緊急討論・京都新景観政策を考える
左三角
前に 上三角目次へ 三角印次へ

3. 論点2 都心地区の将来像

小さな職住共存、大きな職住共存

大阪芸術大学 田端修

 

 新制度では職住共存地区と言われている京都の都心田の字の内部市街地について、高さの限度が15mという制限が話題になってきています。これでどのような住み方ができるのか、どんな町並みができていくのかということが、少し整理されなければならないと思います。


都心部人口の推移と町家の地域維持力

画像ta06
都心部における人口(棒グラフ)・人口密度(折れ線)の推移(1955〜2005年)
 
 これは京都の上京区・中京区・下京区(都心三区)の夜間人口の動きを示しています。グラフを見ていただきますと、人口全体の動きは、ピーク時と思われる1955年からドンと下り、95年くらいから少し上り始めます。こうした推移は大阪・神戸・東京の各都市も同様です。

 人口密度の推移をみると(折れ線グラフ参照)、他都市の都心区に比べ、京都は倍くらいの人口密度で人が住んでいます。これは何故だろうかということです。

 都心部には普通、都心型の業務機能が集まってくるため、夜間人口がどんどん弾き飛ばされていくのですが、京都の場合は元々住んでいた人達が、主として町家やそれと同等の建物の中に住んでいる。

 そのベースになる「町家」居住の継続による人口密度の高さを示していると解釈することができると思います。

画像ta02
土地利用構想図、1969
 
 そういう状況は、京都市のマスタープランの中でも描かれていました。これは昭和44年のもので、中心業務商業地域は一つの色で塗られています。

画像ta03
都市機能配置計画、1985
 
 その次の昭和60年のマスタープランになりますと、ピンク色で幹線道路沿いに田の字が描かれます。

 その内部市街地が職住共存地区にあたる場所で、中心商業地区として田の字とは区分されているわけです。その説明を見ていくと居住と仕事を共存させ、商業機能を振興させるという二つの項目を並びで記述しています。60年くらいから都心であるけれども人が住む場所でもあるということを明文化しながらマスタープランが書かれています。

画像ta04
都市機能の配置、1993
 
 平成5年になると、田の字の内部市街地は、中心商業地区から商業・居住地区へと名前が変わります。

 つまり都心だけれども、居住というものが明らかに意識された、そういう地域イメージがいっそう強調されくるわけです。同時にこの新京都市基本計画のなかでは、職住共存地区という特別枠の地域設定づけが示され、新景観政策での職住共存地区の位置づけに繋がってきているわけです。

画像ta05
土地利用方針図、2002
 
 これは先の例とは少し色合いの異なる「都市計画マスタープラン」ですが、職住共存地区(ハッチを入れた部分)として、きちんと位置づけされてきているわけです。

画像ta07
京都の典型的街区における建ぺい・非建ぺい地の構成、1938(出典:森田慶一ほか「都市測量の新方向〜京都市中心部における街割調査」『建築学研究』1938.12)
 
 ではこの職住共存地区は、いったいどういった町なのかということですが、図は少し昔のまちの様子を描いているものです。左側は平安京以来の120mブロックがそのまま保たれている大きな街区です。右側は秀吉の時代に街区の中央部に南北道路を入れた場所です。

画像ta08
(京都の典型的街区における敷地区分図、1938(出典:森田慶一ほか「都市測量の新方向〜京都市中心部における街割調査」『建築学研究』1938.12)
 
 京都都心街区にはこのように四角いタイプのものと矩形のものの二つタイプがあります。一街区そのまま残っている街区では、真ん中あたりに行きますと、60mくらいの奥行きの敷地になります。

 もう一方の矩形街区の場合は、短いほうの半分ですので、奥行きが30mくらいになるという形です。

 間口のほうは敷地の持ち主の仕事の不具合などが関係し、栄枯盛衰につれて、分割されたり、隣地を吸収するなどで大小さまざまに変わっていきます。

画像ta09
標準的町家街区の建築諸元、Aが正方形、Bが矩形街区、1938(出典:森田慶一ほか「都市測量の新方向〜京都市中心部における街割調査」『建築学研究』1938.12)
 
