都市の魅力アップの手法について
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手押し車のまちづくり

大阪大学 鳴海邦碩

 

 今の絵はがきの話ですが、創生研のメンバーの企業に、いろんな通信に使ってもらえると大阪のイメージアップにもなるとずいぶん前から提案しているのですが、なかなか実現しません。大企業にとってはあまり売れないはがきの方が良いのかもしれません。一社が2、3種類使ってくれると、大分様子も違ってくるのですが、まだ説得が足りないのかもしれません。

 我々がこのような活動を初めてから10年たちました。けっこう時間が経ちましたので、その体験をまとめて本にしようと現在原稿を執筆中です。今日はそのテーマに合わせて企画したセミナーですが、私のコメントはみなさんが発表された話をどう解釈したらいいかという内容になると思います。


アジアの都市に見る景観への関心の動向

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香港
 
 世界のグローバル化が進むと、写真のように派手な景観がまちの魅力だと言われがちです。数年前に行われた国際シンポジウムで、世界を飛び回っている人はこんな景色を手掛かりにして都市を見ているという話が出ました。しかし、実際にはそういう人は1%もいません。そういう人を相手にして景観を考えるのも変な話だと思いました。

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歩いて楽しいまちづくり
 
 しかし、最近では香港もまっとうなまちづくりに取り組んでいます。最近二度ほど行ってきましたが、今歴史的町並みを大切にした「歩いて楽しいまちづくり」が進んでいます。例えば、香港では高層の建物が多いのですが、その中に残っている古い中国系の建物を大事に残そうとしているように見受けられました。

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台湾・大渓
 
 台湾のあるまちでは、大学の先生が頑張って活動されたおかげで、町並み保存が進んでいます。まちの人も自慢げに歴史的な建物を使っているようでありました。

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台湾・三峡1(20年前)
 
 ここ三峡はアーケード付きの町並みが有名な所で、写真は20年前のまちの姿です。当時、政府はまちなみ保存の指定をしようと考えていたのですが、肝心の住民が反対の意向を持っていました。「こんな古い物を残してもしょうがない」という考え方が住民の大半を占めていました。

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台湾・三峡2(数年前)
 
 数年前にまた三峡を訪れる機会があったのですが、この頃になるともう崩壊寸前という姿です。石造りの化粧飾りはみんな剥ぎ取られて骨董屋に売られてしまい、私は「ああ、この町はもう終わりだ」と思ってしまいました。

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台湾・三峡3(2006年)
 
 ところが昨年三峡に行ってみると、今度は修復が始まっていました。剥ぎ取った元の化粧飾りに比べると、新しい飾りは質が落ちますが、それもしかない。歴史的町並みへの評価がここ2、3年で急に高くなっていることがうかがえました。生活が豊かになるにつれて、伝統的な環境のよさが再認識されてきたのです。そこで「老街」がブームになってきました。こうした潮流を背景に、三峡のまちはネームバリューがありますので、町並み改修に取り組むことになったのだと思います。

 今まで香港や台湾は派手な開発が好きな国だったのですが、それでもこういう地道なまちづくりが進み始めています。


これまで提案されてきた都市の魅力アップの方法

 これまで都市の魅力アップの方法について、我々は専門家としていろいろ提案してきました。故材野博司先生の「界隈論」は秀抜なものだったし、望月照彦さんが屋台や路地に着目して提案した「マチノロジー」もあります。私も「都市の自由空間」という本を書きました。けっこう沢山あるのですが、こういう提案が行政のまちづくり政策で取り上げられることはありませんでした。

 また私は『都市デザインの手法』という本を出しています。田端先生、榊原先生と共に作った本で、学生のテキストとして採用されることが多い本です。都市を魅力的に形づくる方法を分野別に整理した内容で、学生さんだけでなくまちづくりに取り組む自治体にとっても使いやすいだろうと思って作成しました。ところが実際には、こんなふうに総合的にまちづくりに取り組む自治体はほとんどありません。

