都市空間の回復―思考の軌跡と展望--
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広島市の都市美づくり

 

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  NIRAの仕事は1970年代後半のことでしたが、80年代に入り、私の得た実感にタイミングを合わせるかのごとく、広島市が都市美行政をスタートさせようとしていました。私も誘われて、早い段階からこの仕事に参加することになりました。

 写真は広島市の鳥瞰図です。広島市内には6本の川が流れており、広島城を有する城下町であり、近郊には瀬戸内海、安芸の宮島がありと自然環境に恵まれた都市です。都市を取り囲むように周囲には山並みが迫っていて、都市としてのまとまりもいいんですね。そんな町で都市美行政が始まるということで、私もとても興奮してこの仕事に取り組んだ記憶があります。


(1)都市美協議の様子

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 もちろんこの都市美行政の仕事は行政の方が中心で、我々はその回りでワイワイやっていたわけですが、後から考えると重要だったのは「協議をすること」だったように思います。協議することの意味、可能性を考えさせられた体験でした。実は今日のテーマも「協議すること」に収斂していくわけですが、そのきっかけになったのがこの広島での都市美作りです。

 写真が都市美協議の様子です。ここで何をしていたかというと、行政の担当者と建築家が膝をつき合わせて議論していくのです。もちろん、議論をすることで納得できるものもあれば、納得できないものもある。

 この都市美協議は、制度的な根拠なしに始まりました。そもそもは当時の企画課長だった太田晋(しん)氏がある日「気になる現場に行って、関係者と話そうよ」と言いだしたのがスタートでした。「ダメでもともとだから」ということでスタートしたんですね。

 中には相当しんどい議論をしたこともあったようです。例えば、お城のすぐ横にRCCのテレビ塔が建っていて、航空法で赤と白に塗り分けることとと決められていました。しかし、お城のすぐ横に赤白の塔があるのは勘弁してくれと、当時の運輸省まで出かけてさんざん粘って議論をされました。最終的には、下から見たら真っ白、しかし飛行機から見下ろすと赤白に塗り分けている、そんな芸当で切り抜けたことがあります。

 つまり、無手勝流にいろんなことを始めて、それが徐々にいろんな人に広まり、市民のみなさんにもいろいろと協力してもらうことにつながっていったのです。


(2)都市美協議で決められたまちのルール

 都市美協議がスタートしてまもなく、要綱とまではいきませんが内規的なものはできて来ました。もちろん、条例化するのはとんでもないという時期でした。対象としていたのは、基本的には市内の5階以上の建物(角地は3階以上)、および建築面積が1000m2以上の建物です。

 決めていったのは次のような事柄です。

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 かたち・色・材質。

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 駐車場の取り方。

 なお写真で黒く囲ってあるのは、葬りたい例です。して欲しい例、して欲しくない例を取り上げました。

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 駐車場・ゴミ置き場。

 こういうのは外から見えないよう、人目に付かない所に設置して欲しいと訴えました。

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 屋外階段。

 これもやって欲しい例、やって欲しくない例を取り上げました。

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 緑化。

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 壁面後退。

 角地ではできるだけ壁面後退してもらえると有り難いと訴えました。

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 バルコニーの洗濯物。

 洗濯物が表から見える状況をなくしてくださいとお願いしました。

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 広告・看板です。

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 工事現場の仮囲い。

 建物以外のことでも協議の対象にしていました。


(3)市内の重要ポイントについて

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平和大通り沿道建築物等美観形成要綱
 
 広島市内で重要な地域は、個々の細かいことでなくて地域全体のことを取り上げようと、まず平和大通りについて協議いたしました。要綱をきちんと作り、配慮を要望する事項を決めていったわけです。

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リバーフロント建築物等美観形成協議制度
 
 また、広島は川のある町ですので、リバーフロントについても制度を作ろうと「リバーフロント建築物等美観形成協議制度」を作りました。ここでは、河岸の建物がどういうことに配慮して欲しいかをいろいろ協議いたしました。要綱をきちんと作り、配慮を要望する事柄を決めていったわけです。

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原爆ドーム及び平和記念公園周辺建築物等美観形成要綱
 
 それと、広島を象徴するポイントが「原爆ドーム」ですので、世界遺産に指定されたことを契機としながら、バッファゾーンについて協議しました。ここでも、周辺の建物について配慮して欲しいきめ細かなことを決めていきました。


(4)都市美協議の影響

 都市美協議は必ずしも合意を前提としてない協議なんです。最初から無手勝流のスタートで、制度にはなっていないので、とにかく話をして納得してもらうしかない。納得してもらえなかったらあきらめることになります。

