緊急討論・京都新景観政策を考える
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職住共存地区の将来像

 

司会

 それぞれのテーマが語り尽くせない話題ですが、時間の都合上、次のテーマ「職住共存のまちづくり」に移らせていただきます。このテーマについて、ご意見・ご質問はありますか。


建物の建て方〜とりわけゼロロットについて

金沢(大阪産業大学)

 先ほど住環境の問題が指摘されましたが、実は景観の問題で京都の町家が伝統的に持っていた形態で考えると、今の法律による建て替えは景観のみならず住環境をも破壊する要素を含んでいます。今の法律では、建て替えの際に隣棟間隔を50cm以上取れば、建ぺい率を70〜80%取れるようにしています。敷地に50cmほどのすき間が取れたら、法律上は住環境としては良しとされているのです。

 しかし、京都の町家では坪庭・奥庭を取って過密な居住環境の中での通風性や日照を取っていました。通り表側の規定だけでなく、内側もこのやり方を守っていけば、オープンスペースをつなげることで都市の中にまとまった緑地を確保することが出来ます。古いやり方の京都の街区の作り方にもう一度戻る話もあってしかるべきだと思うのですが。住環境を考える上でも重要な視点ではないかと思います。

田端

 京都の町家の建て方の特徴として、両隣りの間に隣棟間隔を取らずピタッとくっつける工法をとってきました。また、奥行きの深さをうまく使って坪庭や中庭をとり、通風や採光などの居住環境を確保する、そして町内全部の家がそうすることで町全体の居住環境を確保してきました。ところが、RC造による建て替えになってくると、その工法をとることが難しくなり、使用のできない隣家とのすき間で非建ペイ空間を使い果たしてしまうことになります。隣棟間隔をゼロにするゼロロットラインの仕組みなど、技術的な開発をして市民に伝えていけば、在来建物と新しい建物の間を上手につないでいけるのではないかと考えます。

 もうひとつ、職住共存地区の話で触れておきたいのは、人々の生活スタイルです。この地区では町家という小さな建物のなかで、仕事をしながら暮らしていく方法で、人口密度の高さを維持してきました。日本の都心はそんな暮らし方が普通だったのですが、戦後はそのスタイルが壊れ、東京や大阪では都心から郊外に人口が移っていき、今は都心の人口密度は京都の半分ぐらいしかありません。事務所ビルなどの単なる仕事場、あるいはマンションなどの単なる住居だけで構成されているのが、今の日本の都心の姿です。京都の町家のように、住みながら働くスタイルをも含みながら都心の再構築をすすめることで、住み方も働き方も多様化した地域づくりを考えたい。そんな都心像を描いていく必要があるのではないでしょうか。職住共存地区の位置づけをきっちりと考えていくとそういった話題・テーマが浮かび上がるきっかけになるのではないかと期待しています。


新景観政策の有効性

宮本

 建築基準法という全国一律の法律を、京都の伝統的な職住近接地区にバサッとかけていることが一番大きな問題だと思います。やはり、京都の街並みは壁面線が道路境界線上にそろっている、あるいは入っても犬走り分の半間がそろっていることが大事なんです。

 その街並みが現行の条例や新しい天空率の法律、建築基準法の「前面後退すれば道路斜線を緩和します」という規定でぐちゃぐちゃに乱れてしまいました。この内容をこのまま放っておくと、新しい条例を施行したとしても町並みは大変なことになってしまう。こうしたことをどうするかが、今回の条例の中では全然触れられていないのですね。ですから建築基準法に異議を唱えて、京都は独自のやり方でやるのだ、そういう裁量権を持たせろという話から始めないといけないと思います。

前田

 宮本さんがおっしゃられた斜線制限の緩和は職住地区では3年前の条例でもうやめたはずですし、15m規制にすると天空率も使えないだろうから、ご指摘の件については対応済みだと考えられるのではありませんか。

