アメリカ中小都市のまちづくり
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事例1:チャールストン

 

チャールストンの特性

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チャールストンの位置
 
 チャールストンはアメリカの大西洋岸の南部にある都市です。

 サウスカロライナ州というところにありますが、ワシントンDCから南に飛行機で小一時間ほど飛んでいった所です。

 人口が10万人ちょっとの中小都市で、南北戦争が勃発した原因となった事件が起きた都市です。全米の中でも黒人の比率が高く、白人が全体の三分の二、黒人が三分の一くらいの比率になります。市民の約2割が貧困層で、年収なども全米の平均より低い、決して豊かとは言えない自治体です。

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 ウォーターフロントに沿って、歴史を感じさせるパステル・カラーの美しい家々が街並みを彩っております。

 今日お越しになっている方々もアメリカの都市はたくさん見ていらっしゃると思いますが、写真で注目していただきたいのは、道が非常に狭いということです。アメリカの街の中の道路は、モータリゼーションが進展する前から幅が広かったわけではありません。ロサンゼルスやアトランタやフェニックスといった都市は、モータリゼーションが進んだ後に住宅地を開発していますので、道幅が広いんですが、それ以前に開発されたチャールストンは道幅が狭い。ただここら辺も市街化が進展していく上で、どんどん道路の拡幅を行っていました。今まさに東京の下北沢や自由が丘あたりで、石原都知事が一生懸命やっていることをアメリカなどでもやっていたわけです。

 ところがチャールストンでは、歴史地区と指定されたところに限っての話ですが、ちゃんと狭い道路は狭いまま、昔の区画割りが保全されています。「風とともに去りぬ」はアトランタやジョージアといったサウスカロライナ州の隣りの州のお話ですが、その時代にタイムトリップしたかと錯覚するような街並みが今でも残っているわけです。


街並みの保全の保全を牽引してきたもの

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 では、これらの街並みがどうして残っているのでしょう。それは、先人の努力と忍耐力の賜であり、この街の風土や、センス・オブ・プレイスを保全しようとしてきた人々の思い、百年くらいにわたる思いと、それを施策へと具体化させた都市デザインと、この二つが大きな要因であると思います。

 チャールストンという街は、1931年に、全米の都市で最初の「歴史地区の保全条例」を作成しています。これは、歴史的に重要だと思われる建築物と、それが多くある街並みを保全することを目的として制定されたものです。全米初ですので、それ以後、チャールストンは常に歴史建築物の保全の分野ではフロントランナーになっていくわけです。

 さらにもう一つ大きな理由があります。1970年代後半から30年以上市長であり、現市長でもあるライリー氏が、積極的に都市デザイン政策を展開していきます。つまり、全米の都市でも最初に、この「歴史地区の保全条例」をつくり、保全に対して先駆的に取り組んできたことと、このライリー市長が都市デザイン政策を重視する市長で、彼が30年以上市政をリードしてきたことが、チャールストンが今ある理由なのではないかと思います。


歴史地区の保全活動の展開

 では、歴史地区の保全活動の展開がどういうふうに行われていったのかを見ていきたいと思います。

 チャールストンの歴史地区の保全活動は、基本的に市民が主体です。最初に市民が歴史建築物を保全しようとして取り組んだのが1902年です。1902年に取り壊しが決まった火薬弾薬庫を市民組織が買収し、それを保全しました。

 1913年には違う市民組織が、旧取引所の建物を収得して保全します。この1902年と1913年の市民組織はアドホックな組織です。公共建築物が取り壊されるから、それを保全しようと、グループでお金を出し合って買収するというものでした。

 それが1920年には歴史建築物を保全する最初の市民組織「歴史ある建物を保全する会」が設立されます。これは現在でも生きていて、現在は「チャールストン保全協会」という名前になっています。これは全米でも最も古い、市民による歴史保全関係の組織です。

 この組織の初代代表が、チャールストンの歴史保全の母というべきスーザン・プリングル・フロストという方です。この方は闊達な婦人参政権論者でした。当時は婦人に参政権はありませんでしたので、そういう政治的な活動も積極的に行っていたのと、一方でチャールストンの街の最初の女性の不動産業者でした。非常にできる女性だったのですが、この方が初代代表として「歴史ある建物を保全する会」を設立するわけです。

 その理由は、歴史的建築物が取り壊されていくことや、その歴史的インテリアが外部のものによって勝手にリニューアルされてしまうことに、強い危機意識と憤りを覚えていたためです。