 この都市美協議を始めてから10年後、こちらの関西大学に来てからですが、広島市に資料を借りてどんな結果になったかを分析したことがあります。

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配慮率と指導率
 
 図にある「指導」とは、協議の対象になった事項を表します。全体のなかの割合を「指導率(縦軸)」と呼びました。

 「配慮率(横軸)」とは、指導するまでもなく建物の方で(つまり建築家やお施主さんが)あらかじめ配慮されている事項を表しています。

 結果は、指導率が高いものほど配慮率が低いという傾向が見受けられました。指導率が低いものは、あらかじめ配慮がされていることです。

 配慮率が高いのは、外壁の色彩です。外壁は汚れやすい材料は使わないでくれ、周囲との調和を考えてくれと指導しています。また、屋外階段、バルコニーの洗濯物、シャッター、壁面の設備を露出させないで欲しいということなどは、比較的配慮してくれています。広島市ではこういう指導をしていることが一般にも浸透していますので、指導しなくても、建物の方で最初から配慮されているのです。

 しかし、駐車場を確保する、駐車場を緑化する、電柱の地下埋設を見込んであらかじめ建物に地下配線を施すなどは配慮率が低い。半分か半分以下だったりします。

 以上のような傾向が分かりました。


(5)配慮率と合意率

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配慮率と合意率
 
 合意率とは、指導を受けた項目で直してくれたものの割合です。「では考え直しましょう」と言ってくれたものも含んでいます。

 都市美協議は合意を前提としていないので、合意率が100%になるとは限らないのですが、配慮率(横軸)が高い項目は合意率(縦軸)もかなり高くなる傾向があります。例えば、広告・看板などです。

 反対に配慮率が低かった項目は、議論を沢山してもなかなか合意に結びつかないんです。壁面後退、駐車場緑化、駐車場確保、沿道緑化、外壁の形状を考えて欲しいなどの項目はなかなか合意に至りません。

 また、配慮率は高い「外壁の材料」も、このように合意率は低い。項目によって、合意率は違ってくることが分かりました。


(6)協議の分析から分かること

 まず各協議項目とも事前に配慮されている割合(配慮率)が高く、指導される割合(指導率)が低いことが分かります。

 しかし、敷地に余裕を必要とする外構関連項目、つまり緑化とか駐車場確保などは、指導率は高いけれど、配慮率・合意率ともに低いということが分かりました。

 また、この分析と同時に行った建築家へのアンケート調査からは、建築家は都市美協議の効果についてはある程度認めているものの、設計の自由性への要求と行政の指導力の限界を指摘する意見が多いということも分かりました。つまり、行政より俺たちの方が分かっているんだ!ということですね。


(7)都市美協議が受け入れられた条件

 分析では、都市美協議が受け入れられた条件についても考えました。

 ひとつには、広島の土地柄という条件が考えられます。行政と市民との間の距離が比較的近いんです。同じことを関西でやろうとしたら、なかなか難しかったのではないかと思います。

 また、もうひとつの条件として、クライアントも建築家も行政担当者も事情が許す限り「良いものを作りたい」という志向を共有していたことがあげられます。これは各種アンケート調査の結果からも実感いたしました。

 三つ目には、建築家がクライアントを説得するのをバックアップする役割を行政指導が果たしたことも条件としてあげられるでしょう。どういうことかと言うと、建築家はクライアントに対して強い立場ではないことが多いのです。そこに行政指導が入って「ここはこうしたほうがいい」という指導があると、建築家はクライアントに説明しやすくなるというケースも見られるということです。


(8)配慮されないことによる結果の回避と熟慮の結果への寛容

 以上のように、私は広島の都市美行政の近くにいて、都市美協議の可能性についていろいろ考えることができました。

 繰り返しますが、配慮をお願いしても聞いてもらえないことがしばしばあります。これを拘束力がないからダメというべきでしょうか。私は、都市景観という人によるさまざまな理解がありうる領域にあっては、社会は、考慮に入れられるべき価値が、単に配慮されることがなかったことによって無視されるのは避けるべきだと思います。

 しかし、熟慮の末に選択された結果、それが仮によくない結果に終わったとしても、ある程度受容されるべきではないかと考えるのです。そしてそのような試行錯誤の積み重ねの結果、社会通念として確立した部分から、逐次、社会的なルールのなかに組み入れていく努力がなされるべきだと考えるようになりました。

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