私たちは、目先の安全や利便性や快適性を求めて、色んなところで分断してきました。その分断してきた結果、脆い地域になり、河川の環境も含めて、我々の生活環境は逆に悪化している。しかしこの状況で潜在的には不安があると思っています。 本当に不安に思っている人もいれば、あるいはそれほど思ってないけれども潜在的に思っているという人もいると思います。しかしその不安から、皆、目をそらして逃げている、本当に突き詰めて現状を見ようとしていない。しかし逃げていて本当にいいのでしょうか。
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今日言いたかったのは、川と地域と我々の生活を逃げずにまともに見て、実感しようではないかということです。これを本当に逃げずにまともに見たら、非常に簡単です。私たちが目先のために分断してきたものを、もう一度連続に転換しないといけない。こういう分断によって、非常に脆くて環境の悪い社会をつくって、不安な社会にしてきたのは、私たちの責任です。それを私たちの世代では完全に修復できないまでも、「私たちはずいぶんと環境を悪化させてしまったけれども、ここでもう一度反省して、踏みとどまって、軌道修正するということをやったよ」としたうえで世代交代しない限りは、やはり死んでも死に切れないという気がします。
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そんな思いもあって、もう5〜6年になりますか、淀川水系流域委員会をはじめました。そこでは、洪水の対策の話は方向を変えよう、水資源の開発の話も方向を変えよう、地域と川との関係も変えよう、そして連続性を復活して(これは琵琶湖と内湖ですけれども)、川と地域の間を繋げようということを骨太にして、今まで議論し、案を作ったわけです。それが3年前です。そして今年の1月に休止、8月に再開されました。そして今回、近畿地方整備局から原案というのが出てきました。
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実はそれがこれまでの流域委員会の議論から全く正反対のものが出てきたんです。ずっと明治以来、分断をやってきました。その結果をつぶさにみんなで見て、これは方向転換するべきだと実行しようとしていたところです。ところが今回「いや、やっぱりこっちだ」とさらなる分断へ向かおうとしています。 今、私たちは分岐点にいます。どっちに行くのか、これは大変大きな話だと思います。これから淀川流域委員会の中で、近畿地方整備局と流域委員会と住民の皆さん方と一緒になって議論して、本当に良い地域にするにはどうしていくのか、どう我々と川の関係を繋げるのかということを議論していきますが、そのポイントはこの分岐点です。 私もたまたま流域委員会に応募したら、委員に入り、投票で委員長になってしまったのですが、まさにこの分岐点を強く認識し、我々の世代の責任はどうなのかということを問いかけながら、運営していきたいと思っております。
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