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質疑応答

 

 

なぜ太閤堤は残ったか

奥西(武庫川流域委員会)

 秀吉の太閤堤の話が出ましたが、秀吉はあれを伏見城とのセットで軍事目的で作ったと思います。その後、伏見桃山城がなくなったら、太閤堤も同時に不要になったと思うのですが、なぜ残ったのでしょう?
宮本

 そうですね、水運以外にも伏見城の外堀という軍事的機能も当然備えていたと思います。ただ作った当初、秀吉は伏見城がなくなるとは思ってなかったと思います。その後伏見城がなくなった後に桃の木を植えたから伏見桃山城と言うのですが、秀吉自身は未来永劫続くと思って作ったんでしょう。

 では何故、豊臣家を滅ぼし、伏見城を解体した徳川幕府は太閤堤を残したのか。多分、その時点で伏見の町が港町として完成された地域となっていたのだと思いますね。また宇治川を付け替えるのは大変な事業になってしまいますし、伏見と大阪をつなぐ水運の拠点として重要な機能を果たしていたのでしょう。だから、徳川幕府も太閤堤をそのまま残したのだと思います。


「今さらできない」の現実を超えたい

前田(学芸出版社)

 宮本先生の基本的な考え方は、「そうだそうだ」と同感いたします。ただし、今日歩いた桂川流域にも多くの人が密集して住んでいますし、その家々を全部どかして遊水池にするのは簡単にいかない…と言うか、無理なように思います。1階部分をピロティにするのも簡単ではないでしょう。500年ぐらいのオーダーを考えるなら可能かもしれませんが、今、考えるとするとどんな風に考えればいいのでしょうか。

宮本

 「今さらできない」と思うのが大多数のご意見だと思います。役所もそう思っています。

 だからこそ私は主張するのですが、今何もせずに今の方向で作った環境を子どもや孫に自信を持って引き継げますか? まだ私たちが自分たちの作った環境のせいで、大洪水で死んでしまうのはマシです。だけど、我々の時代には来なくても、子どもや孫の時代に我々のツケを負わされて死んでいく…その可能性を考えていただきたい。

 できないと言う前に、自分や家族を取り巻く現実を見たら「これでいい」とは言えないでしょう。

 それから、「できない」という話より、今までやろうとしたのかと私は問いかけたい。やろうとして難しかったからやめたのではなく、やろうとしなかっただけでしょう?
 確かに危ない所にいっぱい家が建っていますが、こんな状況になったのはたかだかここ数十年ぐらいのことです。我々が子どもだった昭和30年代には、川べりに田んぼがあり、湿地が広がっていました。日本の歴史の二千年のうち、この何十年だけで環境が滅茶苦茶になったんです。今なら、昔よりも技術力がありますし、みんなが本気になったらこの数十年の破壊をけっこう早く修復できるのではないでしょうか。

 地球温暖化の話にしても、CO2削減を今やらねば将来大変なことになってしまうから地球単位で考えているわけでしょう。今日の川と我々の関係改善も小手先だけじゃなく、「やろう」という方向に軌道修正をするかどうかの選択が迫られているのです。

 だとすれば今できることは、やはり一人一人が痛みを感じて行動するしかない。現実の危機は確かに洪水でも来ない限り見えないものですが、できるだけ情報発信してリスクをみんなで共有していくしかないと思っています。

 とにかく前田さんが「無理」とおっしゃっても、私はやりますから!。


なぜ逆の方向の原案が出てきたか?

田村(武庫川流域委員会)

 私も武庫川流域委員会の一員です。活動の中で、有志の会である「武庫川づくりと流域連携を進める会」を立ち上げて新しく活動を始めたところです。

 宮本さんにうかがいたいのは、もともと国交省のお役人だった方が、今おっしゃったように「川を分断から連続へ」というキーワードで淀川流域委員会などのいろんな活動をされてきました。その活動の大本で宮本さんが構想されたことが近畿地方整備局の原案になったはずなのに、実際は全く逆の方向の原案になって出てきたということですね。その辺の事情を少し教えていただきたいと思います。

