話は前後しますが、日本に帰国して東京で生活もないような忙しさの中で出会ったのが、NIRA(総合研究開発機構)の水島孝治君です。彼からある日「都市の美しさについて研究に取り組もうと思っているんだけど、手伝ってくれない?」という誘いを受けたんです。最初は「自分の生活や、きちんとした都市計画もないような状態で、何が都市の美しさだ」と聞き流していました。しかし、何度か彼と接触しているうちに、結局引き受けることになりました。
この仕事への参加が、私の考えを飛躍させる最初のステップとなりました。 NIRAの調査「美的価値」に参加して
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その調査の中で、「都市の美しさ」はどう意識されているのかをアンケート調査したことがあります。いろんな事例調査で出てくる普通名詞から、緑や歴史的な建物、祭りなどのキーワードを5グループ×10個提示しました。その中から「都市の美しさ」と言われたとき、何を思い浮かべるかを答えてもらうのです。 また、同時に現実に存在するものとして「自分の町の誇れる要素、特徴付ける要素は何か」という質問もしました。回答者は、420都市の自治体の職員です。その回答結果をまとめたのが、次の図です。
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縦軸が理念として思い浮かべる都市の美しさ、横軸が現実に存在する「我が町の誇り、特徴(美的価値への実際の貢献度)」です。図を見てお分かりのように、多くが図の左上にプロットされています。縦軸の「理念として思い浮かべるもの」が圧倒的に多い。理念としてはいろいろ思い浮かべて、都市美と関連づけられるのだけれど、現実には都市美と関連づけられるものは、なかなかないという結果になりました。 ただし、都市美としては考えにくいけれど、桜祭り、郷土芸能、土地の食べ物などが現実にある「我が町の誇り、特徴」としてポイントを上げています。 また、理念として高得点を上げたのは(1)周囲の山並みや川などの自然的要素、(2)歴史を感じさせる要素、(3)都市性を感じさせる要素の順でした。都市美を感じる要素として高得点を上げた山や川ですが、現実にそれを感じるかというと、弱いということです。
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同じ要素を今度は、三大都市圏と地方圏に分けて見てみました。 「周囲の山並み」は、地方圏の方が理念上でも現実上でも大きな得点を取っていることが分かります。 ところが、「川」については、都市圏・地方圏とも大きな差はなく、都市の普遍的な自然、都市の美しさとして意識されているようです。
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とても面白い結果だと思ったのが、都市ごとの歴史的伝統の違いから出てくる意識の差です。 江戸時代の大半を通じて城下町だった都市や京都、鎌倉、奈良など古都と呼ばれる町などは、その他の都市より理念上も、現実上も都市の美しさがはるかに高得点なんです。特に城や古い町並み、歴史的建築物がある所では、他の項目もそれに引きずられる形で高得点となっています。 この結果から、「美的価値に対する意識は美的ストックとの日常的な接触によって醸成されるものである」という感触を得るに至りました。
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それは今日、配布した小冊子p6〜9に「ある断面−街・人・生活−盛岡市の場合」と題して掲載していますが、これは盛岡市が発行していた広報誌に寄せられた市民の投稿から、都市美に言及されたものをまとめたものです。
読んでみると、文章が実に美しい。これを読んだり調査をしているうちに、この調査を引き受けるとき「都市美なんて」と渋っていたことを強く反省するようになってきたわけです。
なお、盛岡市の調査をするに当たっては、JUDI東北の代表幹事をされていた久木田禎一君に大変お世話になりました。残念ながら昨年亡くなられてしまったのですが、この調査結果を見ていると、当時のことを鮮明に思い出します。
話を元に戻すと、盛岡市も歴史的な伝統を伝える都市のひとつですが、ここで「町のストックが美しさの意識を作る」ということを強く感じました。西欧諸国で、アメニティや美的価値が都市計画やまちづくりの中で当然のごとく語られる背景には、こうしたストックの有無が大きいのではないかと思った次第です。そして、美的価値が社会に受け入れられ、人々の日常生活に定着していくためには、まず美的価値の「初期集積」みたいなものを、作り上げる必要があると感じました。
それは美的価値以外の価値、つまり利便性や経済的な利益の方に価値を認める「利的価値」(これは私の造語です)と美的価値との間の葛藤についてです。具体的には、周囲の山並みとゴルフ場開発との対立、美しい町並みと生活に便利なマンションとの対立といったことです。
こうした美的価値と「利的価値」との対立と同時に、公共の利益と美的価値が対立していることもけっこうありました。例えば、周囲の山並みとゴミ処理場設置との対立、街路樹の生育と電線・標識のための枝葉伐採との対立というケースです。
これ以外にも美的価値相互の葛藤という問題もあります。例えば、美しく管理された河川敷と自然のままの美しさを保った河川敷のどちらがいいかで論争されているケース。あるいは「新しい天守閣を建設したい」と「偽の天守閣より本物の城跡がいい」という対立等々。いろんな葛藤の諸相が地域社会の中にあることが調査を通して分かってきました。
折しも「文化行政」という言葉が盛んに言われるようになった時期でした。文化行政というあいまいな領域が動き出した背景には、各地での新しい動きがあったからではないでしょうか。
「都市における美的価値という、複数の主体が必然的に関与せざるを得ず、それぞれの主体の立場により、また時代や状況により価値意識が非常に変わりうるような価値、それぞれの世界観、生活観に連動した価値の導入という課題も、こうした新しい文化状況という文脈の中で理解されるべきものであろう」。
このようなことを考えたわけです。
そのようなことを調査を通じて実感していきました。
(6)ストックが意識を作る
この「ストックが意識を作る」ことを強く感じたのは、盛岡市へ行った時です。ここでは、町の美しさへの意識、美的価値への愛着が地下の水脈から表面に出ようとしている気配を強く感じました。
(7)問題提起の諸相
また調査の中では、地域社会がこの問題を提起しているかも調べて言及しています。
(8)新たな文化状況の認識
調査のまとめとして、「新たな文化状況が出現しようとしているのではないか」と報告書で言っています。
(9)試行錯誤の必要性
そういう中で、美的価値のように一義的に規定し得ない価値の導入に当たっては、試行錯誤を積み重ねながら行政も市民も慣れていくことが、とても重要だと考えました。慣れていった結果として、法律や制度が一定の社会通念として定着して初めて機能しうる。多くの先駆的試みが確たる制度的根拠なしに行われているように、美的価値導入の試みも「制度」より「人」の存在によっている。
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