 古い時代の街区や敷地の諸指標をまとめたものですが、矩形街区(B)の場合は間口がだいたい6〜7m、奥行きが30m程度が多く、一戸当りの敷地面積が平均で135平米くらいと、そんなに大きくないのです
 が、正方形の街区(A)の場合は210平米のように少しサイズが違っています。こういうところで町家が建つとどれくらいの容積率になるかは、「延べ建築比」で示されています。どちらの街区も100%を少し越えたくらいになっています。

画像taba
京都都心部の一街区における街区構成の変容(1930年と1980年)
 
 これは同じ街区での1938年と1980年の建物利用を見ているものです。1980年の細長い敷地にハッチが入っているのは堅牢建築物(コンクリートや鉄骨でつくられた建物)です。38年の敷地と同じ形で建っていることがわかると思います。しかも1980年ですので、現在のような景観規制がなく、一般的な建築規制のなかで建設された結果であり、道路側に少しオープンスペースをとって、あとは目一杯につくるという形で建っている様子が見えます。都心の街区では町家を標準とする敷地形態がほとんど変わらないままに受け継がれていることも、この図からわかります。


小さな職住共存の向かう方向―これを誘導する町家敷地

画像ta10
新・京デザイン提案募集デザイン部門〜職住共存地区のための提案・入選作
 
 2006年夏に、京都市で「新・京デザイン提案募集」のコンペがありました。これは学生諸君と一緒に応募したものー入選案ーです。

 ○PDFファイル(京都市HPより)。

 間口6〜7m・奥行き30mと、細長い「うなぎの寝床」状の敷地をどう使うかが問題でした。普通の工法で建てると、隣地との境界に30〜40cmの隙間ができ、両側合わせて60〜80cmの無駄な空地になります。

 それだけで建蔽率が10%くらい、つまり非建蔽地20%のうちの10%が隣地の境界の所でなくなってしまうわけです。これはまずい。実際の京都の町家は隣りとはピチピチに建っています。

画像ta11
小間口・大奥行の街や敷地を使い切る1 隣接敷地との間に<スキ間>をつくらない
 
 これは建起し、あるいは側起し工法といって、隣地の柱や壁際いっぱいに立上げるという建て方です。非木造でもこのような建築工法を開発すれば、奥行きの長い敷地を使いこなすことができると思います。

画像ta12
小間口・大奥行の街や敷地を使い切る2 3分棟方式により利用関係を複数化する
 
 それを前提に建物をいくつかに区分して、間に小さな庭をつくるという考え方で提案したのが先の案で、これで容積率300〜350%くらいになりました。職住共存地区の高さ15m・容積率400%の制限のなかで、厳しいけれども描けないことはないというわけです。職住共存地区の15m制限下での建物のつくり 方について提言したわけですが、町家単位で仕事をしながら住むというスタイルが、都心のマンションや商業ビルと共存していくなかで、新しい京都らしい都心像が描けるのではないかと考えます。

画像ta13
連接のデザインの力
 
 これまでお話してきたように隣接敷地、あるいは隣接家屋とのすき間のない建て方により出来上がってきた町並みの一例です。もうひとつ、屋根がお互いに交叉しあいながら雨仕舞いを可能にすることが建物性能を維持するうえで必要であり、このために隣り近所との互譲のしくみがあったわけです。

 都市的な町並みには、このように無駄なスペースをつくらないで居住性能を確保するハード・ソフトの方法が求められます。個別敷地の自立性を強調して、個々ばらばらに建物が建てられていくままでは問題が生じることは必定。そのような進行を抑制し、上述のような都市らしい町並みをつくり出していくうえでも、今回の景観政策を充実していくことに力を注ぐべきと考えます。

左三角前に 上三角目次へ 三角印次へ


このページへのご意見はJUDI

(C) by 都市環境デザイン会議関西ブロック JUDI Kansai

JUDIホームページへ
学芸出版社ホームページへ