 それから、公募で淀川流域委員会の委員に応じられてその後委員長になられたわけですが、委員会の進め方における基本的な考え方も教えてください。

宮本

 淀川の基本的な考え方は【「なるべく早く洪水を下流に流す」】という考え方で、この状態を積み上げて現在までやってきています。しかし、今お話したようにこの図式はとてももろいんです。ですから何とかするために堤防の補強をして、川に洪水エネルギーが集まらないようにしようというのが基本的な考え方でした。そのためにいろんなメニューが考えられてきました。

 そして現在、なぜこんな風になったかと言うと、とにかく目標を設定していってそれをクリアすればいいという考え方だったからですね。目標は次々と高くなり、それを私は「輪廻」と言っているんですが。

 変な考え方ですが、役人はまず計画目標の洪水の水量を決めるんですよ。それさえクリアすれば少々堤防が高くなってもいい…その結果が現在の姿でしょう。

 しかし、我々が50年に1回、100年に1回の洪水を設定しても、淀川が「ああ、計画を超える洪水を起こしちゃ申し訳ないな」と思ってくれるわけがない。最近では東海豪雨が明治以来の記録を一度に2倍以上破ってしまうものでしたが、そんなことも起こり得るんです。アメリカを襲ったハリケーン・カトリーヌの場合も、カテゴリー3で設定されていた防波堤をあっさり破るカテゴリー5の強さでした。つまり、従来の目標設定というやり方の繰り返しではもう通用しないということです。

 今までは計画高水位という水位を決め、そこから余裕を持たせた堤防を作っていました。しかし、人間がいくら線を決めても自然現象がそこで納まってくれるとは限りません。

 それなら堤防をいろいろしぶとくして、【またなるべく水が一気に川に集まらないようにして】、いろいろ備えようとするのですが、それでも万全ではありません。

 ところが今回出てきた原案は、戦後最大と言われる昭和28年の洪水を目標設定にしているんです。その洪水を安全に流すために、上流の桂川を掘削し、下流の淀川に流れるようにする。そして、淀川があふれないよう、滋賀県の大戸川ダムで調整するという計画です。私に言わせれば、数字のつじつま合わせと言うべき計画です。勝手に仮定の水位を想定して勝手に仮定の雨を想定し、下流でこんな数字が出るだろうから数字を合わせるために上流にダムを作る。こんな数字のつじつま合わせが、今回の計画原案です。

 私は元来がおおらかな性格ですから、大筋が合ってたら「ああそうか」と思う方なんですよ。だけど、こんなつじつま合わせの発想で、大きな問題であるダムが計画に位置づけられることには納得できません。それならこちらも徹底的に聞いていきますよというのが、今のやり取りの状況なんですね。

 また堤防の補強は100%できませんと言われます。それに「洪水エネルギーの抑制のために流域で水をためるのは無理です」とあきらめの状態でもあります。だからと言って、今までのやり方を繰り返すのは間違っていると思います。


国交省内部ではどう考えているのか

難波(兵庫県)

 国交省出身の宮本さんがこういう話をされることは、私にとってちょっとショッキングなことでした。我々一般人に何ができるかというお話でしたが、国交省内部ではこういう議論はされないのでしょうか。河川の方ではいろんな議論を経て考え方が柔らかくなったと言われた時期もあったと思うのですが、国交省の内部ではどうだったのか気になりました。

宮本

 実は今私が言ったような話は、国交省の役人も心の中ではみんな思っていることなんです。今までも河川審議会で何回も、総合的な対策として流域に水をためられるようにしようと言ってきているんです。ではなぜそれが実現できなかったか。

 最後の最後で、本気で流域対策をやろうという話にならないからです。原因は、川自体で洪水を処理するという発想から脱却できないことです。

 でも、みんな心の中では「もう今までのやり方は限界だ」「堤防だって今のままでは危険だ」と分かってるんです。200年に1回の洪水対策にしても、河川局の中だけの話だったら通用するけど、一般の住民には到底通用しがたいことだろうことは、役人だったら分かり切っているんですよ。

