司会:
では次に「都市計画は変わるか」という話題に移ります。久保さんは、容積率本位制から高さ規制本位制に移れという言い方をなさいました。また、丸茂さんは、許認可で良い景観がつくれるかと疑問を呈し、規制誘導ではなく言わば「自制自導」で都市計画をするべしという内容のお話だと受け取りました。こういう、現在の都市計画の考え方あるいはシステムに関連することでご意見はありますか。
先ほどのお話にあった「選ぶシステムがあれば良いものができる」は全くその通りだと思います。僕は設計の仕事で景観課や風致課に行くと変な基準を杓子定規に適用されて、そのたびに喧嘩になりました。美しいとはどういうことなのか分からない、考えない人が景観指導に当たっているのが、行政の実態なんです。
ともあれ、今回の新景観政策に私は賛成の立場に回りますが、細かい基準を決めないで欲しいと思います。選べるシステムにすれば都市計画も変わるだろうし、いいものが出来るんじゃないかと思います。条例の細かい基準をそのまま当てはめるだけではそれこそ書き割りのような町になってしまうだろうし、都市システムが成り立たなくなるのではないでしょうか?。
また建物の話で言えば、新築・増築については条例の高さを超えるものについては原則として例外を認めないほしいと思います。
それと同時に、都市システムとしていいストックを望むなら、高さ規制だけでなく階数規制もして欲しい。15mなら4階まで、31mなら8階までと規制をかけておかないと、百年後に何のリニューアルもできないのではと思います。私たちが扱っている近代建築は、そういう優良ストックだからみんなに愛されて残ったと考えております。
都市計画は変わらなければとは思いますが、同時に建築基準法も変わらなければいけないと思います。今の日本では都市計画と建築計画の間が離れていて、その中間になるものがないのです。
ドイツですと建設法典があって、日本で言う都市計画と建築基準法を一緒にしたようなものがあります。ヨーロッパでは建築の姿や都市の姿をどうするかを基本に考えて都市計画がなされるのですが、日本の都市計画はその姿がどうなるのかが分からないことが問題です。
私としては「町内計画」を作って隣の建物はどうなるのか、町の姿はどうなるのかがみんなに分かるようにする必要があると思います。これには、都市計画と建築基準法の両方をからめていかねばならないでしょう。今、日本のあり方を見ていると「景観計画」で都市計画と基準法の間を臨時に埋めようとしているように思えます。
今、京都にはいろんな制度(これも細かく見ていくと問題が多々あります)がありますが、例えば建築の裏側の景観に関して触れたものはありません。もし町内計画というのがあれば、それを考えるきっかけになるのではと思います。
今回の新景観政策は、都市計画でも建築基準法でもないものを作ろうとしたところにその難しさがあるように思います。
司会:
今の宮本さん、山崎さんのご意見をふまえて、何かコメントのおありの方はいますか。
今の山崎さんの話はその通りだと思います。私も都市計画の仕事を専門としながら、今の都市計画法と建築基準法がどんな形の都市を目指しているのかよく分からないのです。専門家でさえ分かりにくいのですから、一般の市民にとって今の法律がどんな町を作っていくのかはさらに分からないでしょう。今の法律は現実のそれぞれの市街地形態から乖離したままマニアックに、制度の部分部分で整合性を取っているところがあると思います。
都市計画は言ってみれば、「常識の世界」です。今は市民が自分たちの手で自分たちの住む所をなんとかしていこうとする「まちづくり」があちこちで盛んですが、それを押し進めるためには都市計画法、建築基準法が市民が分かるものになっていく必要があります。
それと同時に容積率を基本にしたまちづくりは変えていかねばと思います。今は容積率がだぶついています。「どんどん使うように」と、成長を見込んだ枠組みで作られています。しかし、現実にはその場所で生活したり仕事をする人たちは、必要な分だけの容積率しか計画しません。一方、マンションを売りたい業者は容積率を目一杯使って建てています。京都に限らず職住共存地区のある都市では、混乱した景観となっているのが普通です。それをきっちりコントロールしていこうというのが今回の新景観政策で、目的はとても分かりやすい。これをそれぞれの町内でイメージできる形に持っていけばいいのではないかと思います。
