丸茂:
ポピュリズムについて、イタリアから来られたエレーナさんにうかがいます。
イタリアはデザインの国ですよね。日本は今、大衆に迎合したデザインがあふれているのですが、イタリアでも車のデザインではポピュリズムを意識せざるを得ない状況にあるのではないかと思います。
イタリアと日本ではポピュリズムの質が違うのかどうか。大衆の欲望に対しては、デザインナーはどういう意識で臨んでいるのか。その辺をお聞かせいただけたらと思います。
ポピュリズムは日本語に訳すとどんな言葉になりますか。
丸茂:
大衆迎合主義と言いましょうか、一般の人たちの趣味に合わせるという意味ですね。
エレーナ:
イタリアではポピュリズムのコンセプトでの発注はまずありません。何故かと言うと、イタリアではポピュリズムはネガティブな意味合いにとらえられているんです。ポピュリズムの品物とは平均以下の商品というイメージです。つまり、個性がない、自分らしさがないものが大衆的なものというイメージです。
イタリア人にとって、良いものとは自分らしさを表現できるものですから、日常的な生活の中でも「自分らしさ」「個性」のあるもの、つまりいい気持ちになれるものを探しているんです。都市空間だって、きれいな格好をして散歩できる魅力的な所が欲しい。みんなそう思っていますね。広場で友達と会話するのが楽しくなるいい環境、そんな魅力のある空間がまず大事です。そうでなかったら、みんな外へ行こうと思いません。だから、イタリアの街では昔から大きな教会と広場が魅力的に作られてきて、そこが人々の社交場になっています。
そんな人々の思いを知っているから、発注者も魅力的なものを作らなくてはいけないんです。
ただ、イタリアでも過去に悪いケースもありました。ニュータウンなんかそうですね。大急ぎで安上がりに作った魅力のないものです。
ルネサンスの時期に作られた街が、イタリアでは一番おさまりのいい調和のとれた空間だと思います。
ポピュリズムについて発言させてください。浜野安宏さんが商業施設でありながら「Low Key」と言ったことを話しました。また、シー・ユー・チェン、バブル時代の
あの頃は、大衆迎合と言うのか、とにかく人を呼ぼうとやってました。しかし、今考えてみると、大衆に迎合していたのではなく、大衆を煽っていただけなのかもしれない。本当に大衆が求めていたのではなく、僕らが勝手にそう思っていただけかもしれません。
それで、最近私はデザイナーは責任を持てと、反省しています。商業主義社会では大衆は何かを求めているのではなく、差し出されたものを受け取らされているだけなんです。大衆の所為にしてはいけない。今の状況は、デザイナーが、「大衆が求めている」という自分の勝手な幻想で作っているんじゃないでしょうか。そうやって大衆を限りなく煽っているのです。建築のできばえは施主七分に棟梁三分と、先輩には諭されましたが、いずれにしてもデザインの実務はデザイナーの価値観がが大きく左右する。「大衆に迎合している」というのは嘘だ。好ましくないデザインが氾濫しているとすれば、その責任はまずデザイナーにある。自分自身の反省から、そう申し上げます。
今までの話からひとこと。
大衆ってそんなに悪い存在ですかね。大衆迎合主義は、コマーシャリズムや消費主義に巻き込まれている今の我々の風潮に過ぎないんじゃないでしょうか。日本の歴史で言えば、江戸時代の文化は町人と呼ばれた当時の大衆が創りました。戦後の日本の経済繁栄も大衆の力です。大衆が巻き込まれている状況は批判すべきですが、大衆がいけないという議論になってはならないと思います。
もうひとつ社会的観点で言うと、明治以降、我々(つまり大衆)は自国の文化や優れたものを評価する目を失ったままで現在に至っていると言えるでしょう。これは大きな問題だし、それは指摘するべきでしょう。
それから、さっきから出ている議論の中で、我々デザイナーの責任という言葉が出ましたが、専門家として何をすべきかというと、クライアントと一緒にコラボレートするんじゃなく、クライアントを説得してクライアントの思っている以上のことを出すべきではないか。クライアントの下働きやニーズを実現するだけのものではないことを、デザイナーは自覚すべきです。どこまで実現できるかは別として。
クライアントは当面の利益を第一に考える存在ですが、建築も都市も数十年残っていくものです。だから、都市を作ったりデザインする行為は、未来の暮らしの形を作ることにつながるんです。だから我々は常に未来はどんなものか、それは変化する部分だけじゃなく不易の部分も含んで考え、提案していかなくちゃいけない。それができずにコマーシャリズムや消費主義に迎合してしまうなら、どうぞ他の職種に移っていただきたいと思います。
だから、我々は大衆に足らないものを常に求めていかないといけないし、それをデザインや文章で表現していかないといけないのです。クライアントの下につくんじゃなく、クライアントにどれだけ未来や都市を提案でき、形として表現できるか、それがデザインの仕事です。それをずらすと、おっしゃっているように大衆迎合主義になって問題があるということです。そのスタンスは、若い人だけでなく我々もいろんな場面で確認せねばいけないとは、前々から思っています。
ポピュリズムについて
イタリアではポピュリズムはコンセプトにならない
エレーナ:
迎合したのではなく、大衆を煽ったのでは
井口:
ディスコのプロデュースで良く知られてましたが、彼もその後「もうデザインはイヤだ」なんて発言しています。いずれもバブルの頃に大活躍していた人たちですが、ひょっとしたらバブルでやりたいだけやってうんざりしてしまったのかなと思います。僕も似たような環境で仕事をしていました。
大衆がいけないという議論はいけない
金澤:
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