 で、今はその発想から脱却できるかどうかで、心がすごく揺れているんです。私が役人だったときに従来の発想を変えた淀川の案を作りましたが、実際に作ってくれたのは近畿地整の河川局の職員です。ですから役人も気持ちとしては今までと違う方向に行くべきだと思っているのですが、そうしてしまうといろんな問題も同時に起きてしまうことも分かっているから、なかなか腹が決められない状況です。

 その揺れ動いている分岐点に我々は今いるわけですから、新しい方向に行けるよう社会や住民のみなさんが後押しして欲しいですね。役人の力だけでは行けませんから。決して国交省は従来の方法に固執しているガチガチ頭の集団ではありません。今はとても微妙なバランスの所にいます。情勢が変われば一気に変わるかもしれません。役所は一気に変わると、やることも一気にやってしまう所ですからね。


スーパー堤防のメリット・デメリット

林(和歌山大)

 お話の中で少し触れられたスーパー堤防についてです。コストがかかるということでしたが、その点も含めてスーパー堤防のメリット、デメリットを教えてください。

宮本

(1)スーパー堤防のメリットについて
 大阪平野のような柔らかい沖積層の所で土饅頭の堤防で洪水を抑えようとしているのが、今の堤防の現状です。これをスーパー堤防にして、堤防を分厚くなだらかにすることで、水があふれても壊れにくいということはメリットでしょう。洪水だけでなく地震に対しても強いです。

 また今の土饅頭型堤防は川と町を分断する壁になっていますが、スーパー堤防のなだらかさによって町と川とに連続性が出てくるというメリットもあります。

(2)スーパー堤防のデメリット
 デメリットとしては、何と言ってもお金がかかりすぎること。また、堤防のきわまで人が住んでいる所では、まずその人々に立ち退いてもらって土を盛り上げ、それから新しく町を作って再び人に住んでもらうということになりますが、当然まちづくりの調整が必要になってきます。地元調整にはおそらく膨大な時間がかかるでしょうから、それはデメリットだと思います。


都市河川の埋め立てについて

 もう一つ、都市河川の埋め立てについてです。桂川や宇治川のような大きな河川では無理でしょうが、大阪市内では主に交通の便を確保するために河川が埋め立てられてきました。川そのものをなくし歩行者専用道にしたり高速道にしたりしていますが、このような手法は今後もあり得るんでしょうか。それとも、この手法はもう限界でしょうか。

宮本

 私が思うに、大阪という町が元気をなくして没落したのは、川を埋め立てて道路にしてしまったせいです。大阪は東京と違って水の都が本来の姿でした。東京と同じような都市像でまちづくりしても、東京には負けるに決まってます。大阪が水の文化をつぶしてしまったら、大阪の特徴がなくなってしまうんですよ。答えになってないと思うけど、私は都市河川をつぶして道路にするのは、都市の魅力をなくす自殺行為だと思っています。

 実は京都の高瀬川も、私の子どもの頃に蓋をして道路にするという話があったんです。実現しなくて本当によかった。高瀬川に面する木屋町通りはうるさい河原町からほんの二筋入っただけなのに、川のおかげでほっとできる通りになっています。夏は川風が吹くし、鳥も飛んでくるし、最高の環境です。もしも高瀬川に蓋をされた環境になっていたら、私の人格形成にも多大な悪影響があったんじゃないかと思います。

 そんなことで、今後は都市河川の埋め立てはあり得ないと考えています。韓国でも高速道を川に戻すということをやっています。日本の河川局の人間も川を埋め立てて道路にしようとは思ってないですから、今後はあり得ないことだと思います。


川を前にすると専門家も一般市民も同じレベル

奥西

 川づくりの分断と連続についてのお話でしたが、河川行政が川づくりの分断化を進めてしまうのは科学技術の細分化もある程度関係しているのではないかと思います。あまりにも技術が細分化したせいで、いろんな所で弊害を引き起こしているのではないでしょうか。科学技術の分野でも総合化していくことが必要だと思います。

 また、川づくりを専門家任せにしてはいけないと思います。やはり総合的な目で見ることができるのは、普通の人なんです。私自身は専門家として流域委員会に参加しておりますが、ややもすると専門家が幅を利かせるような所があって視野が狭くなり勝ちです。本来なら普通の人が主役となって委員会で頑張り、専門家はアドバイザーに徹するべきだと感じます。