 ではどうしてそういったことが起こったのかと言いますと、やはり原因はモータリゼーションでした。モータリゼーションが進展すると、街中のあちこちにスタンドをつくりたいと場所を探し始めたり、自動車に対応した都市施設、サービス施設のニーズが増えてきて、歴史的建築物を積極的に壊すという動きが出てきたのです。そういうことに対してスーザン・プリングル・フロストさんは抵抗を覚えていたということです。

 そこで彼女は、保全すべき歴史建築物を私費で購入し始めました。不動産業者で婦人参政権論者ですから地元の名士のような方だったとは思うんですが、私費で購入してしまうというのは、多少無謀ではあるわけです。チャールストンには保全すべき建築物はたくさんあるので、大変な事態になっていたと思うのですが、グループができることによって、もう少し組織立って、保全活動を展開することができるようになるわけです。これが出来るまでは、本当に私費で購入していました。ただ、その結果、チャーチ・ストリートやセント・マイカル・アリー、トラッド・ストリートを保全することに成功しました。

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 これが現在の写真です。右下がトラッド・ストリートで左下がセント・マイカル・アリーですけれども、こういう今に歴史を伝えるような空間が残っているのも、フロスト女史が100年近く前に頑張ってくれたおかげです。

 フロスト女史は「歴史ある建物を保全する会」を設立した後、歴史建造物を保全するためのゾーニング条例を通すための運動を始めます。結果的にこの条例は1931年に制定されます。

 ここで注目していただきたいのは、この1931年という年です。アメリカでゾーニングという制度が制定されたのが1926年です。オハイオ州のユークリッド町のゾーニング制度が合法であるという裁判所の判断が下されたのが26年ですから、ゾーニングという手法が極めて新しかったにも関わらず、このゾーニングを使って歴史建造物を保全する条例をつくってしまうわけです。そして約56ヘクタールという、チャールストンのような小さな都市としては広域な地区を「歴史地区」として指定してしまいます。そして全米最初の建築審議委員会を設立します。建築審議委員会は、今はどこの自治体にもあると思いますが、それを初めてこのチャールストンでつくります。

 この条例は「チャールストンの文化的伝統そして歴史を視覚的に想起させる歴史建築物もしくは建築的に価値のある建物、そして古風で趣きのある街並みを保全し、守ること」という目的を設定し、施行されました。


建築審議委員会

 建築審議委員会は、1931年に条例の中で設置されるのですが、この建築審議委員会は今でも生きています。チャールストンは結構、天災に見舞われる都市です。地震も二百年に一度、大きいものが来るようですし、よく来るのがハリケーンです。ハリケーンが来ると、歴史建築物もかなり壊されるわけですが、壊された後に改修する場合も、建築審議委員会がチェックしています。そういう意味では、保全は常に現在進行形で、その保全活動の中心的な役割を果たしているのが、70年の歴史を持つ建築審議委員会です。

 この建築審議委員会の位置づけは、チャールストンの歴史地区を保全していくうえでのガーディアン(守護神)です。役割は、条例において歴史地区・歴史的地区と指定された地区における「公共的な空間から視野に入る街並み」、そして建物の景観的変化に対して審理します。

 構成は、7名の委員で、現在の委員は建築家二名、構造系の技術者が一名、弁護士が二名、建築保全を専門とするチャールストン大学の教授一名、歴史保全のNPOで活動している一般市民が一名です。任期は4年で無給のボランティア、市長が任命し、市議会が承認します。毎月第二、第四水曜日の夕方に会合ということですから、隔週で会合を開いています。建物の外的変更の申請書を審理し、その変更の是非を検討するということで、相当なハードワークを無給でやらされているということになります。

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 では、建築審議委員会に申請しなければならない変更はどういうものなのでしょうか。取り壊しの場合は必要書類を揃えて建築審議委員会で審議してもらわなければなりません。また、変更、追加、新築の場合も申請書類、設計図、敷地計画図等を出さなくてはいけません。

 あと、外観の色や建設材料の変更等に関しても、一つひとつ建築審議委員会に諮られる必要があるわけです。これは地区によって条件が違います。概ねゾーニングで歴史地区、歴史的地区と指定された所は、申請を出して、建築審議委員会でその是非が審理されます。