 実はお役人さんにもけっこう読んでいただいているのですが、現実には取り組まない。勉強はするけど取り組まないのはどうしてだろう。いろいろ考えさせられました。


自治体の魅力づくり政策の限界

 人を惹きつける魅力ある都市をつくることは多くの自治体の行政的目標なのですが、実際には、具体的に取り組まれることはまれなのが実態です。総花的にいろんなイベントやシンポジウムをして、集客施設をひとつ作ってそれでオシマイというのが大多数の自治体のやり方です。ひとつ言えるのは、自治体の事業がプロジェクト型になっているからまちづくりが出来ないのだろうということです。それをいろんな面で感じるようになりました。

 プロジェクト、つまり事業をやると補助金が出るようになっているのです。補助金にからめ取られると、いろんなしがらみが生じて総合化できないという事態になってしまうのです。例えば、阪神・淡路復興事業の時も、本来なら総合的にやらないといけないのに、全部プロジェクトごとに分割されてしまいました。プロジェクトごとに行われると、お互いの関係が分断された復興事業になってしまうのです。

 こういうやり方だと、ユニークで総合的な地域の魅力の掘り起こし型の戦略は生まれません。仮にあったとしても、取り組めない、予算がつかないという状況になってしまうのです。

 もうひとつ、自治体による魅力づくり施策の限界としてあげられるのは、魅力ある都市・面白い都市をどうやって形成したらいいか、その方法が分からないということがあると思います。魅力ある町がどんな町かはみんな知っています。そういう町は大勢が観光に訪れますから。でも、どうしたらそういう訪れたくなる町になるのかが分からないのです。


魅力ある空間はどのように生まれるか

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鴨川の納涼床 納涼床の浮世絵・江戸時代
 
 ここで、魅力的な空間の一例として鴨川の納涼床を見ていただきます。都市の魅力として、以前から優れた例だと思っていましたし、ここにヒントになりうるものがあると考えていました。

 まず、納涼床には伝統・歴史があることが優れたメリットです。歴史を紐解いていくと、豊臣時代に遡るのですが、もともとは商人がお客さんをもてなすために鴨川に桟敷を作ったそうです。それが一般的に定着したのは江戸時代で、今の形になったのは明治時代です。明治時代は7、8月のみの設置でした。その後、昭和9年の室戸台風で川が荒れてしまい、河川改修でミソソギ川が出来て、納涼床はこの上にかけられるようになりました。

 太平洋戦争で中断されたこともありましたが、昭和25年に復活しています。戦後の解放感の影響か、欄干は朱塗り、床の足元は舟形とか派手な意匠の床がいっぱい登場したそうです。しかし、その後、鴨川の風情をより望ましいものにするために京都府土木部の通達で標準を示し、標準に従えば床を出してもいいということになりました。それを受けて「鴨涯保勝会」という地元組織もできて、地元組織が自分たちの責任で環境を扱いますという姿勢で今に至っているのです。床の申請は毎年する事になっていて、秋になると撤去するのが原則です。

 この納涼床が成立する背景を考えると、次の要素があることが分かります。

 (1) 昔から続く伝統的な行いであること。

 (2) 地元の人が地元のために組織化して取り組んでいること。

 (3) 自らルールを定めてそれに従っていること。

 (4) それが公共的な利益にかなうものだと行政が認めていること。

 つまり、地元住民の意向と行政の考え方がうまくバランスすると、「公共空間を使って金儲けしている」との非難もかわせるわけです。これは、先ほどの報告にあったリバーカフェの成立パターンと一緒です。まちを面白くするためには、こうしたパターンの中に可能性があるのではないかと思うようになりました。地元の人が地元のために取り組まないといけない。そして自らのルールに従って無茶をしないこと、公共の利益にかなうこと。


下町を愛好する学生の景観分析

 もうひとつの事例を紹介します。もう10年くらい前になりますが、私の研究室にF君というとても下町が好きな学生がいました。大阪の下町だけでなく韓国やインドネシアのジョグジャカルタまで足を伸ばし、自分の気に入った下町の写真を撮りまくっていました。一度
JUDIのセミナーでもそうした写真を分析して貰ったことがあります。それで彼が良いと思った空間の特徴が見えてきたのです。

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自宅の飾り窓に相田みつをの詩
 
 自分の好きな詩を書いて、通行人が見える場所に飾るというのは町中でよく見かける光景です。そうすることで中の人のメッセージと外の人の目が重なり合って、コミュニケーションが成立しているんじゃないかと思います。もちろん、作品があまり下手だと困るのですが、そこそこ頑張っているといい雰囲気を生み出すことになります。