宮本

 そういう考え方もあるでしょう。私は分断というのは川だけでなく、あらゆる分野に及んでいると思います。なぜそうなったかと言うと、私たちが受けてきた教育は分断することで解析しようという内容で、総合的に見ようなんてことは習ってこなかった。いろんな所で割り切って、前提を置いて条件を捨象して一番シンプルな形で答えを出すというやり方を習ってきました。だから、今の世の中でリーダ的な存在の人ほど分断することが得意なんです。私もどちらかと言えば、そっちの方だと思います。そこに限界があって、反省すべき点だと思います。

 また、今おっしゃられた「流域委員会では一般市民が主役で専門家はアドバイザーに徹するべき」というのは、ある意味そうだと思います。ただ、川という存在は水が流れているだけじゃなく土砂の問題、生物もいっぱいいるし、流域には人がいっぱい住んでいて対象が無限なんです。それを前にすると、専門家も一般市民も河川管理の役人もレベルは一緒だと考えています。川についてはみんなほとんど知らないんだというスタート地点から議論や活動を始めると、みんな知らなかったことも分かり、自然に学ぼうという姿勢になってくると思うんです。

 専門家がアドバイスするというより、専門家も知らないんだという姿勢で臨むことが大事なように思います。私自身、28年間河川行政の専門家として川と付き合ってきましたが、私の知らないことはいっぱいあります。川を前にすると、みんなゼロからスタートする、そんな風に思っています。

奥西

 しかし、専門家として特定の分野にアドバイスできることもあるのでは?
宮本

 それはあります。だけど、それは極めて技術的な分野の専門家の話になります。逆に、そういう専門家の知識が必要になる河川計画を作ること自体がおかしいと思います。川の治水計画、整備計画って本来分かりやすいものなんです。住民が見て、一目でパッと分かるような話です。

 それなのに専門家が難しい用語を並べないといけないような計画は、的を得ていない、よくない計画です。だからみんな遠慮せずに、どんな立場の人でも川についてどんどん発言していくことが、良い川づくりへの近道だと思いますね。


ダムは最後に選ぶ外科手術みたいなもの

神谷(愛知県)

 今日はダムの話が聞けなかったので、ダムについてうかがいます。「分断」という観点からすると、ダムもやはり上流と下流を分断してしまうのではないでしょうか。また今の日本ではダムの適地がほとんどなくなっていて、造るとコストパフォーマンスが悪くなってしまいます。今後も造ろうとするのは私は矛盾した話だと思うのですが、その辺はいかがお考えですか。

宮本

 ダムは確かに川の流れを分断してしまいます。水の流れだけでなく、魚の行き来、土砂の流れも分断します。上流から流れてくるはずの水がダムでせき止められて下流には少ししか流れない、それも分断ですよね。

 だから、ダムは分断を避けるためにもできるだけ作らない方がいいと考えています。

 しかし、どうしても必要な場合もあるでしょう。しかし、その時もダムは本来は作らない方がいいけどやむを得ず作るというぎりぎりの所で判断していただきたい。

 私はダムを作ることは外科手術みたいなものだと思っています。手術に善し悪しがないように、ダムにも善し悪しはないんですよ。手術を受ける患者や家族は本当は手術ではなく薬か何かで治したい。でもそれでは治らないことが分かると、手術を選ばないといけない。もちろんその時は徹底的に説明を聞いてから手術を選ぶのです。他に手段がなくて手術しか方法がないときに外科手術を選ぶように、ダムもそれしか方法がないときに選ばれるものだと思います。

 問題なのは、他の方法を考えずに最初から「ダムしかない」という姿勢で作られることです。

 最近、ダムがみんなに不信がられるのは、安易に手術したがる医者と同じだからです。他の方法を考えてくれず、切るのが好きなだけの医者って信用できますか。できるなら「私だって手術は避けたい。薬だけで治したい。だけど手術でないと、この病気は治らないんですよ」と言ってくれる医者の方がいいでしょう?
 ダムが嫌がられるのは、なぜダムという方法を選ばざるを得なかったのかという説明もなく、作るのが嬉しいとばかりに「ダムでいきます。それが一番効果的だから」という姿勢でやるからです。だから一般市民は「ああ、作りたいんだな。土木業者を潤したいんだ。癒着だな」と思ってしまうわけです。なんだか答えになっていませんが、私のダムに対する見解です。


