鳴海先生のお話は、まさに今私が置かれている立場をダイレクトに代弁してもらった感じで聞いておりました。この先どう考えるかは本当に私の課題です。「デザインの力」という今年のフォーラムテーマを聞いたときから、私自身、デザイナーの力とは何だろうとずっと考えていました。
私たちの世代のデザイナーは、鳴海先生がおっしゃったように、評価されて時流に乗っていくところがあります。特に建築はクライアントがいて成立するものですから、クライアントの理解や評価がないと、いくら良いことを言っても形にならないんです。いろんな条件をクライアントから聞いて、それを自分が一番いいと思える形で表わさなければならない仕事で、それが楽しみでもありプレッシャーを感じるところです。
ただ、それは自分の中では一番正しいと思ってやっているのですが、目立ちすぎだとかそんなデザインの手法はないという批判が来ることは分かっていても、若手デザイナーとしてはやらざるを得ないというジレンマを抱えて日々仕事をしています。その自分の仕事のうち数%にしかならないのだと思いますが、都市についての関わりも出したいともがいているのが実情です。
今言えることは、いろんな評価があって多方面からたたかれても、我々の世代としては出していくしかないと思っています。その出し方をデザイナーはいろいろ考えているのですが、今は安直な言い方ですが、出すしかないという気持ちで進んでいるところです。
ポピュリズムの流れの中で物事が決まっていることに対して、どんな対抗策を我々は考えるべきか。その議論はぜひ聞きたいと思うものの、僕自身はどんな対抗策がとれるのかよく分かっていません。その問題は常に考えなければいけないということだけは分かっているのですが。
仕事を求めるためには、「人がいっぱい来るのがいい」というポピュリズムの道に入らなければならないのはおっしゃる通りで、現場でものづくりに励む人は日夜それで戦っているんです。学問でそれを研究しているわけでなく、現実に目の前にある戦いであることがデザイナーにとって一番大変なのだということしか言えないです。それで苦しんでいるデザイナーは多いし、僕もそれで困っているというのが今日の正直な感想です。
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