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輪廻からの脱却

 

防ぐから凌ぐ〜桂離宮から学ぶ

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(出典:淀川河川事務所資料より作成)
 
 これは桂川です。そして桂離宮があります。ここはもともと低湿地帯です。桂川はしょっちゅう氾濫していました。この桂離宮ができたのは、1600年の初めです。それから400年間、あの繊細なお庭と茶室や書院がずっとあるわけです。しょっちゅう洪水があったのに、なぜ今まで残ってきたのでしょう。

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 桂離宮の書院は高床式、ピロティです。ですから桂川の氾濫はあるということを前提にしたうえで、入ってきたものはやむをえない、しかし座敷までは上がらせないよという、これが京都人の発想なんです。人に「おいで、おいで」と言うわけです。しかし座敷には上げないと(笑)。これが洪水に対する知恵なんです。

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 知恵はもう1つあります。この写真は左側が桂川、堤防があって、生垣(笹垣、桂垣と呼ばれる)があって、桂離宮という配置になっています。

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 この生垣をアップで見ると、生の笹を編んであります。洪水が来た時に、何が困るかというと、洪水によって運ばれた土砂やごみです。この桂離宮は、桂川の氾濫を前提としながら、しかしその被害をできるだけ少なくするため、氾濫流をこの桂垣で漉してきた。つまり土砂とごみをフィルターにかけているわけです。そういう工夫があったから、実はこの桂離宮は400年間こういう格好で続いてきたわけです。それを、とにかく桂川を抑え込んでやるんだ。腕力でもって、洪水を抑え込んでやるなどと思って、桂離宮をつくっていたら、とても400年ももっていません。自然の大きな力に対して、防ぎきれないから、凌ぐ。なんとかその中で人がダメージを受けないよう、凌ぐんだという発想だと思います。それが減災です。

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 洪水は受けても、できるだけダメージを小さくする。どのような洪水であっても、命だけは取られない。そういうしたたかな地域にしようではないかというのが、実はこの淀川(流域委員会については後ほど申しますが)でずっと発想転換してやっていこうとしていた流れなんです。


堤防をしぶとくする

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 で、どうするかです。先ほどのリコール状態のものをどうやって凌ぐのか。この状態はあるのですから、まずやらねばならないことは、この堤防が一気に壊れることを何とか防ごうということです。1つは、この堤防は土でできたもので、ほとんど防御らしい防御はないわけです。これをしぶとくするということと、川の中の洪水のエネルギーをできるだけ集めない、抑制しようということです。

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 三年前、豊岡市で円山川の堤防が切れました。たまたまここは人家が殆どなかったので、よかったのですが、すごいエネルギーです。ここは深さ4〜5メートル深堀しています。洪水の堤防が破堤した時のエネルギーというのはどれほどすさまじいかということです。

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 これは上流の出石川です。赤い屋根の家が見えますが、これは300メートルも流されました。私も破堤した翌日に現場に行きましたが、それはすさまじいです。もう口では言い表せない。背筋が寒くなるような光景です。

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 ここまで被害が大きくなったのは、堤防の上に水があふれ、堤防を削っていったのが原因です。これを越水と言います。その堤防をしぶとくするにはどうするのかということです。

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(出典:淀川河川事務所パンフレット)
 
 もう20年来、図のように従来の堤防よりドーンと大きくして、その上にまちづくりをして、スーパー堤防にするという工事をやっています。これは確かに丈夫になります。しかしこれを全ての場所でやるには、どれだけ金がかかって、どれだけ時間がかかるのか。もちろんできるところはやったらいいのですが、全ての堤防をこの手法でしぶとくするというのは、あまり現実的ではありません。

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円山川破堤部改修状況
 
 円山川で、最低これくらいはするべきだと行ったのがこれです。堤防が何もなしの土だったら、水が乗り越えるとえぐれるだけです。ですから写真のようにブロックのマットを敷いて、越流してきても、堤防が削られることをできるだけ抵抗しようと。そして上から土をかぶせるわけです。これも1つのしぶとくする工夫です。

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 これは木津川の城陽あたりで行っています。もともと環境整備のために堤防の横に土を盛って、桜並木をつくるということでやっていました。この時、桜の根が堤防の中に入って腐ったら困るからと、縁切りのブロックマットを敷いています。これも結果的に非常に越水に対して強くなる、しぶとい堤防になっています。こういう工夫はいくらでもあるわけです。


