ワークショップの手法で意見を整理することから始めることにしました。2004年には、
(1)安心安全な街ではない。
(2)魅力のある街ではない。
(3)魅力のある店が減った。
という大きくは、3つの課題に街の人の意見は、整理されました。この頃街にはキャッチセールスが溢れ、御堂筋から堺筋まで、男の人は一時間で抜けることができない通りとして宗右衛門町通りは呼ばれていました。
安心安全な街でない主な理由としては、以下の事柄があげられました。
まちづくりの取り組み
ワークショップから出てきた課題
まちづくりを行うにあたり、街の人の声を共有化することを基本におきながら進めました。ここでいう街の人とは、単に商店会の人だけが対象ではなく(もちろん、商店会の理事だけが対象でもなく)、商店会には入っていない、もしくは入れていない人たちにも呼びかけ参加の意思のある人すべてを対象に進めました。商店会の理事の方、街の人、お店の人、土地建物オーナーの方、管理会社の方、おかみさん、業者の方、風俗店の店長や無料案内所の店長さまざまな立場の人たちが参加しました。
・キャッチセールスや違法営業が多い。
・道路が歩きにくい。
・隣の人が何をしている人か分からない。
・災害時に大丈夫かどうか不安。
・不法駐輪が多い。
・不法駐車が多い。
また魅力のある街(通り)ではないという理由としては以下の意見が多くあげられました。
・汚いビル、店が多い。
・幽霊ビルがある。
・掃除を定期的に行なっているにもかかわらず、汚い感じがする。
・空き店舗が多い。
・空き地や閉鎖ビルが多い。
・自己主張した出看板、置き看板などが多い。
当時は7.8mの幅員に2mの看板が出ているという状態でした。
その他にも魅力がない点として以下のようなものもありました。
(1)魅力のある街(通り)ではない。
・風俗店を案内する無料案内所が増えた。
・道頓堀川の裏通りになりつつある。
・道がガタガタで汚い。
・電線が危険な感じがする。
・安心安全な雰囲気がない。
・癒しの雰囲気がない。
・汚い格好の人がいる。
(2)魅力のある店が減った。
・魅力のある店が、減ってきている。
・店員の態度が悪い。
・店員の服装が悪い。
・目立つ事しか考えていない店が出てきた。
・うるさい音楽を流す。
・違法な風俗店が増えた。
昔は、歓楽的雰囲気のある大人の店は、街に安っぽく露出せずに、わきまえがあり、それなりの秩序ができていました。しかし、今では路面いっぱいに目立つ事しか考えていない店が多くなっています。周りの迷惑などを省みず、うるさい音楽を流したり、違法な風俗店が増えてきたりというどこの街でも頭を抱えている問題がこの街には集積しています。
商業地は、住宅地と同様、高齢化が進みそれなりの秩序が保たれていた村的環境から個人主義で成り立つ都市環境へと変化してきています。2世代前くらいは、商業地は、職住一体が中心であり、「○○さんの言うことは聞かなければここにいられなくなる。」という村的な雰囲気が残っており、暗黙の了解のもとで地域のルールがありました。しかし職住分離が進み、商売の為だけの地となり、様々な価値観の流入が商業地を個人主義的な場と変え、公共地としての意識を低下させ、人との調和や、街に対する責任などが失われそのことが現在の商業地における課題の元となっています。
宗右衛門町から始まったミナミのまちづくりのなかで、街の人たちが最も実行しなければならないと考えている事柄に、街のルール化があります。従来の暗黙の了解での街のルールや商店会規約などでは、状況が追いつかず、勝算の見込みが無い状況でも裁判を起こしているケースが増え始めています。
新宿では地区計画課を作り、対応を進めています。これらのことから、規制緩和が、時代を経て、街の暗黙の秩序を壊し、無秩序になってしまった街は、街に愛着のある人々によって、成熟期に相応しい街の姿をまちづくりという形で作り始め、街を再生する為の基本的な手法の一つとして、ルール作りに取り組み始めているといえます。
大阪市のまちづくり支援を受けた理由は、他にもありました。従来、商店街と行政のかかわりは、経済局が中心となり、活性化策を中心に展開されてきました。しかし、宗右衛門町をはじめとした商店街の問題は、その範疇を経済局だけにとどまることなく、安心安全などの治安、防災の問題、都市の構造的な問題、公共空間の問題、地元組織の問題など様々な解決を必要としています。これらの解決に向かい、街が望む現実的なものを実現していくためには、行政の総力が必要であり、まずは“まちづくりを行う街”としての共通認識が必要だったからです。