デザイン・ガイドライン無しでの議論

 また、これは非常に面白い点ですが、チャールストンにはデザイン・ガイドラインが存在しません。非常にデザイン規制が厳しいので、私も相当精巧なデザイン・ガイドラインが存在するのではないかと思っていたのですが、存在しません。最近日本などでも注目されているニューアーバニズムの新しい住宅地などは、デザイン・ガイドラインがきめ細かくつくられているので、チャールストンのような自治体ももちろんそういうものがあると思ったら、ないんです。

 デザイン・ガイドラインはなくても、建物の高さやウォーターフロント(ここは半島の都市なので、三方がウォーターフロントです)の景観確保などはゾーニングで規制されています。しかし、例えばペンキの色や、建物の意匠などに関してはその都度、建築審議委員会が議論して決めます。

 ただ、年間1000件くらい建築審議委員会の申請が出されますので、すぐ答えが出せるようなささいなものは、市の都市計画課が判断を下しています。そうではないものは、一つひとつ建築審議委員会が審議をします。大変な作業なんですが、これには理由があります。チャールストン市としては、歴史地区といえども共通したルールをつくることは、画一的な街並みをつくりだしてしまう危険性があると考えているためです。

 デザイン・ガイドラインは、あまり画一的な街並みをつくらないために、そういう手法が考えられたという理解もあると思うのですが、さらにチャールストンは、時代によってデザインへの要請も変わるだろうということで、ガイドラインをつくっていません。手間がかかる方法をあえて採っているわけです。

 それには、もう一つ、常にチャールストン市の歴史的アイデンティティを確認するという狙いもあるわけです。デザイン・ガイドラインをつくった時に確認するだけではなくて、一つひとつの判断が、チャールストン市の歴史的アイデンティティを再確認することになり、その作業を積み重ねることが重要であるという認識があるようです。

 ただ、先にも触れましたが、簡単にわかるようなことは、市の都市計画課が色々アドバイスをして判断を下すという権限も有しております。


1974年の保全計画と条例の改正

 そういう流れのなかでやってきているのですが、1932年につくられた条例には不備があったので、1974年に大きく改正されました。これには三つ問題がありました。

 1つは、歴史建築目録に登録されている建築に関しては、建築審議委員会によって審査され、その認可を得なくては、いかなる建増し、改造、取り壊し、移転もできないようにしました。以前は建築審議委員会が強制力を持っておらず、その審査結果を無視して、逃れることができたわけです。それを、できなくしました。

 ですから仮に、ペンキの色を勝手に変えたとします。それを都市計画課が見つけた場合は、ペンキの色を塗り替えた後でも、建築審議会でもう一度審議をします。その結果オーケーならいいのですが、オーケーではなかった場合は、そのペンキは塗り替えなければなりません。

 「塗り替えろ」と命令された地主は、裁判所(チャールストンには簡易裁判所のようなところがあります)に訴えることはできるのですが、裁判所でも却下されると、従わなければなりません。従わないと罰則を受けたり、強制的にペンキの色を塗り替えられたりということになるのですが、そういうことができるようになったのは、この1974年以降です。それ以前はそれほど強い強制力は有していませんでした。

 二つ目は、建物の高さの最高と最低を明記したということです。それまでは建物の高さというのは、特に規制はなかったのですが、1974年には景観の保全に関して、高さが重要であると認識するようになって、建物の高さの最高と最低を明記するようになりました。

 三点目は広告板です。チャールストンは南端地区に特に歴史的に重要な建物が多く集積しています。そこでは広告板、例えばレストランを経営していて、ガンボのスープの広告を載せる分にはオーケーです。しかし例えば日本でも、レストランの壁面に東芝やカシオなどの看板があったりしますが、こういった敷地内で営業しているものとは関係のない広告は、一切禁止になりました。


チャールストンの歴史地区

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 これがチャールストンです。アシュレイ川とクーパー川に挟まれた半島部分になります。この濃いところが1931年に条例が通ったときに、初めて歴史地区に指定されたところです。56ヘクタールです。

 そのあと薄いグレイのところですが、1966年に歴史地区が追加されて、拡大していったわけです。

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 それから拡張されて、これが現在の歴史地区です。紫のところになりますが、ここに現在4800の歴史的建築物があります。そのうち73が独立以前(1776年以前)に建てられた建築物で、789が南北戦争以前(1861年以前)に建てられた建築物です。歴史的建築物は1945年以前の建物の中から歴史的重要性のあるものが指定を受けています。アメリカの中では古い建築物になるわけです。