その時、一般の人にとって町の姿をイメージしやすいのは、やはり建築物の高さです。高さを抑えると、通りの壁面線やお隣との関係も気になってきます。そうすると、町の姿も自然に見えてくると思います。基本的には、山崎さんがおっしゃった方向で、制度の方が変わっていくべきだと私も思います。
また、宮本さんが言われた話に関連して言うと、ここで言う都市計画は建築の形態について言及しているんです。大きなボリュームとか高さ、建築物の配置を扱っている話ですから、建築物の形態の問題と建築物の表層のデザインの問題は分けて議論した方がいいと思います。
形態の規制について言うと、やはりひとつの共通のルールとしての枠組みは必要だと思っています。表層のデザインについては、かなり議論する必要があるでしょう。大きなボリュームコントロールの話と表層のデザインを同じ土俵で語ると、かなりややこしくなってしまう気がします。
丸茂先生はこのあたり、どんな風に思われますか。
丸茂:
容積率で規制するよりは高さを規制する方が、市民にとっては都市像がはるかに分かりやすくなると思います。ただ15m規制にしたとき、実際にどういう町になるか、住民にとってどの程度分かりやすいかが問題で、僕は必ずしもそれだけで分かりやすいとは思えません。
では何が分かりやすいかと言うと、今ある町がどんな風かをベースにすることで、これが住民にとって一番分かりやすいでしょう。つまり、今の町にこんな新しい建物が建ちますが、それで今よりよくなりますか、どうですかという言い方なら、絶対分かると思うのです。将来この町は15mの高さの町になりますと言われても、それをイメージするのは難しい話だと思います。だから、そういう都市像をあらかじめ設定することについては、私は躊躇しています。
今回の施策については景観がテーマになっていますが、その対象となる田の字の真ん中に住んで昭和58年頃からマンション問題と戦っております。住んでおりますと、景観より住環境の問題だと実感しています。どういう形になるかより、住環境にどんな影響を与えるかが住人にとっては大事なことなのです。ですから、何よりもまず高さを抑えることを実現して欲しい。それが地元の人間の第一の希望です。
それから建物のデザイン等、細かい問題についてですが、我々地元の人間も学区単位で地区計画を立ち上げようと頑張っているところです。今回の問題をきっかけに、地域単位で景観やデザインについて考えて、方向を打ち出し、市にそれを認めさせようと思っています。
丸茂:
今おっしゃった趣旨に全く賛成です。15mのガイドラインを設定した上でそれに基づいて地区計画を作れば、住民にとっても町の将来像がイメージ出来ると思うんです。ところが、ガイドラインじゃなくて基準になった途端に既存不適格の問題がいろいろ出てきてしまう。だから、町の将来像はガイドラインの形にして、それに基づく地区計画をちゃんと立てるべきだと思いますね。ぜひ立ち上げて市に持っていっていただきたい。
「これで都市計画が変わるか」という根本の話をしますと、私は「景観都市計画」という言葉を使いたい。今回の政策で画期的なのは、都市計画の一番大事なポイントに景観という言葉を持ってきたことです。時代の大きな変わり目じゃないかと思うところです。私はそういう兆しを感じます。
目に見えることが一番分かりやすいことですし、どんな環境になるかも分かりやすい話ですよね。都市計画は結局のところ景観なのだ、景観をどう作るかがポイントだという風に我が国の都市計画が変わって欲しいです。今回の政策がそのターニングポイントになればいいと思います。
残念ながら今の日本ではみんなが納得できるガイドライン(あるいは基準)がないので、今回の新政策がまずはみんなが共有できるルールを作るためにひとつひとつ頑張って考えていく、プロセスになるのだろうと期待しています。
司会:
今の井口さんのお話が「都市計画は変わるか」の結論になったようです。どんな風に変わるかはいろいろでしょうが、少なくとも根本的に変わる契機にはなるだろうと思います。
