景観法で都市は美しくなるのか
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日本の街並みのスタンダードとは

京都造形大学 井口勝文

 

前衛をスタンダードと思い込んだ日本の建築界

井口

 鳴海先生のお話と同じような事を、私も考えていました。

 私たち世代の建築デザインは、とにかく革新を目指す、まだ誰もやったことが無い、前衛的な作品を創る事を良しとしてきたと思います。そのことは戦後、近代建築一辺倒できた建築デザインの影響が大きいと思います。私もそういう風潮の影響をを受けました。私は教育者としては高齢層に入りますが、私に続く人たちも私と同じような影響を受けた人達で、その人たちも後の世代に同じような教育をしてるのではないかと思います。これは深刻な問題です。

 今私は、出来るだけそうならないように、私達がいかに間違っていたかという話をするようにしてます。そして「街」あるいは「場所」からデザインを発想していくという事をできるだけ具体的にわかりやすく話していきたいし、自分で仕事をするときもそうでありたいと思ってやっています。

 先ほどコルビジェは革命者だという話がありましたが、ヨーロッパの文化の中では間違いなく革命者です。しかし日本にそれをおいてみたとき、同じように革命者と言えるでしょうか。革命の悩みと苦しみを経験していない新しい文化は、ただの新しがりの文化です。無邪気に新しいものを楽しむ、気楽な文化です。これは建築だけではなくではなくて、日本の近代化がお手本として学んだ物がすべてそうだったと思います。

 パリで突然印象派に触れて帰ってきた人達が、あっという間に東京芸大を牛耳って、印象派が全てだと言い出しました。着実に油絵の写実を積み重ねていた高橋由一は簡単に忘れ去られました。当時のヨーロッパで印象派は、絵画の存在をかけた革命グループでした。それまで積み上げてきた写実の世界から、革命的に印象派が登場したのです。キュービズム、表現主義、ダダイズムと、その後に続きます。ヨーロッパで革命的なものが一気に出てきた、ちょうどその時代に、日本の近代化が出くわしてしまったわけです。

 ちょうどその時代に日本は近代化を始めたために、ヨーロッパの前衛美術の行き方がそのまま、何の摩擦もなく日本の美術界には受け入れられた。その結果、前衛であることが美術の、あるいは建築の使命であると思い込むようになりました。前衛を目指すことが、美術の常識みたいになってしまったのではないかと思います。

 我々はベーシックなスタンダード無しに、いきなり前衛をスタンダードだと思いこんでしまったのではないでしょうか。前衛というのは、スタンダードがあるから、それを乗り越える前衛が生まれるんであって、スタンダードの無い前衛というのはあり得ないはずです。観念的な前衛しかない我々は、いつも空回りしている気がして仕方がないんです。そして、それは建築の世界も一緒だと思います。


日本の街並みのスタンダードを導くには

 今、中心市街地で「街並みを見ろ」とか「街並みがどうか」といった話をするときに一番困るなのは、そもそも今の日本の街並みとは何なのかということです。中心市街地で「スタンダード」と呼ぶべき普通の家並みとは何なのかということです。それが無い。戦災と高度成長で、年を経た街のストックはほとんど失われてしまっている。だから街並みを見ろとか街並みとはこんなものだといった話ができないのです。ここでも空回りするしかないのでしょうか。

 そこで、土田さんにお聞きしたいと思います。建築あるいは都市のデザインの立場から何か「新しい都市のスタンダード」、我々が「こういう街を創ろう」という価値観を、皆が自然に共有できるような、具体的な街並みのイメージを、今からつくれるでしょうか。郊外の一戸建て住宅地ではそれが兎も角も成立していると思いますが、一般の市街地でそのようなスタンダードをつくることができるでしょうか。そのことをお聞きしたいと思います。

