このキーワードは自分のことを言われているような話で、耳の痛いことや参考になることが多々ありました。
私も常々「経済主義の中で、デザイナーはどう生きればいいのか」と葛藤しています。鳴海先生が定例セミナーで取り上げた「悪党芭蕉」もこのことに近いものがあったと思いますが、おそらくデザイナーにとっては永遠の課題になるものでしょう。
シンポジウムでは「デザイナーは、はっきりとこの場所にはこのデザインであるという表現をすべきだ。多目的な提案をすると、結果的には無目的になってしまう」という話が出ました。
「デザインをする場合は、モノ、マテリアルの力を信じることが重要だ」ということに通じるのだと思います。
前川国男の言葉だと紹介されたのですが、「近代建築は空間であるということは間違いではないか」と晩年に言っていて、「建築はマテリアルとディティールで作るべきだ」と言ったそうです。
また、デザイナーを考える視点を少し変えて、まちづくりにはいいパトロンが必要だという意見もありました。
デザイナーはパトロンに教育するというか、デザインやまちづくりの重要性を知らせる役目があるのだという意見です。
それ以外にも、地域の特性を生かすにはデザイナーや専門家がいないと、コミュニティや一般の人たちだけでは難しい。
デザイナーや専門家には地域の良さをきっちり引き出す役目があるとの示唆がありました。
最後に、デザイナーは自分のデザインに誇りを持って仕事をすることが大事だという話がされました。
デザイナーの役割は専門家であって、媒体者であり(北川さんの発言)、また自らが活動家であるべきだと位置づけられたと思います。
私自身はデザイナーのことを考えたときに、前川国男の晩年の言葉を思い浮かべてしまいます。
それは「建築家を志してこのかた、常に脳裡を離れなかったのは建築家はいかに生くるべきかということに尽きる」という言葉です。
こういうことをずっと思い続けて建築をやっていたんだなと思うととても共感します。
前川さんのような巨匠がこんな風に生き方をずっと考えていていいんだと思うと、ある意味ほっとしました。
JUDIで様々な勉強をしていくことも、デザイナーの生き方のプロセスを踏んでいるような気がしています。
「建築家はいかに生きるべきか」という思いをずっと抱き続けることが、建築家としての心構えだと思いました。
キーワード3:デザイナー
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