都市計画の目的は我々の生活の質であるべきで、景観はその表われ、結果です。観光客や専門家など外からの視点で景観を議論して、それで都市計画が変わるのはオカシイのではないかと思いますが。
司会:
そうはおっしゃっても、以前問題になった鴨川ポンデザール橋の計画が頓挫したのは、外からの目がきつかったからこそですよ。外からの視線のおかげで、京都の景観が守られた、私はそのように評価しております。
前田:
私が言いたいのは、もし京都の人間があれが欲しかったのならそれでいいじゃないか、それで生活の質があがるというなら、外がとやかく言うべきではないだろうということです。
司会:
それは違うと思いますよ。京都の景観は京都人のものだけかというと、抵抗感があります。
前田:
私も京都人のものだけとは言いませんが、全てを景観だけで測るのはオカシイのではないでしょうか。
都市計画の一番大事なポイントに景観を置くのは本末転倒だと思います。
景観の基盤にはコミュニティがあるべきだと思っています。しかし、コミュニティも不動ではなくて、職住近接地区も1995年から2005年の間にかなり人が入れ替わっています。東部の人口は1.7倍に増えました。ある学区などは人口が2倍になりました。
新しい住民がまとまって何か発言したり、何かをやろうという動きはないのですが、町が持っている伝統や文化を共有することがコミュニティ再生のきっかけではないかと思います。一方で文化は伝わっていく過程で変質するだろうとも思うんですね。それが時代の勢いであり、生き続けるコミュニティのあり方なので、それをうまくまちづくりの力に反映させるかを考えているところです。建築の形や基準も新しいコミュニティに合うものでなければと考えています。
法律家の立場からも意見を述べたいと思います。今までみなさんにお話しいただきましたことは素直に共感できましたし、私もそうあるべきだとは思いますが、法律家としては若干考え方の観点が違います。
法律上の問題点を言うと、憲法上所有権を制限できるのは公益上の必要性がある場合のみに限られています。だから、強制力のある制限を実行するためには、公益性が何かを照明しないといけないのです。
現在の容積率は基盤施設の関係で、土地の上をどれぐらい利用できるか、それをコントロールすべきだという思想で成立しています。土地所有権の行使は基本的に自由だという立場に立って、それを規制する視点として、その土地を支える基盤施設等との関係で、必要最小限の規制、つまり土地の利用の量的制限が行われているというのが、現在の容積率の制限だと考えられます。
土地の利用の量的制限は、容積率でなくても高さ・壁面線の規制でできますから、私としてもそちらの規制の方がいいとは思っていますが、高さ・壁面線の位置で決めようと手段を変えるなら、容積率制限が実現しようとしている目的以外にそれで何が実現できるか、その公益性は何なのかを明確にしないといけません。
おそらく、高さの制限の部分については、ある一定の高さ以上の都市の上空は公共空間であり、それ確保することは公益性につながるのだということをはっきり言わないといけないのではないでしょうか。残念ながら今の都市計画法はそれについて一切言及してない。都市環境という言葉はありますが、抽象的で明確な定義はありません。
公共空間を確保するためにどういう手段が一番いいのかを考えると、高さと壁面線の位置が一番よくて容積率は次善の策、こういう風に論を進めていかないと都市計画はなかなか変わらないのではと思います。
司会:
貴重なご指摘ありがとうございました。今のお話に関して、何かご意見はございますか。
久保:
確かに法律的な意味づけはしていかねばならないでしょう。
容積率は基盤整備との整合性と言われていますが、現実には容積率が先に過剰にかけられて必ずしも基盤整備が整合している状況とは言えず、後追いで過剰な基盤整備を進めなければならないことになっているのではないでしょうか。既に矛盾が出てしまっていると思います。
