デザインによってできたこと
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デザインの本質とディメンション

大阪産業大学 金澤成保

 

 最初のプレゼンテーションで都市デザインやランドスケープデザインのいろんな事例を見ていただきました。長町さんの話では、さらにプロダクトデザインまで含んだ事例が出て、デザインって何だろうという本質的な問題まで触れていました。

 私もフォーラム委員会で議論したことも踏まえ、ここでデザインの本質について一度議論したいと思い、話を用意いたしました。


デザインの考え方について

 デザインについて、よくそれは生活にプラスアルファするものとか、贅沢なものとしてイメージされます。つまり、基本的なものの上に付け加えるものということですが、私はそうではないということをお話しさせていただきます。

 人間はもともと創造的な存在で、他の生物が環境に従属的に生きているのに対し、人間は環境に創造的に関わってきました。デザインはそうした人間の営み、つまり生活の全てに関わるものだと私はとらえています。

 しかし、デザインを固定的に考える、ある時代のある価値観で考えるんじゃなくて、人間がずっと生きてきた中で考えると、デザインあるいは創造性を封じ込めてはならないというのが私の言いたいことのひとつです。

 デザインの善し悪しの議論はあって当然だとは思いますが、その善し悪しの背景には社会性があり、社会によってデザインが選択されてきたことを忘れてはいけないと思います。

 先ほどプロダクトは市場の中で選ばれるという話がありましたが、市場も社会の価値観と言えます。社会の価値観にはそうした市場で売買されるということと、政治的プロセスによって選択される(都市デザインがそうです)という特徴があります。いずれにしても時代によって社会が変われば、デザインも変わってくるのです。

 ですから、この時代のデザインは良くてあの時代のデザインは良くないという議論をするのではなく、デザインは社会と共に変わっていくものだとの認識が必要だと思います。ただし、デザインは変えればいいというわけではなくて、残すのもデザインなら、守ったり継承するのもデザインなんです。

 どうも議論になるとデザインは予定調和的なものであって、それを固定的に考えていくという話が出がちなんですが、デザインは社会の様々な価値観や欲望と共に形成されてくるものであり、それらがぶつかりあい、均衡を達成したものがデザインとして定着してくる、というのが私の考えです。そして今後とも動的なプロセスの中で、デザインがつくられ選択されていくだろうと思います。ある時代や社会の特定の価値観に照らし合わせてデザインができてくるものではないのです。


デザインをとらえる3つのキーワード

 では次にデザインの本質的なことについて、先達の言葉から考えてみたいと思います。

 「不易流行」という言葉がありますが、これは新旧を超越して変わることのない本質「不易」と、「流行」、その時々を反映して変革していくものを根源において結合していくべきであるという考えです。これは、俳諧の概念ですが、デザインというものをいろいろ考えていくと、ひとつの大きなキーワードになると思います。

 ふたつ目は「デザインとは捨てることにある」という言葉です。デザインとはいろいろ組み合わせたり盛り込むものだという議論がありますが、これは私が昔勤めていた会社の社長の薬袋公明氏が言った言葉で、なるほどと思いました。

 みっつ目は作詞家の秋元康氏が紅白歌合戦の歌を選ぶ指針として「時代を表現しているものを選ぶべき」と言った言葉で、それが印象に残ったのでここに挙げました。これもデザインにつながるキーワードだと思います。

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青磁
 
 こんな風に考えていくと、優れたデザインはたいてい3つのキーワードに当てはまるように思います。例えば、青磁の作家で人間国宝の井上萬二さんの作品は、「不易流行」と「捨てる美」の両方が見える。長い伝統に裏打ちされた形を踏襲しているのに、現代性・前衛性にあふれています(もちろん、これは私の感じ方ですが)。

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IPODとソニー
 
 また、デザインの時代性についてはipodの例を挙げてお話しします。左がipodで右がソニーのウォークマンシリーズです。ご存知のようにipodだけ売れて、ソニーは売れませんでした。それは何故か。

