都市空間の回復―思考の軌跡と展望--
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質疑応答(本日の感想)

 

 

日本では専門家が市民に、都市を「鑑賞する」ことを教えることから始めるべき

井口 勝文(京都造形芸術大学)

 私は丸茂先生と同世代であり、20代後半から30代のはじめにかけてヨーロッパで丸茂先生と同じような経験をして、それを日本にもって帰ってきています。だから、同じようなことを考えながらその後の仕事をし、生きてきたのだナという深い共感を感じながら今日の話を聴きました。話を聞いていると私の頭の中をきれいに整理していただいているような気分でした。言葉の一つ一つに重みがあり、またご自分のやってきたことに対する思い出なども整理して話されましたので、先生のお考えが改めてよく理解できた気がします。私は今日の言葉の一つ一つをこれからの糧として噛み締めたいと思います。

 協議の場をつくる、そして今あるものから出発することが大切と先生は結論されました。本当にその通りだと思います。私は40年近く都市を作ってきた立場にありますが、1960年代から1990年代までのほぼ30年間くらいで現在の私達の都市の大部分は出来てしまいました。そしてとかく醜いと言われる私達の現在の都市ですが、その中にも肯定的にみることができ、私たちが新しく獲得してきた美しさもあると思います。今在る都市に何を加えて何を間引くのか、そうやってこれからの都市のあるべき姿を求めていかなければならないと思っています。

 
 先生のお話の通り「閑中都市を看る」という立場でしか都市の美しさは見えてきません。しかしたとえ「閑中」であっても、都市にある美しさが本当に見てとれるのかナという疑問もあります。先生のお話にもありましたが、今の日本人にそれだけの鑑賞力があるのかナという問題提起です。それが無いのであれば協議出来ないだけでなく、協議の場をつくる手がかりも無いのではと感じてしまいます。

 言ってること、思ってることが同じでも話す人の立場によって論旨の重点の置き方に違いが出ます。私と丸茂先生に違いがあるとすればそこにあると思います。京都の景観について先生とお話ししたときに感じたのですが、先生と私の立場の違いがあったと思います。私は一貫して「作る人、ときには作らされている人、いずれにしても作る現場の人」でした。私はそうした立場から自分の考えを組み立ててきました。一方先生は「作る人」だけはでなく、そこから一歩間を置いたより大局的な立場から発言されていたと思います。

 
 作ってきた立場から言えば、鑑賞眼をもって都市を見る市民が少なすぎるといつも思ってきました。だから日本の場合は、まずは新しい美しさとは何かを発言し、市民に見せていく、私なりの見方を教えていく、そしてそのことを彼ら自身で考えようという気にさせることが、私たち専門家に求められている今一番重要な仕事ではないかと思います。

 私がヨーロッパから帰ってきたときに一番感じたのは、日本と違ってヨーロッパにはそれなりの鑑賞力が既にあり、都市の美しさの基準を持っている国だということです。だから先生の言われるようなドイツの地区計画のやりかたで美しい都市が作れるかというと、今の日本では全く役に立たないと思ってしまいます。なぜなら日本には美しいまちをつくる協議が成り立つ基盤がないからです。市民に観賞力がないので、僕らがまずそのことを言って、見せて、考える気にしてあげないといけないのです。そこから地区計画をスタートしないと美しいまちづくりは進まないと思います。

 結論は丸茂先生と同じなのですけれども、専門家の役割がヨーロッパの場合とは違うのかなと改めて思いました。


思い深いハンナ・アレントと京都の景観での議論

長町志穂(LEM空間工房)

 思い出しますのは2年前のフォーラムのことです。私を含めた3人で委員長をさせていただき、「デザインの力」というテーマで議論を行いました。その際、デザインを決定するのは作り手なのか、受け入れ側なのかという議論になりました。私も自分なりに1年間そのことを熱く考え、お話しさせていただきました。

