もちろん法律だけじゃなくて、社会システムの問題やコンサルタントの習性みたいな問題も背景としてあるんです。例えば「容積率600%の地区だけど、お前だったら何%でやってみせる?」と聞かれたら「800%ぐらいはいくでしょう」とつい答えてしまう。建築家がマンションで200%のところを195%にしたらディベロッパーの大将から怒られたという話もよく聞きました。容積率は出来る限り目一杯使えという容積神話があるんです。
世の中、経済原理で動いているんだから、それを無視して街をきれいにできるわけないという言い方もよくされます。法律や社会システム、専門家の思い込みという問題もずいぶんあります。それらを指摘しながら、ではどうしたらいいかを提案したのが本書です。
この前は1985年頃に行われた「都市景観行政」で、各局にまたがる形のセットメニューが大々的に行われました。またその前にも、各市町村が「景観条例」を作って、街並み保存の取り組みが各地で行われました。景観に関する取り組みはけっこうやっていたんです。
ですが、やはりそれだけでは限界があったのですね。
限界のひとつとして考えられるのが、まず法制度が疲労して現状に合わなくなったこと。もうひとつは、より根本的な問題ですが、近代が街を壊してしまったと言えるのではないかということです。近代建築思想と言ってもいいと思うのですが、それが街を壊す方向に働いてしまったと私は思っています。
例えばマルセイユにある「ユニテ」は「大地を解放する」というコンセプトですが、あれはコルビジェのオースマンのパリ改造計画に対する本音が結実したものであって、彼の「輝ける都市」の提唱は決して万国普遍の思想ではなかったのではないか。ところが、世界は「これこそが近代思想だ」とあっさり受け入れてしまったんです。これはまあ確かに一理あることで、絶対主義王権のもとで作られたパリの街はコルビジェにとって腹立たしいものだったでしょう。
しかし「ユニテ」をいっぱい作っても、あれは「街」にはならないでしょう。そういうコルビジェのスケッチもあります。ブラジリアなんかは徹底的に近代思想で作ってしまいましたが、とても街とはいえません。建築の集団があるだけです。いくらか評価できるとすればプラーノ・ピロットのクアドラ(住区)があるかもしれません。
つまり、近代思想は観念的なものを大事にする傾向がありまして、ものを実際に見たり肌で感じたりして生活し、生活の中で考えることをしない。実は日本の法律もそうで、生活実感より観念的なことを大事にしています。
例えば、日本の法律は空地(くうち)を絶対に良いものだと思っている節があります。だから、いろんな建築をさまざま拘束する規定の緩和をするとき、空地をとれば、その見返りとして制限の緩和をするということになるのです。つまり、空地を取引の対象にしているわけで、「空地さえ取ればどんな建物でもOK」となるのは、建築行政の発想の貧困さを露呈していると思うんです。その結果、街並みはどんどん壊れ、建物と建物の間が開いた今の日本の都市の姿になっています。
もちろん近代思想は壊しただけでなく、建て込んだ昔の街並みを直したり、狭い道路を広げたりしたことについては評価されるべきだと思います。しかし、今のシステムは建て込んでいる町中に超高層がニョキと建つことを許しています。それでは街をつくっているとは言えないのではないでしょうか。基本的には、これも近代思想がなしたことだと私は思っています。
景観破壊の背景
どうしてまちは汚くなったか
本の内容は全8章で、最後の第8章では提案をしています。基本的にはどの章もある対象領域に対して問題のある風景を取り上げ、なぜそんな風景になってしまうのか、その背景分析をしています。分かりやすい話としては、法律の改正が行われるたびに道路斜線の緩和が行われるので建物が浮き上がってくるのが時代を追って見えてくるのがあります。
近代思想がまちを壊した
今回景観法が大々的に施行されたことによって、今まで景観に関心がなかった人にも注目されるようになりました。それで「ようやく日本も景観のことを考えるようになった」と言う人が多いのですが、実は戦後だけでも3回は集中的な景観への取り組みが行われているのです。
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