 私の答えは「ipodの方が時代性を強く訴えていたから」です。ソニーの業績が良くないのも、ソニーの時代をとらえるデザイン力が相当欠落してきたからだと考えています。バイオのコンピュータは少しいいかなと思いますが。


デザインを三次元で考える

 つぎ、これらデザインの鍵となる概念をまとめてみます。

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三次元
 
 デザインを古い新しいで判断したり、捨てる美学を抽象的に語っても今ひとつ見えてきませんので、いろんなものを整理する意味でデザインの三次元の図を作ってみました。SKモデルとは私のイニシャルの略なんで、私が勝手に作った図と思ってください。あくまで、私にとってのデザインの三次元です。

 ひとつ目の次元は、「不易流行」の軸で表せます。「不易」には、時間、生と死、光や水の自然を探求するテーマがあり、これからも変わらない歴史的なデザインがある。「流行」には、人間の欲望や先進性がからんでくる。「時代性」の表現、変化が強く求められる。先ほどのピーター・クックの美術館はこの「流行」の先端にいると思います。僕に言わせると、あれもデザインです。創られた場所には議論の余地がありますが、一概に「あんなもの作るな」と封じてしまうことは創造的な存在としての人間のあり方を放棄してしまうことだと思います。

ふたつ目の次元は、「普遍性ー固有性」の軸で表せる。近年の建築デザインでは、ポストモダンが若干場所性とか固有性を目指す方向に来ているかなという気がします。一方、その対極には世界のどこにあってもいいようなもの・普遍性を目指すというデザインがあります。近代建築では、機能主義・国際主義の建築が普遍性を目指し圧倒的な影響力をもっていたのですが、市場にでまわるプロダクトデザインなども、かなり普遍性の方向を目指していると言えます。建築デザインの立場から言うと、砂漠だろうと京都だろうと同じものを作ればいいのだという立場と、固有性・場所性にこだわる立場の両端があります。

 先ほど言った「デザインとは捨てることにある」というのもひとつの立場ですが、実は捨てるだけじゃなく組み合わせていく立場も当然あります。みっつ目の次元は、「組み合わせるー捨てる」の軸です。例えば幕の内弁当のようにいろんなものが入っているものをデザインとして出すか、単品で何かいいものを目指すのかという選択肢になると思います。ipodはいろんな機能を捨てたプロダクトで、まさに単品を目指した成功例と言えますね。


時代感覚とデザイン

 時代感覚とデザインについておこなったケーススタディを最後に挙げておきます。

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 最近自宅用にソファを探していたら、きちんと座って背もたれがあるタイプではなく、こういう横になれるデザインのソファが多いことに気づきました。半分ベッドになった形と言うか、リラックスしてだらしなく横になれるデザインです。いくつものインテリアショップや家具売場を見て回ると、この形が今流行っていることが分かりました。

 このカウチベッド付きソファの流行は、ルーズソックスやパンツをだらしなく着る(腰パンと言うらしいです)若者の時代感覚と通じているのではないか。そういうことを考えていると、若者のいう「脱力感」、「メンドイ」という感覚、もうひとつ言うと「たれパンダ」をカワイイと思う感性は全部時代が求める感覚なのだということに至りました。その時代感覚がデザインに影響しているのではないでしょうか。

 それを若者側から見ると、着替えるのはメンドイからジャージで外に出ていくファッション感覚になったり、破れジーンズ、かかとつぶしで歩く姿になります。こういうファッションも、根本には時代感覚がそうさせているのだと思います。それが行動になると、「地ベタリアン」「便所座り」「どこでもネタロウ(ファミレスの眠りこける若者の光景です)」になっていくわけで、それもこの感覚の延長線にありそうです。

 そんな時代感覚を大人の側から見ると、マッサージや岩盤浴、エステなどのリラクゼーション・サービスに行く、コーヒーじゃなく癒されるハーブティーを飲むという行動になっていると思います。

先の「不易流行」でいえば、「流行」の現象です。 この辺の時代感覚を読めない人はデザイナーと言えないのでは?
 それを言いたくて、今日はここまで話しました。これで私の発表を終わります。

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