路地からのまちづくり
左三角
前に 上三角目次へ 三角印次へ

神楽坂が目指すもの

粋なまちづくり倶楽部 寺田弘

 

 私は東京・新宿の神楽坂という町で「粋なまちづくり倶楽部」というNPO法人に携わり、現在はそこでまちづくり活動をしています。私自身は8年前まで普通のサラリーマンで住友軽金属で人事の仕事をしていました。退職後は文芸の編集をしております。そんなわけで、まちづくりに関してはずぶの素人なのですが、13年前にふらりと神楽坂に立ち寄って「これは良い町だ」と感じて、それ以来ずっと関わっています。


神楽坂の歴史とNPOが出来るまで

画像tr02
神楽坂通り
 
 神楽坂の位置は、言ってみれば東京のど真ん中です。この写真は神楽坂通りです。「街並み環境整備事業」のまちづくり協定によって、高さ18メートルの規制がかけられています。

画像tr03
毘沙門様
 
 これは町のシンボルの毘沙門様です。

画像tr04 画像tr07
 
 料亭の路地です。生活空間の路地ではなく、もてなし空間の路地であることがここの特徴です。坂のある町ですから、あちこちに階段があります。これもなかなか雰囲気のある空間です。

画像tr09
 
 これは今年(2007年)1月から放映されているドラマ「拝啓、父上様」のポスターです。神楽坂の料亭が舞台になっていることから、土日にはどっと観光客が来るようになりました。賑わうのだから町としては嬉しい状態と思われるかもしれませんが、一方では開発狙いのディバロッパーが虎視耽耽としており、私は町の危機だと思っています。

画像tr10
神楽坂のエリアマネジメント(神楽坂のまちづくりの課題とビジョンづくりと地区計画の位置づけ)
 
 神楽坂は元々が花柳界で栄えた町です。明治から昭和の戦前まで、大変賑わっていました。特に大正12年の関東大震災では高台にあった町は無傷で残り、昭和10年代までは東京随一の繁華街でした。

 しかし、その後、渋谷、新宿、池袋がターミナル化して神楽坂は繁華街としては地盤沈下し、昭和20年の東京大空襲で町が全焼してしまいました。花柳界そのものは素早く復活しましたが、なかなか昔の繁栄を取り戻すには至りませんでした。トドメは昭和40年のオイルショックで、その後は町は寂れるばかりです。全体としては何とも淋しい町になってしまって、ここ10年来「何とか元のように賑わう町にしたい」というのがここに住む人の切実な願いでした。

 平成3年になると、行政(新宿区)の呼びかけで、新宿4拠点のひとつとしてマスタープランを作るという話が浮上しました。その時集められたメンバーが自主的に「まちづくりの会」を創設したのが、今のNPO「粋なまちづくり倶楽部」の始まりです。

 その時神楽坂をどんな町にしたいかを話し合い、「伝統と現代がふれあう粋なまち」をテーマに決めました。私が参加したのは3年後で、なかなか面白そうなことをやっていると入れてもらいました。平成6年から13年間、この町の人たちと一緒に活動してきました。今、私はNPO法人の理事長に選出されましたので、陣頭に立っていろんな活動をしているところです。


「もてなし」をキーワードにしたまちづくり

 私たちが提案しているのは、神楽坂が持つ町の遺伝子として、人を迎え入れてもてなしてきた歴史があるのだから、「もてなし」をキーワードにしたまちづくりです。「もてなし」をキーワードにして町を見たとき、どんなふうに考えていけばいいのか。私はそれは「場所」「時間」「人」の三つで構成されるものだと考えています。

 まず「場所」です。

 神楽坂は花柳界があって坂があって、もてなしの路地があります。東京ではこのような石畳の路地は珍しいものですから、とても魅力的なんです。私もこの路地空間に魅せられて、神楽坂にはまったようなものです。ですから、この路地を「もてなし空間」という町の装置として磨き上げたいと考えています。生活空間の路地ではなく、料亭のもてなし路地として大事にしていくことがまちづくりの大きな柱です。

 ふたつ目は「時間」。

 花柳界の町ですから、昔は三味線が流れて常磐津や新内が流れる町でした。今はそんなふうにはいきませんが、それでもそんな「和」を感じる良い時間の流れる町にしていきたいと考えています。そのため、落語の会やお能の会を度々開催しています。忙しい現代社会の中で、ここに来れば心和む時間が過ごせるようにしたいと思っています。

 最後は「人」。

 「もてなし心」を理解してくれるキーマンを主役にして、神楽坂で活躍してもらおうと考えています。具体的には、今、月1回、町の人を講師にして店の歴史だとか思い出話だとか、いろんな話をしてもらっています。