 そこで具体的に、2つの視点から、「新しいスタンダードを作れるか」という質問にしたいと思います。

 一つ目は「醜いものをとる」ことについての質問です。土田さんが、電柱を無くすだけで50%は街は美しくなると言われました。私は日本の都市は世界で一番清潔だけれど世界で一番醜い街だと思っています。土田先生は電柱をやり玉にあげられましたが、電柱とガードレールと、いい加減な植栽や看板、これらを取り除けばそこそこ見られる街になるんじゃないかと私も思っています。

 そうすると先ほどのスタンダードの一つとして、とにかくまず皆が汚い物と思うものをとってしまう、醜い物をとってしまうということが、あるんじゃないかと思うのです。電柱なんかがあると「醜いよね」と言ったときに、「そうだね」と、皆が言ってくれればそれでいいのですが、この醜い物への同意を得る作業は割と楽じゃないかと思います。

 ただ、それを実際に取るとなると、これはなかなか難しいでしょう。一度作ったものをとるのですから。しかし中心市街地の無電柱化はこの10年でずいぶん進みました。国民が、そして国や自治体がその気になれば案外早くに日本の町はずっと美しくなるかもしれない。電柱の無い町がスタンダードになれば、無電柱化はもっとずっと進みやすくなるし、看板などの目障りなものを撤去することも案外早く進むかもしれない。「美しい町」を意識する突破口になるかもしれない。そのあたりのところは、土田さんはかなり楽観的に考えておられるのでしょうか。あるいはやはり難しいと見ておられるのでしょうか。


我々が造った美しさをもっと評価すべきでは

 二つ目は、醜い物を取るだけでなく、美しい物を創っていかなければならない。そのことに関する質問です。

 先ほど私は日本は世界中で一番醜い都市だと言いました。それでも最近街を歩いていると、大阪でも東京でも地方都市でも、ふと「ああ日本も美しくなったなあ」と思ことがあります。私は福岡出身ですが、福岡市では特に都心部がほれぼれするくらい美しくなったと思う時があります。

 高度経済成長の1960年代から90年代のバブル期にかけて、日本は今の都市を造り上げました。

 その30年間で造った都市を見ていくと、確かに我々はまずいことも沢山やりました。私も悪いこともやりましたが、ちょっと見方を変えて好意的に見ていくと、なかなか良い所があるじゃないかということが、結構あると思います。このことは土田さんの本の中にもいくつか出ています。

 そのひとつに、大規模開発は悪いところもいっぱいあるけど良いところもあるという話しがありました。私自身、いくつもの大規模開発に携わってきましたので少々口幅ったいのですが、大規模開発には確かにそれに関わる人の夢がこもっているんです。皆がこれがいいと思ったことが大規模開発では割と実現しやすいのです。

 そのように好意的にここ30年間の実績を見ていくと、この現代の日本の都市の中にも、我々が創ってきた「全く新しい都市の美しさ」というべきものが、わずかかもしれないけれども見えてきているのではないでしょうか。そこのところをぐっとクローズアップして、我々がこれから創ろうとしているのはこういう街ではないかと示すべきではないかと思います。

 それに対してみんながなるほどそうだね、ここが良いじゃないか、といった反応があれば、これはスタンダードに繋がっていくと思うのです。そんなふうに、いかにして新しい都市のスタンダードを生み出していくかということが、都市環境デザインに携わる我々の一番大事な仕事ではないでしょうか。そしてその方法としてローカル・ルールあるいはローカル・マスタープランの作成であると土田さんは仰っているのかな、と解釈したのですがいかがでしょうか。

 景観法が出来、国あるいは地方自治体が新しい大事な仕事として、我々にこの仕事、新しい都市のスタンダード探しを出してくれることを期待します。我々の方からも住民に積極的に問いかけていって、我々が目指すべき景観を捜していく動きへと、繋げて行くべき時ではないでしょうか。

 我々の新しい大事な仕事となるべき、その辺の可能性を土田さんはどのように見てられるのかお話し頂けたらと思います。

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