また、低層建築物と高層建築物が混在していることがアジア的な多様性のある景観だという人もいますが、これはとても多様性というようなものでなく、制度的欠陥による混乱した景観と言った方が良いと思っています。これは先ほど桐田さんが言われたように、住民にとっては、景観問題というより住環境問題と言ったほうが実感があるのだと思います。成長期待を前提として作られた制度が今の矛盾した景観を作っていることを、ちゃんと見ていかないと前へ進めません。
私の専門である都市計画は体制側の仕事ですから、今回の京都市の取り組みはよく思い切ったなあと目からウロコが落ちた感じです。従来から生活している人にとって多量の容積率は必要ないですから、高さをベースにして容積率を後から修正していくというプロセスは、市民生活の現実に即していると思いますね。容積率を中心に言っている間は市民は着いてきませんが、高さだと議論がしやすくなる。そんな雰囲気の中で、法律関係者も法的裏付けが出来るよう、力を貸していただければと思います。
司会:
井口さんが言われた「景観都市政策」という言葉にあるように、今まで景観は公益性があると思われてこなかったけれど、これからは公共的価値のあるものとして位置づけようとしているのかもしれません。そういうことは、我々としてもこれから言っていくべきだろうという感じはします。
我々が苦手としている法学系の先生からご発言いただいたので、我々も法律系を勉強したいところです。
上空を公共空間と位置づけて、それを確保することを根拠に都市計画を考えたらどうかという興味深いご指摘でした。ただ15m以下は私的空間で、15m以上は公共空間という決め方でいいのかどうか。むしろ、今建っている状況を基本として、その高さ以下なら私、その上は公共的な空間なのでそれを利用したいなら社会的合意が必要というふうに私は考えたいですね。この考え方は、どちらかと言うとドイツの建設法典の言う「周辺の特性に合わせる」という論理です。こちらの方が議論しやすいのではないかと思いますが、この辺法律の立場としてはどうなんでしょう。
生田:
今ある建築物は全て認めてしまうということですね。法律的には変なものでも認めざるを得ないでしょう。現在は既存不適格も含めて、法律的に守られています。
私が言いたかったことは、この際、新しく建てる建築物は一定の高さ以上は公共空間として位置づけた方がいいということです。つまり土地に私的に利用できる限度としての利用係数みたいなものを定め、敷地面積の1.3倍までは私的空間、1.3以上は公共空間とし、公共空間を利用したい人はコストを払うようにする。一定のお金を払うというルールが日本人にはなじむような気がします。
地下にはそのようなルールがあって、40mまでは所有権を自由に行使できるけれど、それ以上深いところは公共空間として所有権の行使が及ばないという形になっています。上空だって同じように考えたらいいじゃないかと思った次第です。そんな風に考え方を構成し直した方が、より今後のためになるのではないかと思います。
田端:
大変面白い話ですが、景観と上空の持つ公共性は少し意味合いが違うと思います。景観計画はあくまで町並みの美しさや、これを成立させている諸要素との集まり方を考えるものであり、上空は景観要素のひとつに過ぎないと考えます。法律の制度としてカバーできるのは公共空間だけでなく、景観としてみんなが認めているもの全体が公共性としての「景観」であると考えるべきではないでしょうか。お話からは、公共物あるいは景観物と公共性としての景観を仕分けるという作業には取り組まないといけないという議論にはなる気がします。
都市計画は変わるか
高さ規制は良いが・・
宮本(京都の近代建築を考える会):
建築基準法も変わる必要がある
山崎(立命館大学):
高さ規制はまちのイメージの共有につながる
久保:
高さで都市像をあらかじめ設定すること無理がないか
司会:
景観より住環境の問題
桐田:
都市計画の基本を景観におくべき
井口:
都市計画の目的は生活の質、景観ではない
前田(学芸出版社):
景観の基盤はコミュニティ
中村:
高さ規制が守る公益とは〜法律の立場から
生田(東北大学法学部):
周辺の特性が公益のベース
丸茂:
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