川づくりに都市側がどう関わるか
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4。まちづくりの視点からの取り組み

 

 まず我々は武庫川を相手にしているわりには、武庫川について知らなすぎるということから出発しました。ごく一部の人はマニアックに川と付き合ってよく知っているんですが、大半の人は流域に住んでいながら武庫川のことをよく知らないんです。流域の人が武庫川のことを知らないと、安全なのか危険なのか、楽しいのかそうでないのかの判断も下せない。ですから、まずは武庫川を知るための基礎資料を作らねばということになりました。

 言い出しっぺである私がこつこつと武庫川について調査を始め、川だけでなくまわりの都市や町、田園、山林等との関係を読み解く作業もやって、カルテを作りました。地域の歴史・文化も含めた基礎資料作りでしたが、この作業は本当に手弁当のボランティアです。県は一切お金を出してくれませんでした。河川そのものを対象にした調査なら随分お金を使って事務局やコンサルタントに依頼しているのですが、まちづくりの話が絡むと一切支援がありません。それだからこそ、我々がやろうと思ったわけですが。


まちづくりの視点から調査分析案

 これについては、いろんな視点とリンクさせて川を分析しました。やはり川のことだけを見るのではなく、川を取り巻く地域や文化、暮らしなどとリンクさせて考えないといけません。景観の問題にしても町側の話だけでやっていてもしょうがないし、川と関連づけてやっていかねばならないということです。このように関連するものを収集、分析していくことで川づくり・まちづくりに生かすという発想で提案しました。私の専門である「地域の文脈」を把握して、まちづくりと川づくりに生かすということです。

 このやり方については流域委員のみなさんも賛成してくれたのですが、河川側からは「こんなに調査対象の幅を広げてしまうと、物事は前に進まない」と意見が出て、結果的には単純なフローになりました。しかし、実際の現場ではこういうことも議論しながら進めていきました。

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まちづくりの視点からの調査分析案
 

武庫川カルテ

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武庫川カルテ地区位置図
 
 これが武庫川カルテの地区を示した地図です。だいたい宝塚から下が下流で、図の1〜10あたりまでを中心に分析しました。流域カルテは31まで作りましたが、下流から中流、上流ととぎれないよう川・地域の情報を集めています。

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甲子園口地区
 
 これはカルテ図の一例で、甲子園口地区です。ちょうど旧甲子園ホテルのあたりに枝川という川が武庫川から分流していました。甲子園球場は枝川を埋め立てて作ったといういきさつがあります。

 町の形も昔の枝川に沿った形で展開していますし、神社・仏閣もあり緑環境が豊かな所です。

 地図の右端には伊丹と西宮を結ぶ昔の街道筋(旧津の中道)が残っています。昔は橋がなかったので渡し船で通行していました。それが「守部の渡し跡」です。

 また、この地図には洪水で堤防が切れたとき、どこまで水が入ってくるかを予測した地点も入れています。淡いグリーンで色分けしたところがそれで、0.5〜1mまでと予測しています。ハザードマップとまではいきませんが、それも含めて利水・治水あるいは楽しめる場所とリンクさせて考えるためにカルテを作りました。

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武庫川カルテ
 
 点線で示したのは、流域でよく利用されている散策コースです。河川敷の散策コースだけでなく、周辺の散策コースともリンクさせて武庫川を楽しんでもらいたいと考えました。

 こうしたカルテに基づいて、周辺の状況、土地利用の様子や文化資源、空間環境などを調査し、その特徴をまとめました。

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武庫川カルテ図一里山町地区
 
 一里山町は仁川との合流点です。ここには昔武庫川から尼崎エリアに水を運ぶために取っていた六樋という樋があります。武庫川の川床より下の方で取水して導水したものです。そこから六つのエリアに分水していました。このあたりはけっこう奇麗な水で、蛍もいますし小魚もいます。武庫川の水は豊かなんだなということがよく分かります。

 もうちょっと上流に行くと、西宮側では百間樋(ひゃっけんひ)という所がありここから取水しています。そこから百間樋川となり西宮市街地に農業用水として配水されています。ここも奇麗な水が流れていて、鯉などの魚がたくさん見られます。

 私はこの近くに住んでいますが、武庫川がこんなに豊かな自然環境だとは知りませんでした。流域委員会に関係するようになってから、やっと分かったんです。こういう地域情報をもっと集めて、みんなに知ってもらいたいのです。武庫川の魅力を知ってもらうことで、治水や都市と川のコラボレーションのこともより理解しやすくなると思います。洪水に関係のない山の手に住んでいたとしても、武庫川の姿を知ることで自分と自然との関わり(例えば、雨水を下流にむやみに流さず、自分の所で一時貯留してもらう等)を考えるようになるんじゃないでしょうか。今までは、川と自分との関わりを考えるツールがなかったんです。ダムのことを話し合うにしても、今までは机上の論議だけで賛成/反対を口にしていたことが分かるようになりました。

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武庫川カルテ 一里山地区
 
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武庫川カルテ明治19年地形比較図 一里山町地区
 
 明治19年頃の一里山町地区です。ここは仁川と武庫川の合流点です。仁川は天井川ですから、土手を高く作っています。昔は川幅も広かったことが地図で分かります。武庫川も大きく形が変わりました。

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武庫川カルテ明治19年地形比較図 末広町地区
 
 同じようなことは宝塚地区にも言えます。宝塚市役所・クリーンセンター・体育館のあたりに昔の土手らしきものがあったことが分かるのですが、その頃は逆瀬川をのみこんで武庫川が流れていました。大正・昭和にかけて武庫川は河川改修が行われ、川幅を縮めました。その分、都市側が公共施設、工場、住宅などの土地利用をしていったのが現在の武庫川です。武庫川にしてみれば、人間に勝手にいじられて狭く窮屈な所に追いやられたというところでしょう。今さらその土地利用についてどうこう言うことは出来ませんが、川のあり方としては間違っていたというのが我々の発想なんです。

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武庫川カルテ図 宝塚駅前地区
 
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武庫川カルテ 宝塚駅前地区
 
 宝塚の中心市街地部のカルテとコメントです。

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武庫川カルテ図 武庫川峡谷下流地区
 
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武庫川カルテ 武庫川峡谷下流地区
 
 問題のダム計画地付近です。このような阪神間市街地から非常に近接した自然豊かな峡谷に治水上の効率性だけの評価でダムを作ることの是非が問われているのです。

 今の地球温暖化が進むと、100年に一度の洪水ではなくもっと頻繁に大きな雨量に襲われるかもしれません。ですから、ダムを造っても役に立たないことがあり得るのです。それよりも、洪水が来てもいいような流域対策、そんな発想の危機管理を住民共々していくことが大切なように思います。

 武庫川カルテ試作版は中流から上流地区へとまだまだ続きますが、あとは県のHPで参照して下さい。

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