宮本

 いや、現行の景観基準の中で「4階部分は後退しろ」の部分の取り合いの問題ですよ。それで町並みが乱れているんですよ。実際の建築計画の現場では、やろうとすれば規制もいろいろすり抜けられるようになっているんです。

丸茂

 先ほどから言っているように、これからの都市計画やまちづくりは基準ではもう対応できないと思います。そうしたことに対して、政策の姿勢が見えないことに不満を感じています。


住民の合意は公益となるか

井上(明倫学区)

 先ほど話題になった法律上の公益性について、質問させていただきます。住民がまちづくり協議会等を作って地区計画を考えるのはいいことだと思いますが、地域住民が地域の建物のデザイン審査をしたりデザインの規定をすることまでやって良いものなのでしょうか。そう言ったことは公益として法律的な整合性を持っているのでしょうか。土地の所有権は憲法上で保証されていますが、地域住民が高さを決めデザインまで規定するのは憲法上の観点から見てどのような整合性をもつのでしょうか。

前田

 住民の合意があり、行政がそれを認めて法制度に載せれば強制力が出てきますし、それをやっている地区は全国にあります。ただ、住民100%の合意はほぼ無理ですので、行政がどこまで支援し、責任をとり、景観計画等として認めるかがカギですよね。また地区計画等では行政による審査になりますので、地域住民が実質的に審査するには工夫が必要です。

丸茂

 基本的には財産権・所有権は無制限じゃありません。やはり、公的な利益、公共空間の価値とバランスをとりながらやっていくのが、日本だけでなく世界のどこでもやっていることです。公共的な価値を損なうのであれば財産権・所有権は制限されるべきですが、今話題になっているのは景観や住環境が公共的な価値なのかということです。

 どんな風に個人の権利と公益性とのバランスをとるかは国によっても違うし、日本国内でも地域によって違います。前田さんがおっしゃったように、地区の住民が合意するのであれば、それを否定する根拠はないと思います。

生田

 地区の住民の合意があれば、お互いの間では一定の拘束があるのはご承知だろうと思いますが、それだけでは、合意していない人を拘束できませんし、それを認めると無政府状態になってしまいますので、法律的には住民の合意を議会が承認するという手続きを経て、初めて強制力を持ちます。つまり、人に対して「これを守れ」と言うことが出来るわけです。合意だけではお互いの民法的な関係に過ぎませんから、強制力はありません。法律的には合意だけで何もかもができるようにはなっていません。


ダメ、ダメだけの規制ではつまらない

中村

 今の話をコミュニティ面からも考えてみたいと思います。例えば、このデザインがイヤだというのは簡単ですよね。しかし、まだないもの(景観モデル)を提案し、私たちのまちはこんな風景にしたいと積極的に創造することは、現実にはとても難しいことです。多分、これからの課題はそこになるだろうと思います。そうでないと、規制に照らし合わせて「ダメ」「ダメ」が出てくるだけのまちづくりとなってしまい、居住者としても町の方向性が見えなくて面白くありません。

 まずは、自分たちの町のどういうところが好きなのか、どんな風にしたいのかを見つけて話し合うことが取りあえずの課題でしょう。否定するだけではなく、肯定できるものを見つけ、反対運動型のまちづくりから一皮むけることです。法律的な規制だけではそうした住民の行動力はでてきませんし、そこに専門家も積極的に関与すべきだとも思います。

藤本

 今の話に付け加えると、「自分の住んでいる街は自分たちで決めて、デザインまでも考える」。そういう時代になったと考えていただくしかないと思います。多分、ここに来られた方はそういうことに熱心なので、これからも積極的に関わっていかれるだろうと思いますが、京都が新景観政策を打ち出す前までは、ごく普通に生活していた方も随分いらっしゃるだろうと思います。そういう意味では、そんな覚悟をしないといけないという認識はだいぶ高まったのではないかと思います。

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