洪水のエネルギー抑制

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 さて、もう一方の「洪水のエネルギー抑制」をどうするかです。

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(絵の部分の出典:国土交通省河川局パンフレット)
 
 できるだけ川の中のエネルギーを集中させないようにするには、川に雨水を全部流し込むことをできるだけ抑えなければなりません。流域の中でできるだけ水を溜めようということです。これも昔から言っていますが、なかなか本気になって進まないです。


個人的な試みですが

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 これは余談になりますが、私も皆に水を溜めようということを言ってきたわけです。しかし自分は何をやってきたかというと、個人としては何もやっていない。そこでささやかではあるけれども、家の屋根に降った水だけは溜めようと思って、今年雨水貯留タンクを設置しました。そうすると、やりだすと色んなことが出てきます。ポリのドラムに入れていましたら、陽があたって、中の水がお湯になるんです。これはやってみないとわからない。そこで竹の柵をつくり、日除けをしました。

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 それから具合が良くなって、屋上で菜園をやったら、たくさん野菜がとれました。これは私のとこのブランドで「高瀬川野菜」というんですけれども(笑)。


洪水を凌ぐ工夫

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 昔のこういう堤防は低い所やない所があったので、ある程度洪水が大きくなると、じわっと地域の田んぼや湿原にあふれていたわけです。それを高い連続堤防にしたものだから、全部集中するわけで、もう一回、じわっと地域にあふれる、洪水エネルギーを逃すような工夫をすべきではないかと、私は思っています。

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 これは佐賀県の城原(じょうばる)川です。この川も非常に工夫されています。あるところまで水位がくると、堤防に低くなっているところがあって、水をまわりの田んぼに流して、うまく洪水エネルギーを分散しています。こういう知恵が昔からずっとあったわけです。

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 しかし今言いましたように、他の所に比べて水がつきやすいわけですから、同じようなまちづくりはできない。そうするとここは土地利用計画として、農地だけにするとか、公共の公園だけにしようではないかなど、色んなことを考えられると思います。いずれにしても土地利用計画と一緒になって、洪水対策をやろうというのが流域治水ということであります。


住まい方の知恵

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 こちらは住まい方の知恵です。巨椋池の古川の末端ですけれども「一口(いもあらい)」と言います。ここは昔から水がつく所なので、家はみんな石を積んだ上にあります。

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桂川沿岸のピロティ建築住宅
 
 もう1つ見かけたのは、桂川の久我(こが)橋から羽束師(はずかし)橋に行く間の右岸です。田んぼに色んな新しい家がいっぱい建っています。私はそこを歩くたびに怖いなと。実は桂川で一番危ないのはここなんです。ところがその中で1つだけ、桂離宮のような家があるんです。高床式(笑)。これはどういうつもりで、こうされたのかわかりませんが、すごい知恵やなと。結果的には何かの時には、この家だけが助かるんでしょう。

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淀川水系 淀川・宇治川・木津川・桂川 浸水想定区域図(出典:淀川河川事務所木津川上流工事事務所)
 
 これは淀川・宇治川・木津川・桂川の浸水想定区域図です。堤防がどこかで切れたときに、どこまで水が行くかということを、ずっと想定した図面です。これは公表されています。今日も川歩きで見られたと思いますが。

 私はそういう見方ではなく、もともと川はこういう所を自由に行っていたんだというふうに私は見ています。そのなかでも色の濃い所はもともと川が本来あるべき所だと思います。これが実はブルーに塗られた現在の川の中に閉じ込められているわけです。この不自然さが洪水対策を非常に脆いものにしているのです。


住み方、生き方、地域の姿を変える

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 目先の安全性、利便性、快適性を求めて、川に洪水を押し込めて、川を変えるということを、明治以来ずっとやってきました。しかしその結果、本当に良い地域になったのかと言えば、危険で脆い地域になっているわけです。大変かとは思いますが、私は明治以来やってきたこの方向ではなく、今度は私たちの住み方や生き方や地域の姿を変えていく方に向けないと、本当の意味でしたたかな地域にはできないのではないかと思っています。

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