザインしていくのです。最初の計画がそれを実現させたことが分かり、とても感動しました。

 ちなみにこの住宅地が出来てから、地域の不良がいなくなったとか、防犯面からもいろんなプラス面が起きているそうです。

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閑谷学校
 
 今までお見せした空間事例は、デザインが変わることで人の行為にも変化が出てきたものでした。その形も特殊な個性を持ち、力強さを持ったものでした。それは、今出来た新しいものだから、そう思えるのかもしれません。

 しかし、多くの古いもの、例えばここに挙げた閑谷学校の塀などは、内部を大事にしたいという気持ちを訪れた人に感じさせるオーラがあります。これもデザインの力強さです。もちろん、これは自然発生したものではなく、昔のある時期に誰かが作ったものです。その人は今で言うデザイナーです。久保さんが出されていた一本杉の例もデザイナーが作ったものです。

 そういう意味で今我々が作る上で持っている力を、どうしたらもっと出していけるかが重要なことではないかと思います。

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アルカディア21
 
 閑谷学校の例と同じく「境界」の例で、江川さんが作られたアルカディア21を挙げます。

 私はここがとても好きなのですが、何故かというとこの場所をどうしたいかという意図が、見ただけで、また歩いただけで分かるからです。

 SをHに変換するには、建築雑誌で屁理屈を述べるんじゃなくて見ただけで分かるイメージが重要なんです。

 ここの街区の特殊性と意味合いが初めて訪れた人にも示されていると思っています。違う意見の人もいるかもしれませんが。


ライティング

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ライティングは空気のデザイン
 
 ここで、話をライティングに移します。

 照明のデザインとは、実は空気をデザインすることです。なぜここでそういう話をするかというと、デザインには何を目的としてデザインするかという問題があるからです。例えば、その場所に観光客にいっぱい来てもらうのか、反対に人にはあまり来て欲しくない場所なのか。その目的がライティングの運命の分かれ道になります。

 この写真は、大学食堂の例で、右側が私の手がけた仕事です。普通の食堂だと左側のような照明なんですが、右のようにただ光の色を変えただけで違う空気の雰囲気になりました。

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ライティングによる変化 改修前と改修後
 
 同じようにライティングを変えただけで違う空間に生まれ変わった例です。これも私の仕事ですが、何をデザインしたのかと問われても説明のしようがない。ちょっと目線に近い場所にして、光の色を黄色くしただけです。でも、場所の空気は完全に変わりました。日常的な問題に対するデザインの意味はこんな所にあるのではないかと思っています。

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エッフェル塔のライティング(出典:都市と光より抜粋)
 
>  ところが、中村さんが紹介された照明デザイナーの岡さんの投稿やエッフェル塔の例のように、多くの人に来て欲しい、あるいは来たく思わせる力強いものを作る場合も、全く違うデザインがありえます。

 エッフェル塔を例にとると、1984年までの照明は外から単調に照射しただけでした。現在の照明は内側からの照射で、内部の構造やシルエットまで見せてエッフェル塔自身が光っているようになっています。照明の変化で力強いデザインに生まれ変わり、新たなランドマークを作るという目的を達成しています。

 ですから、何のために作るかを考えると、日常的な空間とエッフェル塔では意味が全然違うんです。

 同じように建築や街でも何のためにその形を作るかを考えると、場所や目的によってS→H変換が変わってくるので、一概に善し悪しを同じ土俵では語れないと言えます。


個性的ということ

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何だろう、という感覚
 
 これは藤森照信さんが設計された神長官守屋資料館です。元々はこの土地を守っていたお家のために建てた小さなミュージアムですが、場所にも馴染んだデザインであることが分かります。

 しかし、近づいて見てみるとこの建物は明らかに強い個性を持っていて「何だろう、これは」という感覚を呼び起こすデザインです。なのに、人を大勢呼ぶ目的で作られたのではない。しかしながら、ミュージアムという公共性もある。では何がしたかったのだろうという疑問は残りまが、何度も行っても良い場所の一つです。

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高欄・手すり・蛇口…エレメントの集積
 
 次にお見せするのは石山修武さんが松崎町でなさった一連の出来事です。

 私がこの町へ行って感動したのは、町中に小さなオブジェというか変なモノがいっぱい付いているということです。例えば、町の人が使う水道の蛇口にもオブジェがくっついていたりする。なまこ壁が並ぶ普通の集落に変なモノがあちこちにあって、町の人が平然とそれを使っているという出来事が起きています。

 長八美術館と一連の建物もインパクトがありますし、「松崎町ってやっぱり楽しいよ。行ってみたら」と人にも言っています。

 しかし、それは石山修武さんのプロデュースというワンコンセプトだからではないかと思うんです。この町は、石山修武さんというとても強い個性の持ち主がやったから、いろいろ散らばっているけれど、ひとつに整っている町なんです。しかし、違う建築家がバラバラにやっていたら、違う印象になったかもしれません。

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世界でここだけにしかない、だから行きたい
 
 何故ここでこの写真かと言いますと、何故こんなイタリアの端っこまで行ったか、それはこの群としての個性が世界にここだけにしかない、だからこそ行って見てみたいということになるのです。

 これは自然発生的に出来た集落と今は言われていますが、集落の初期や整っていく過程を考えると、そこにもやはりデザインの力があったと思うのですが。

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ピーター・クックの美術館
 
 最後にお見せするのは、ゲントに建つピーター・クックの美術館です。赤煉瓦の町の中に、この何とも言いようがないトゲトゲ屋根の物体がデンとあることについて、「いいでしょう?」と胸を張って言える勇気のあるデザイナーは相当根性があると思いませんか。でも同時に「見に行きたくなる」デザインだと思いませんか。私は見に行きたいです。

 しかし、なぜこのデザインに「?」を感じるのでしょうか。他のデザインのように力強く個性を感じるデザインなのに、なぜ「OK」が出せないのか。たぶん、それは直感的に「この場所に馴染む」とか「なぜこのデザインだったのか」が分からないからだと思います。

 最後にあえて私が言いたいのは、力強いデザイン、つまり心を揺さぶられたり、行ってみたいと思い、「好きだ!」と言ってしまえる形とは「珍しい」とは切っても切れない関係にあるということです。「珍しい」も、とてもフレンドリーな言葉で、一般的な感覚です。だからこそ「S→H」が重要になると思います。「なぜそうなのか」「なぜこの場所にこうあるべきなのか」がはっきり見え、その上で個性を持っていると本当に良いデザインだと言いたくなるのではないでしょうか。

 以上です。

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