 最盛期の神楽坂には料亭が150軒、芸者さんが400人もいたのが、今は料亭9軒、芸者さん30人になってしまいました。花柳界は今にも消えそうなんですが、これがなくなったら神楽坂は終わりだよと言って、「場所」「時間」「人」のキーワードで町の人と語り合い、活動を続けています。


町に飛び出した美術館

 こんな活動をしているうちに、神楽坂にはいろんな人が集まるようになりました。そのシンボリックなイベントが、「まちに飛び出した美術館」という催しです。京都の祇園祭の宵山で「屏風祭り」が行われるように、いろんなお店に協力してもらって自慢の宝を出してもらったんです。陶器のお店の人はもちろん陶器ですが、映像を作っている会社なら自慢の映像、花柳界の人たちも自分たちができる「芸」を出してきました。もうこの催しは8回目になります。

 これの何が面白いかと言うと、伝統的な和の世界があるかと思えば、全く現代的なアートの世界もあって、いろんな価値観のぶつかり合いがあるんです。また、今は昔からのお店だけでなく、よそから来たお店も増えていますから、そうした新しいお店からの出品も今までなかった新しい息吹を感じさせます。


活動を続けると、人々の意識に変化が

 こんな活動を続けているうちに、町の人々の意識にも変化が出てきました。一言で言えば、町に対してプライドを持ち始めました。昔は寂れた町に住んでいると自信を失っていたんですが、今は「良い町に住んでいる」と思えるようになってきたんです。

 もうひとつの変化は、新しい住人の参加です。この路地の町の新たな魅力を引き出してくれる文化的な人が住人になったり、センスのいい小さなお店があちこちに増えて、それを目当てのお客も集まってくるようになりました。5丁目が花柳界で、6丁目は生活空間の漂う町だったのですが、そこが変化しているのです。文化的なものが神楽坂に根付くようになりました。

 3番目の変化は、いいコミュニティが生まれつつあることです。新しい人と従来から住んでいる人が混じり合って「神楽坂はいいコミュニティがあるぞ」といわれはじめています。そうすると何か良いものが生まれそうだというところに魅力を感じるのか、若い人も年輩の人も町に来るようになりました。こんなふうに最近の神楽坂は活況を呈するようになっています。


これからの課題

 最後に、これからやらなければならない課題についてふれておきます。

1)場所
 神楽坂の路地は何があっても保全するのがまず第一です。これは地区計画によって守っていきたいと思っています。これは専門家のみなさんに言わせると「そんなバカな」ということになるらしいですね。道は基準法によって4mと決められていますから。でも私は素人ですから「なぜ4mでないといけないのか。2.7mでいいじゃないか」と言っているのです。防災が必要というなら、道路以外のことで考えたらいいじゃないか。

 そんなことを今新宿区と話し合っていて、建て替えの時もセットバックする必要なしというふうにしたいと思っています。本でも紹介されている大阪・法善寺横丁の建て替えはとてもいい刺激になりました。行政も「まあいいかな」という感触になっています。平成19年度中には3、4丁目エリアの一部で高さと用途を規制した保全型の地区計画を新宿区に策定してもらう予定です。京都の新景観政策は我々にも励みになりました。我々も何とかやり遂げたいと思っています。

2)時間
 さっき「良い時間の流れる町にしたい」と言いましたが、正直言ってこれは人がお金をかけて運営して守っていくものでなければ続きません。町全体の運営そのものだと思います。イベントだって一過性じゃ意味がない。着物が似合う町にしたければ、お金と時間をかけてやるべきでしょう。良い時間を流すためには、大変な運営努力がいると考えています。

3)人
 人については、まちづくりに意欲を見せる人たちが育ってきています。最終的には、「粋」という生活美意識に基づいて「自分たちの町は自分たちで運営していこう」と住民自身が自覚して欲しい。こうなることが、我々NPOの目標だと考えています。

 

 最後に、今神楽坂が抱える問題について一言。東京は、人気のある町、ない町がはっきりしてきていますが、人気のあるところはディベロッパーが狙っているんです。テレビドラマの舞台になったら、すぐにやってきます。だけど、一度手放してしまったら、町はそこで終わりです。光り輝く町も、消えるときは一瞬です。だからこそ、本当にこの町が好きなら「守る」という信念でやっていかねばならないのです。

 東京の中で、少々建物の形は変わっても「神楽坂らしさは変わらない」といった意気込みで町を住民が運営する、こんな神楽坂のような町があってもいいじゃないですか。だから、私たちは路地は守るし、和の時間にこだわるし、イキのいい人間と一緒に他人を思いやれる仲間を育てたい、そんな町を作っていきたいと考えています。

左三角前に 上三角目次へ 三角印次へ


このページへのご意見はJUDI

(C) by 都市環境デザイン会議関西ブロック JUDI Kansai

JUDIホームページへ
学芸出版社ホームページへ