まともに見ようよ 川と地域と私たちの生活
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破堤の輪廻

 

なぜ破堤は繰り返すのか

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 この地域がどうしてそうなってきたのか、もともと低いところに川は自由に流れていました。それを秀吉が山にひっつけた。まさに自分たちの利益のために山にひっつけたんです。同じように色んなところで川が自由に流れていたものを、堤防を造って、あまり自由に流れてくれるなと、私たちはここに住みたいと、川を固定したわけです。

 堤防で川を固定すると今まで色んな所であふれていた洪水のエネルギーが全部川に集まってきます。エネルギーが集中します。そして住民は「もうこれで堤防ができたから」と安心して人が住んで街ができます。そこへ未曾有の大雨が降って、堤防が壊れる。枚方で壊れた。高槻で壊れた。宇治で壊れた。これはいかんと堤防をかさ上げする。あるいは川底を掘って、洪水をたくさん流せるようにします。そうするとまた上に戻ってきて、より以上に洪水のエネルギーが集中します。人は安心して、もういいだろう。そこへまた大雨。破堤。この繰り返しがいまだにずっと続いているわけです。

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 このように水がまわりであふれていた時は、洪水エネルギーもそれほど酷くなかったのです。

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 連続堤防で、川の中に全部洪水を押し込めようとすると、当然のことながら洪水量は増えてくるわけです。

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 はじめ秀吉が文禄堤を造ったときは、堤防の高さは2メートルでした。しょっちゅう水はあふれたのでしょう。しかしその周りにはそんなに人も住んでいなかったし、少々あふれても大したことはなかった。それをどんどん高くして、現在は10メートルです。そしてここに日本で一番人口密度の高い街ができています。この10メートルの堤防はなかなかあふれません。しかし、自然というのはそこで治まってくれるわけではありません。もし堤防が壊れたら街は一気に飲み込まれてしまうわけです。そういう危険性があるということです。

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 決壊と改良工事を繰り返してきて、今現在も昭和28年の洪水を目安に、今後の洪水を抑えようと、さらに改良工事をやろうとしています。しかしその繰り返しをやると28年よりも大きなものが来たら、今まで以上にもっと壊滅的な被害にあいます。

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 これを私は(これを言い出してかれこれ6年くらいになりますが)、「破堤の輪廻」と呼んでおります。「なぜ、いたちごっこを繰り返すのか。繰り返すたびに、次に起こった時にはものすごいことになるよ」ということを私は言ってきたのですが。


目先の防災に追われて

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 自分の家の前を水で溢れさせたくないという目先の防災で堤防を造って、川底を掘る。その繰り返しで結果的に多数の死者を出すような危険性を増している。全然減災になっておらず、増災になっているわけです。氾濫の頻度は少なくなったかもしれませんが、人が大量に一気に死んでしまうという危険性はますます高まっているということです。

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 これは淀です。ここ(図の茶色部分)に桂川の左岸堤があります。ここには一軒一軒に皆、人が住んでいるわけです。そしてここに家族がいるわけです。人がいるんです。そしてこの堤防は土でできていて、非常に脆いです。殆ど土を盛ってあるだけです。これが壊れたら、一気にやられてしまうんです。ここに一人ひとりが生活しているんです。

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 この状態をなんとかすべきなんです。私はこれはリコール対象だと思っています。何にもましてこの状況を変えない限り、本当の意味での治水はありえないと思っています。堤防で川と地域を分断し、そして洪水を川の中に押し込めようとした。その結果が全てだと思っています。

 ではどうすれば、この破堤の輪廻から脱却できるのか。

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