ジャワ島中部地震 復興状況の報告
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被害集落事例

 

 いろんな集落等を訪ねたのですが、特徴が整理できるところをいくつかご紹介します。

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被害集落事例
 

ジャティ

 ジョグジャカルタ市から南東方向郊外に向けて車で走り、バントゥール県に入ると沿道に崩壊した集落が点在し始めます。この辺りはすごく被害が大きかったんだね、といって一番最初に入った村がジャティ(Jati)です。

 ダニさんという村長さんとお話したのですけれども、集落の98%の家が全壊したとおっしゃっていました。648世帯で22人が亡くなったということです。倒壊戸数のわりには亡くなった方が比較的少ないという印象です。

 地震が起こったのが早朝で、最初のお祈りの時間の直後くらいだったそうです。それで比較的起きていらっしゃった方が多かったことが幸いしたようです。

 ここには公的支援が全く入ってきて無いとおっしゃっていまして、NGOが少し支援に入っているくらいで、どちらかというと自力再建、相互扶助ということで、廃材を再利用しながら再建を進めているそうです。

 村長さんの職業は医者で、本来はジャカルタにお住まいです。たまたまこの日、実家に帰っておられて、震災にあい、そのまま残られました。英語もとてもお上手で、彼のおかげで、この村の状況がわかったというわけです。

 ここでは灌漑施設に被害が出ていて、次の田植えの時期には農業が厳しいとおっしゃっていました。

 また、社会的資源が不足していると、それから専門的な技術が不足していて、なかなか再建は難しいということでした。


ジェティス

 その次に立ち寄ったジェティス(Jetis Koanbang Songo)は、見たところほぼ全壊という感じでした。ここは国の支援プログラムが適用されており、一人あたり3000ルピア×1ヶ月の公的支援をもらったとおっしゃっていました。

 でもその後は自力再建でということで、資材の供給が少しある程度ということでした。


コタグデ

 それから、コタグデ(Kotagede)に行かれた方も多いと思いますが、ジョグロ(ジャワの伝統的屋根)の77%に被害が出ていました。全壊8棟、居住が不可能になっているのが47棟、一部損壊16棟、何らかの被害があったのが17棟とお聞きしています。

 ここではNGOを中心としたいろんなグループが、地元の人達や大学と共同して、仮設から本設復興が進められています。

 コタグデは、古い歴史的資源の豊かな都市で、また、銀職人など、手工業が地域産業となっているまちです。そのため、歴史や職人などテーマ型の復興が、生活再建とあわせて試みられており、外部資金調達や文化財復興支援の資金といったものを合わせながら、仕事場と住まいの再建を一体的に進めています。いろんな職人の支援を進めています。仕事を作りながら、総合的な復興を進めていこうとしています。

 コタグデでは、歴史的、文化的価値がある家具とか彫刻やきれいな柱とかいったものが、生活資金を調達するために売られてしまうらしいのです。住民の方にその価値を認識してもらい、それらをいかに守って、伝統的、文化的なまちの個性を復興していくかが一つの課題です。

 歴史的建造物で保全対象となっている寺院の被害も大きかったコタグデは、歴史的な都市として国際的な関心も得やすく、シタさんお努力もあって、町並みや文化が意識されていると思います。


カソンガン

 カソンガン(Kasogan)は焼き物の村です。かなり被害が大きかったものの、窯は結構生きているようで、もうすでに火の入っている窯が多かったですし、幹線道路沿いのお店は、開いているところが多く比較的復興が始まっているようでした。

 ここはガジャマダ大学のイカさんが調査に入っていますし、他地域からの支援もあるなど、他地区と比べるとかなり手厚く支援が入っている印象を受けました。

 神戸のときもそうでしたが、皆が知っているところや入りやすい所に支援が集中する傾向がありましたよね。そのような状況は結局どこでも同じだと思いました。

 ここではコアハウス型で住宅再建が始まっていまして、これはまた後で説明しますが、資金はバークール(Bengkulu)というジャガルタの西の方の自治体からの支援があり、技術支援はガジャマダ大学が行っているところです。

 どちらかというと、国というよりは、自治体とかNGOとか、そういった多様な主体やプログラムの支援を組み合わせることで、それぞれの状況の中で自立型で再建に向けて努力している、動いているという感じでした。


イモギリ

 イモギリ(Imogiri)も、大きな被害があった所です。先ほど民間資金による仮設提案を見て頂きましたが、ここはバティック職人が集まっているまちです。ここでは、バティック職人の作業場を提供し、弱い立場の女性の仕事の継続を確保することから生活再建の支援が始まっていました。


共同仕事場/文化保全と生業持続による生活再建支援

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復興プログラム2:共同仕事場(Imogri)
 
 イモギリでは、バティックの共同作業場を供給して、仕事場と仕事と生活と居住を一体的に復興していくプログラムも行われています。

 家だけ作っても生活は戻らないというのは日本の長田の場合も同じでした。ここでは、仕事と生活をどう再現していくかをセットで取り組んでいくというわけです。


相互扶助(ゴトンヨロン)

ジャワの文化には、「ゴトンヨロン」という相互扶助のしくみがあります。これが、集落再建では、有効に機能していると思いました。

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 これは最初にご紹介したジャティ村長のダニさんが、村の人達総出で、皆で集落の人の家を順番に少しずつ再建していこうとしています。これもゴトンヨロンです。

 自治体や個人、集落など制度上に位置づけられている単位が制度上の支援の対象になりやすい。しかし、非常時に、制度が十分機能しない時には、地域の自立的判断、支援が基本となります。

 ジャワでは、日本で言うところの町内会のようなコミュニティの単位が地域の協働において機能していて、これが復興支援の際の一つの単位になるのではないかという気がしました。

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