不自然な生活のツケが今きている

大西(有栖川を考える会)

 右京区に住んでまして私はよく山歩きをするのですが、最近右京区になった京北町の山々の維持管理が大変で山が荒れているという話を聞きます。大水が出たニュースを見ても、土や木がいっぱい流れ出していて山がよくないなあと思うことも多いです。

 川づくりのためには、町だけでなく山にも目を向けて欲しいと思います。健全な林を作れば水もきれいになりますし、温暖化防止にも役立ちます。我々は森林を切り開いて郊外ニュータウンを作ってきましたが、排水問題も起こり地域環境に悪影響を及ぼしました。これからは人を密集させる住宅地ではなく、もっと分散して住み住環境に植物を増やす、そんな風に発想を転換させる時期ではないかと思うのですが、いかがでしょう。

宮本

 私の家業の話をしますと、ウチは実はもう40年前に杉の樽を売るのを止めたんです。今はドラム缶とかポリビン、ダンボールケースとか、つまり石油製品を売っています。しかし、私はあと20年もしたら、こんなに石油製品を扱える時代は終わると考えています。だからこそ私はもう一度、杉の樽を作り始めたんですよ。

 おっしゃられたように、森林も田園も荒れているのが今の日本です。こんなに食料自給率が低い国は世界でもまれでしょう。洪水対策の話もそうですが、この問題も子孫に引き継がせていいものかと思います。今もう一度、真剣に森と農業、我々の生活を見直すべきだと思います。

 結局、小さいことでもいいから自分にできることは何かを考えることでしょうね。洪水、温暖化、荒れた森林、食糧自給率、これらは全て我々が不自然なことをやりすぎたツケが今回ってきているのです。もう一度、何が自然なのかを考えてそこへ戻らないと、我々は立ちいかなくなると思います。明治以来続けてきたいろんな破壊を、せめて我々の時代に止めて、子孫には「全部は元には戻せなかったけど、ここまでは変えたよ」と言えるようにすべきでしょう。


まとめ:やはり自分ができることから始めよう

田村(JUDI関西)

 今日の宮本さんのお話は「分断から連続へ」という言葉に尽きると思います。

 いろんなお話の中で、私がとりわけ印象に残ったのは、元々川と町は一体のものなのに、日本の近代化の中で川は排水路となり果て、町や田園とも切り離されてしまったということです。おかげで日本はそこら中で殺風景な町ができてしまいました。最後に出た山と川の話、海と川も同じように分断されています。

 我々も専門家かどうかに関わらず、回りのいろんなことに関心を持って、宮本さんがおっしゃったように自分ができることから始めていくべきでしょう。宮本さんは自宅の屋上で雨水による野菜育てをしているそうですが、そうした行動が大事だと思います。

 私も武庫川流域委員会に参加するまでは、川のことなんてほとんど知らなかったんですよ。でも、委員会ではいろんな方がおられ、頑張っていろんなことを提案され、それがきっかけになって県の対応も変わってきました。県も本当は今までの河川行政を反省していると思うんです。でもお役人は外でそういうことが言えない人たちなんですね。それでも、私たちは一緒に活動を持続させていかねばならないと思います。

 本音を言うと、流域委員会は一般市民のボランティアですから、活動を続けていくのはシンドイ面があります。淀川流域委員会にも同じ面があるかなと思います。

 やはり立場は違っても一人一人が持続的な活動を続けていくしかないなという気がします。また、いろんな人の発想に刺激されながら、総合的なとらえ方をしていくしかないのかなとも思っています。

 今日は本当に幅広い視点から、川のことに限らずいろんなことが勉強できました。有意義な講演会でした。今後も宮本さんは淀川流域委員会の委員長として、いろいろ情報を発信していただき、まちづくり、川づくりに貢献していただきたいと思います。今日はどうもありがとうございました。

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