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八百屋の店頭に置かれた二つの椅子
 
 これもF君お気に入りの一枚で、二つの椅子は多分、店の主人とお客さんがたわいもないおしゃべりをするために置いてあるのだろう、そんな光景が伝わってくると言っていました。

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路地奧にある手作りの物干場
 
 この写真は読みとるのは難解ですが、路地奧に置かれていた手作りの物干場です。共同で利用されているらしく、周辺のお母さん達のコミュニケーションが感じられると撮られた写真です。自転車も気を遣って置かれているようだと言っていましたが、写真からそこまで読みとれるとは、F君はなかなか繊細な感性の学生さんでした。

 これらの空間は、いずれも普段着の姿で味わいのある空間です。自由に使いこなされているように見えて、実はちゃんと領域があって秩序を守って利用しようとする意志が見えます。また他者の参加を受け入れる意志や自分の感性を他者に押しつけない方法で伝えたいという意志も見えます。つまり、F君はこういう条件がそろっている所をいい場所だと思うと分析してくれました。

 今の公共空間はこうした状況の空間はありません。誰も他者のことは考えない空間になっています。

 この下町の光景とさっきの鴨川納涼床の共通点を考えてみると、魅力のある環境とは大がかりなプロジェクトでのみ可能になるのではなく、すでに存在する環境の中から魅力を育てることによって生まれるのではないかと思います。ですから、私たちが普通にまちと共に楽しみたいとか、まちと共に楽しむ暮らしをもっと積極的に展開すれば、自ずとまちは面白くなるのではないでしょうか。


都市の魅力の要素

 こういうことは日本に限らずアメリカでも注目されていて、アメリカの社会学者R. Oldenburgはカフェや本屋、バーなどの「good place」が都市の魅力の原点だと言っています。good placeを広める会というのもあります。日本だと例えば、赤提灯や銭湯、女性なら美容室がgood placeになるでしょうか。

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good place=人々がなごむことのできる空間
 
 これらの場所に共通していることは集まってくる人が面白いこと、またお互いに「見る見られる」の関係があって、互いにエンターテーナーになっているわけです。「あいつがいるから面白い」「時々顔をあわせるのがいい」という関係は、先ほどのみなさんの話と重なる点でもあります。

 人は誰でも人と仲良く付き合いたいという願望がありますが、現代はそれをおおっぴらに出来ない状況にあります。フランシス・フクヤマはそれを「人は誰でも、社交的でありたいという願望を持っている。しかし、付き合いが下手だったり、引っ込み思案だったりする」として、「内発的社交性」と呼んでいます。


手押し車アーバニズム

 ロバータ・グラッツという人も都市のgood placeについて、なかなか面白い報告をしています。

 アメリカのユニオンスクエアは1970年代にはとても荒れた環境で、「危ない場所」と見放されていた所でした。しかし、1976年に15人の農家の人によってグリーンマーケットが開かれるようになると、様相が変わっていきました。リーダーはMITで建築の学位を取った都市計画家で、農家育ちだった人です。彼が農場の仲間に呼びかけて始まったんです。

 しばらくするとグリーンマーケットの回りにレストランがオープンし、やがて若い人が住み着き始めて、次第に垢抜けた場所になっていきました。

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ユニオンスクエアのグリーンマーケット
 
 こうした何かのきっかけで都市の一角が満足できる空間に変わっていくことを「手押し車アーバニズム(pushucart urbanism)」と呼んだりします。「この特別な商業形態は、街が長年かけて失ってきた根本的な、個人的なやりとりというものを修繕しているのである」と都市計画家のウイリアム・ホイト氏は言っています。大規模開発のような大層なものではなく、個人的な行いなのにインパクトのある出来事なのです。

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広島市のオープンカフェの試み
 
 日本でもこうした手押し車アーバニズム的な出来事はここ数年あちこちで見られるようになりました。写真の事例は広島市のオープンカフェで、なかなか頑張っているようです。この活動には広島のJUDIの会員が関わっています。

