今でこそ私は「しゃべる人」「考える人」になっていますが、それ以前、私は「作る人」でありました。 前史〜作る人であったころ−ヘルシンキから広大キャンパスまで
イギリスではミルトンキーンズ開発公社に入り、そこが手がけている「ニューシティ計画」(ニュータウン計画)に参加することになりました。 ここは900ヘクタールという広大なエリアで、すでに大まかなプラン自体は出来上がっていました。私が参加したチームの仕事は、セントラルエリア周辺の住宅地計画を手がけることでした。そこで、私は全体のストラクチャー(構造)計画を設定することになったんです。
| ||
この図がセントラルと周辺の図です。白地はセントラル部分(シティセンター)で、この構造はすでに決まっていました。それに合う形で、その周辺のブロックのストラクチャーを設定していく作業をいたしました。1ブロックが100ヘクタールぐらいある広大なエリアです。
| ||
図のように、とても堅いグリッドの中に、いろんなタイプのハウジングを入れ込む作業をしていきました。
| ||
建設がちょうどこれぐらいまで来た頃に私は帰国することになったのですが、帰国後もやはり気になってどういう形に仕上がったのかを時々見に行きました。
|
その後の完成した図ですが、ほぼ当初の計画通りに建ち上がっています。特に早くに建築が始まった所は、私どもの計画通りの形になっています。周辺は若干修正が加えられたりしていますが、ほぼ最初の計画通りと言っていいでしょう。
|
また、後になってそれ以上に重要だったかもしれないと思うのは、当時のヨーロッパのライフスタイルに触れたことです。端的に言うと、「ゆっくり静かに生活を楽しむライフスタイル」です。
「生活を楽しむ」スタイルがあったからこそ、フィンランドではインテリアを楽しみ、イギリスではガーデニングを楽しむという行為が出てくる。その延長線上に、都市の風景、都市の景観、都市の環境がある。つながっているんだと実感しました。私自身もそういう価値観に染まって、日本に帰ってきました。
海外の体験が私に与えた影響
私にとってフィンランドとイギリスの二つの仕事の経験は、とても貴重な体験でした。20代後半をほぼ海外で過ごしたことになるのですが、この体験はその後の仕事を考える上でも、とても重要だったと思います。やり方はそれぞれ違うのですが、どちらの国も「計画をちゃんとやり遂げる国なんだなあ」ということが印象に残りました。
全部が完成する前に、私は関西大学へ移ってしまいました。全体の大まかなプランニングをいかに担保すべきかという観点から、地区計画の絵も描いたのですが、残念ながら受け入れられることなく広島大学を去ることになりました。
|