宗右衛門町のまちづくりは、基本的に話し合いを中心に進め、役割分担をし、行動に移す活動を行っています。話し合いや活動には、中心となる商店街の人の他に、無料案内所の人やホストの人など、今まで挨拶もしたことのなかった新しい人たちも交えながら会議を進めているという特徴があります。
宗右衛門町の具体的な活動は、自分たちが行動することを中心に進めています。長年続けてきた美化活動や積極的な防犯パレードも現在では、周囲の商店街それぞれがバラバラに行うのではなく、エリアの商店街の人たちが警察といっしょになってパレードを行うになってきました。その他に看板撤去や、無電柱化の道づくり、まちづくり宣言やまち調査(まちカルテ作り)も行ってきました。現在では、さらに一歩踏み込み、まちづくり宣言した将来像に向けて地区計画、景観協定、看板のルール化などに取組み始めています。
任意の組織を振興組合化することや、通りに名前を付けていく社会実験、市民ディベロッパー活動や市民ディベロッパーファンドの組成、コミュニティ強化などについても一つ一つ実現に向けての取り組みを行っています。
当初は行政や警察に任せておけばよいという意見も多くありましたが、小さな成功が積み重なることで、意識も変化してきました。
将来像は、安全安心な街、活性化する街、持続可能な街、魅力ある街を挙げています。まちづくりは、一部の人達だけで完結するのではないため、限られた一部の人が検討するのではなく、街にかかわる様々な人が状況を知り、意見を言え、それらを踏まえながら取組んでいくことを進めています。
この考え方を基本に、振興組合化、地区計画や景観協定、看板のルール化などのいろいろな仕組みづくりに取組みはじめました。こうした街のインフラづくりを街再生の最重要対策として徹底的に進めています。
宗右衛門町の取り組み
宗右衛門町の取り組み
宗右衛門町は、大阪の中心的な繁華街のひとつであり、古くから大阪にとって重要な場所であったことから、街そのものに独特のエネルギーを持っています。そんな街のまちづくりは、地元にかかわりのある一部の人たちだけで、まちづくりを進めていくのには限界があり、まちづくりのステップごとに、大きな力が必要になってくることが予測されます。その対策として、宗右衛門町では、まちづくりスタートの時から地元に、周囲に常に周知していくこと徹底して進めています。まちづくりの中心を担う地元では、単に商店会だけの取組みとせずに、商店会と周囲の町会、商店会に入っていない街にかかわる人すべてを対象にしたまちづくりの会である宗右衛門町活性化協議会を設立し、また、行政での認知を高める為に、大阪市のまちづくり支援を受けてまちづくりのスタートをしました。
活動の進め方
活動の進め方
活動は、みんなでひざを交えて話し合うことを基本に、課題を共有し解決策の検討をし、実行していきます。まちづくり宣言を中心に据えて将来像を共有し、実現に向けた活動も行っています。
通りのCGシュミレーション
現在の宗右衛門町通り
電線と置き看板をなくす
照明灯をなくす
看板から文字をなくす
出看板、室外機などをなくす
色を調整し道の美装化
まちづくりの会議では、視覚に訴えながら、他地域を知り、感覚を作ることを行っています。例えば、これは、現在の宗右衛門町通りから、看板を取ったもの、照明灯を取ったもの、看板から文字を取ったもの、室外機などを撤去したものを表現したCGです。さらに色を整えて道を美装化すると雰囲気が大きく変わることの理解を深めることに用いました。これを、繰りかえし見たり、横浜元町や祇園、神楽坂、歌舞伎町など他の街と比較し、自分たちの街の状況を再認識すること等を行いました。その結果、道が美装化すれば、街は良くなると考えていた人達が、電線や色などを考えることも必要であると考え始めました。
街並みを整える
改良のポイント
具体的な改良していく上でのポイントを提示したCGを用いて、取組むべき内容について具体化しました。そうした中で、低俗化を印象付ける出看板のルール化、豊かな歩行空間の邪魔になる置き看板のルール化、外壁材や色調の調和、セットバックの必要性、川を感じられる空間づくりなど様々な街のルール化の必要性を感じ街のルール化への取組みが始まりました。
まちづくり宣言
宗右衛門町まちづくり宣言
将来像の検討を重ね、まちづくり宣言を行うまでに宗右衛門町の古い歴史を紐解き、祇園の花見小路をはじめとする街の研究を重ねながら、宗右衛門町は、“食と酒、川のある街 宗右衛門町”というまちづくり宣言を行いました。粋なもてなし、趣向の味で、人を潤す大人の街というものです。こうしたイメージもパースで表現してみたのですが、このパースは、街の人の理想とするところとニュアンス的に少しずれているようで周防町みたいだと怒られています。
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