 その後、丸茂先生から「君の言いたかったことはわかる、これを読みなさい」ということで、ハンナ・アレントの本をご紹介いただくとともに、関連する先生の論文をわざわざいただきました。

 また京都の景観についてJUDIの内部で激論になった際にも、様々なご意見をいただきました。ウィットのあるたとえ話を織り込みながら展開する論法の鮮やかさが強く印象に残っているとともに、先生の非常に熱い思いが伝わってきました。

 今日のこの会場には直接ご教授を受けた学生の方もおりますが、私もJUDIの中でいろいろなご助言をいただき、また先生のご意見から様々なインスピレーションを得ることができました。これからもまだまだ勉強していかなければならないメンバーに、これからもご教授をいただければと思います。


浅田孝と重なる知の巨人

木下光(関西大学)

 大学で最終講義が設けられていないので、事実上今日が最終講義になっています。そのため研究室の学生や卒業生などにもたくさん集まってもらっています。私は12年、関西大学におりますが、丸茂先生は20年くらいなので半分強くらいご一緒させていただきました。先生がお考えになっていることは、研究室における様々な論文のテーマや議論の中で漠然とイメージしていたのですが、通してお話しを聞く機会がありませんでしたので、今日はそれを明快に聞かせていただくことができました。

 来年度からは一人で研究室を動かしていかなければならないのですが、議論相手といいますか、キャッチボール相手として、いかに私が先生にひたすらボールを投げて、それを温かく受け止めて柔らかく返していただいていたのかということを感じながら、感慨深く聞いておりました。

 先日たまたま広島に行く機会がありましたが、そこで先生がかかわられた都市美の活動をまとめた冊子をはじめて目にしました。ゼミではなかなか広島時代の話をなされませんし、フィンランドやイギリス時代のことも同様なので、今日録画した内容を、聞けなかった学生にはビデオで見せたいと思います。ここまで自分がやってきたことを客観的に見つめられるということは、凄いことだなと思います。

 また、昨年からゼミで浅田孝さんの話をテーマにした際、先生は浅田さんのことをよくご存知で、しばしば詳しくお話ししていただきました。私は浅田さんのことを直接知らないのですが、先生といつも重ねてみていました。まさに先生は博識で知の巨人です。そして、凄いのだけれども、その凄さをあまりひけらかさない先生でもありました。

 先生はこれから大学などの様々な役職から開放されて、知の巨人として本当の活動に入られるのかなと思っています。大学を通してのご縁はなくなりますが、まだまだ先生の知の体系のごく一部にしか触れられなかったという思いも強く、何かの形でこのご縁がこれからもゆるやかに持続することを最後にお願し、これを感謝の言葉に代えさせていただきたいと思います。


蔵をつくるときは年寄りに聞け

鳴海邦碩(大阪大学)

 幕末の頃までは、蔵をつくるときは年寄りに聞けという取り決めをもっていた町が各地にありました。とりわけ蔵は永く残るものなので年寄りに聞かなければならないという約束事です。またパリの郊外の小さな町に行ったときには、周辺環境に馴染む開発をしていかなければならないということで、その町を知り尽くした70歳くらいのコーディネーターのような人がおり、全部チェックする仕組みがありました。

 これからの日本もこんなことをやっていかないといけないのかなと思います。日本のお役所は誰もチェックしていません。どんどん住民が入れ替わっていくという影響もありますが、環境なり都市を見る目を継続させていく仕組みが成り立っていないということに、丸茂先生の今日のお話を聞く中で気付きました。

 そういう役割が、どうやったら日本の都市に生まれていくのかを考えなければならないと思います。先生は関東に方に移られますが、そういった役割を新しい地域で担っていただければと思います。閑中我何を見ているのかわかりませんが、確かな目でいろいろな事を見ていただけると思います。

 本日は丸茂先生に一時間半以上かけてお話いただき、われわれにとってもいい刺激になりました。どうもありがとうございました。

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