まともに見ようよ 川と地域と私たちの生活
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川と暮らしの分断

 

誰が川を汚すのか

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(★出典??)
 
 これは明治から測っている淀川の本川の水質です。淀川の水が最近きれいになったと言いますが、昭和30〜40年の最も汚い時に比べて良くなったというだけで、そんなのは嘘です。このグラフは低いほど水質はきれいなのですが、明治30年でこの状態です。明治30年ころの大阪府漁業史を読んでみると、「最近淀川の水が汚くなった」と出ています。その頃の水質でさえそうなのですから、現在の水質をして、何が最近きれいになったのかという話です。ましてやこれはCODという1つの指標だけです。

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田中宏明教授による
 
 京都大学の田中宏明教授は、図中の場所で水質を測りました。何が出てきたのでしょう。

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田中宏明教授による
 
 横軸に非常に細かい字でたくさんの物質名が書かれていますが、これは医薬品です。抗生物質などの医薬品が、川の水から大量に検出されるわけです。こんなものは通常の水質検査では出てきません。教授が心配しているのは、抗生物質が大量に川の中に流れていると、色んな菌の対抗性が強くなって、最終的にはその抗生物質を打ったところで治らないことが起こるのではないかということです。

 私も始めて聞いたのですが、我々が例えば抗生物質の入った風邪薬を飲んだとしても、身体の中にそのまま留まるのは約2割だそうです。8割は尿となって流れて下水を通して、淀川に流れていくんです。ですから医薬品などがいっぱい流れているわけです。これも非常に怖い。しかし私たちは、私たちが水洗で流した水がどこへ行くのか気にしていません。台所で飲み残したものを捨てても全く気にしていません。私たちの生活と淀川や琵琶湖の水質というものが、分断されているわけです。

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 しかしそれを私が実感するのが、ここです。桂川をずっと歩いていったら、左岸側に京都市の鳥羽下水処理場があります。ここを皆さん一度歩いてみてください。そんな大きな音ではないんですが、「キー」とか「ヤー」とか、まさに下水処理場の断末魔が聞こえてきます。叫びです。「もうどうにかしてくれ。あんたたち京都市民が捨てたもので困っているんや。もう限界や」という叫びが聞こえてきます。一度聞いてみて下さい。どんな気持ちの悪い音か。

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(出典:淀川河川事務所資料)
 
 これは木津川の八幡ですけれども、こういう水泳場がいっぱいありました。私も幼稚園くらいの時にここで泳いでいますと、目の前に白い砂がずらっと流れて、「ものすごくきれいだな」という思いが今でもあります。しかし私が子どもの頃に体験したこのすばらしい思いは、もう私の子どもは体験できません。私の孫も体験できません。私たちが体験できたこんなすばらしいことを、子どもや孫に体験させられなくなったのは、誰のせいかと言うと、私たちなんです。これを何とか変えなければならない。しかしいったいどうしたら私たちと淀川や木津川の水質が繋がるのでしょうか。


痛みを感じるために

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 こんなことを言うと、また過激だと言われるかもしれませんが。赤や緑やピンクの丸はそれぞれの街です。それぞれの街でまず川から水を取り、汚したものを川に返します。この順を変えなければならないのではということです。

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 同じような図ですが、矢印の向きが全部逆になっています。それぞれの街で使った水は、その街の上流で川に戻す。これをやらないと痛みが感じられないわけです。自分が飲む水は、自分が捨てた水を川に戻して、その水を取っているんだということにしない限りは、いくら下水処理してもダメです。もう下水処理も限界なんです。あとは一人ひとりの生活をどう変えるか、どう川と繋がるか、どう痛みを感じるかです。私の意見は過激かもしれませんが、私ももう役人ではありませんし(笑)、一住民として言わせていただくと、こういうことをやらねばならないのではないかと思っています。


人間のためだけの水ですか?

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 もう1つ、痛みを感じない話です。これは琵琶湖の西岸、高島という所です。そこにヨシ原があります。ここへずぶずぶと入って行きました。

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 そうしたら、こういうヨシに鯉やフナの卵がいっぱいついているわけです。

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撮影:大塚
 
 このまわりに、ゲンゴロウブナの赤ちゃんが泳いでいます。これはやはり見に行って、入ってみて、感じないとわからないです。

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(出典:淀川河川事務所パンフレット)
 
 ご存知のように琵琶湖の水というのは、下流、神戸の端から和歌山県境まで、我々も含めて1600〜1700万の人たちが飲んでいます。

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グラフの緑は洗堰操作規則策定前、赤は洗堰操作規則策定後の水位、横軸は月
 
 私たちが水をどんどん使うと琵琶湖の水位はぐっと下がっていきます。水位が下がると、このヨシについている卵が干上がっていくわけです。このゲンゴロウブナの赤ちゃんは浅瀬で泳いでいたものが、水位が下がってしまうと、逃げ場がなくなって干からびてしまう。

 下流で私たちが水を使う時、自分たちがこれだけ水を使うと、琵琶湖でどれだけの卵が干上がっていって、どれだけの赤ちゃんが死んでいくかということが、全然繋がらないんです。全然痛みを感じないんです。

 私たちはその痛みを感じない限り、いくら水を大事に使おうと言ってみたところで、ダメな気がします。私も二十数年役人をやってきて、河川の行政をやってきて、そういう所に行って、初めてナマでその卵を見て、赤ちゃんを見て、そうかと思ったんです。

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(左図出典:近畿地方整備局ポスター)
 
 そこで、すぐにこの「人間のためだけの水ですか?」というキャンペーンを始めました。今まで我々は、断水という事態を心配し、「水を大事に」と言ってきたわけですが、それは人のためです。しかし下流でどんどん水を使うということは、この琵琶湖の中の生き物に対して、悪影響を与えているわけです。この繋がりを、もう一度痛みを感じようということで、キャンペーンを展開したわけです。

 淀川の流域委員会では河川整備をやっているのですが、その中で、水がいるからとダムや堰を造って水を供給するという今までやり方ではなく、我々の生活を変えよう、節水して、水を合理化して、ムダをなくして、水需要を抑制しようという方向に大きな柱を立て、方向転換しようとしています。

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