 これらの出来事に共通しているのは、単に空間があるのではなく人々の関わりがあって成り立っていることです。ですから、まちづくりはまず楽しくなければいけない。それに取り組んだり参加する人々が楽しいからこそ、生き生きした都市が生まれるのです。言いかえれば「あなた任せのまちづくりは、楽しい魅力のある都市を生み出すことはできない」というわけです。


期待される都市像と社会的な腐食

 少しまえになりますが、1999年に30代のいろんな分野で活躍している人たちに集まって貰って「大阪がどんな街になってほしいか」という研究会をしたことがあります。以下はその時に出てきたキーワードです。

 「多様な人々が刺激しあい」「異質なものを受け入れる」「固有性を発信する」「新しいスタイルが生成される」「知的な興奮がある」「生身で直に体感する」「心の拠り所になる」。

 もちろんこういうキーワードに全然興味を示さない人もいるでしょうが、期待される都市像としてはけっこう真っ当な要求ではないでしょうか。

 なぜこういう当たり前のことが要求として出てくるかを考えると、以前紹介した新アテネ憲章の中の一文からその背景を読みとることができそうです。

 「都市の中心部における人口の集中が進むと、社会的な腐食がはじまる。孤独、受動性や共同の目的や社会的な発案に対する無関心が一般的なものになっている一方で、住民の生活はさらに画一的なものになりつつある」。

 都市の社会的な腐食という言葉で表されていることは、日本に限らず欧米の都市も同じような悩みを抱えていることがうかがえます。

 ですから、いくら「期待される新たな都市像」が描けても、それに具体的に取り組まないと実現しません。また一方で、社会的問題にも「困った困った」と言っているだけでは何の解決にもならないので、克服していかないといけません。

 そのために今後の可能性として期待できるのは「まちづくり縁」「まちを楽しくしたい縁」です。自分も楽しく参加すると同時に人にも楽しんでもらえます。今日発表された創生研メンバーの方々は、楽しみながら活動されているんじゃないかと思います。


手押し車まちづくりの必要性

 個人でまちづくりをしようとすると、いろんな壁が立ちふさがります。一例をあげると「役所にも期待したいが、前例のない挑戦的なことにはなかなか取り組んでもらえない」「制度の問題、資金の問題、人材の問題、とりわけ制度の壁は意気喪失するほど立ちふさがっている」等々。

 こういう状況なら「とにかくやってみるしかない」。これが手押し車まちづくりにつながっていくのです。

 よくまちづくりを担うのは「ヨソモノ・ワカモノ・バカモノ」と言われます。日本だけじゃなく、外国でもまちづくりに必要なのはこういう人たちだそうで、万国共通の条件のようです。

・ワカモノはそこに住んでいるワカモノで、若気の至りではないが、常識にとらわれないで取り組む可能性がある。

・バカモノは、反対する人がいてもめげずに突き進む人であって、時たまご老人がそうした役割を果たしたりする。

・ヨソモノは、余所から新しい、あるいは地元とは異なった価値観をもって来る人である。

 まちづくりは、この三者の動きがかみ合うと話が進むというのがまちづくりの「ヨソモノ・ワカモノ・バカモノ論」というわけです。

 また最近では「サポーター型まちづくり」というのも出てきました。普通まちづくりはそこに住んでいる人が中心になるのですが、今日の大阪のようにもう中心部には人がほとんど住んでない所もあります。居住者の動きを待っていては何も進展しません。そういう場合は住んでない人が中心になる「サポーター型まちづくり」をもっと積極的に展開して行くべきでしょう。

 最後に、お祭りもまたまちづくりの重要な機会であることを指摘しておきたいと思います。まちづくりの条件をいろいろ考えていると、これはお祭りの状況と似ていると思うようになりました。

 まずお祭りは能力に関係なく人々を受け入れてくれます。そしてお祭りを通じてお酒の飲み方や遊び方を覚えるのはいろんな意味で重要かなと思います。今の都市では集まる機会は同じ世代が中心ということが多いから、いろんな世代の人たちと一緒に集まることがほとんどありません。お祭りは通世代的で互いの「異文化コミュニケーション」「異文化伝達」の機会を提供する場になっています。

 これで私のコメントを終わります。ありがとうございました。

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