チャールストンの高さ規制

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 高さ規制の考え方として、1974年の保全計画に次のように書かれています。

 『チャールストンの保全条例において、潜在的に最も歴史建築物や街並みにダメージを与える可能性があることは、住居地区において高さ規制が為されていないことである。(中略)このような状況を改善させるためにも、現行の条例に建物の高さ規制を設ける事を提案する』ということで、高さ規制がゾーニング条例の中に盛り込まれることになります。

 写真は現在のチャールストンです。ちょっと高台から見てもらっていますが、高さ規制がしっかりされたおかげで、ほとんど高い建物がありません。

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チャールストン・ダウンタウンプラン
 
 これは1999年につくられた「チャールストン都心計画」で、ダウンタウンプランの地図をスキャニングさせてもらったものです。薄い灰色の部分が高さ規制を強化した地区です。特にウォーターフロントの辺りとアクセス道路の辺りは既に高さ規制がされているんですが、さらに規制を強化している地域です。

 一方で高さ規制を緩和した地区もあります。カルホンストリート沿いは歴史地区に入る大きな通りなんですが、この辺りは高さ規制を緩和しております。このように高さに関しては現在でも色々といじっているということです。

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ダウンタウンプラン
 
 これは同じダウンタウンプランに描かれていたスケッチですが、やはり既存のスカイラインを維持することを重要視しています。特にウォーターフロントへの視界の確保が重視されています。

 これはウォーターフロントが公共の資産として強く認識されているためで、実際にウォーターフロントにアクセスできるということだけではなくて、ウォーターフロントをまちなかから見ることができるということも公共の権利であるという意識が持たれているわけです。

 現状が一番上の図で、二番目が今後の望ましいあり方で、三番目の図が望ましくないということでバツがかかれています。ウォーターフロント沿いの高層マンションみたいなものは望ましくないということで、ゾーニングでも高さが現状よりもさらに低くされています。

 では、現状と望ましいあり方の違いはどこかというと、望ましいあり方のほうが実は開発密度が高くなっています。開発密度自体は高めていく、つまりもう少し人口密度は高めるけれども、高さは高くしないというのが、ダウンタウンの今後の指針として出されています。


ジョセフ・ライリーと都市デザイン

 歴史地区のゾーニングや保存条例のほかに、もう一つ、現在のチャールストンをつくった大きな要因としてジョセフ=ライリーという市長がいます。

 この人は都市デザイン的にも面白い人で、こういう人があちこちにいたら、うれしいなと思える人ではないかと思います。1975年に32歳で初当選して以来、8期連続して、32年間チャールストンの市長を務め続けています。今度選挙なんですが、また出馬すると言っていますので、36年間ほど市長を務めることになると思います。

 彼は歴史保全というチャールストンのポテンシャルを活かした都市政策を展開していきます。もともとは地元の裕福な家の子どもなんですが、子どもの時に、自分の好きだった歴史的な建物がモーテルになったり、スーパーマーケットになったことを見て、悲しんだ経験があるそうです。そういうこともあって、歴史保全が重要な政策であると考えているようです。特に力を入れてきたのが都市デザインで、彼は建築とか都市計画とか、ランドスケープアーキテクトではなく、元弁護士なんですが、都市デザインに対しての造詣も極めて深いものがあります。全米市長会議において都市デザインの委員会を設立し、都市デザインの重要性を、広く市長たちに説いていくといったことをしています。そして自らの市では、都市デザイン事業によって、まちを活性化していくわけです。


ジョセフ・ライリー語録

 その彼が非常に感銘深いことを今まであちこちで言っているので、その発言を紹介させていただきたいと思います。これは新聞の取材やテレビなどの発言を私が訳したものです。

 「しっかりとした都市デザインは必ず成功をもたらす」。

 「都市公園、街路、裏道、歩道、公共建築物、そしてダウンタウンは、都市デザインをうまく行えば、ショッピングモールが逆立ちしても真似できない魅力溢れる公共的な空間を創出することが可能である」。

 「歴史建築物や伝統的な空間スケールを保全するたびに、将来の世代にセンス・オブ・プレイスという大切なものを継承することに成功するのである」。

 「偉大なる都市は公共性に溢れる健康的な都心を有しており、そこでは人々は市民であることを祝うことができるのだ」。

 「市役所が、その都市に美しさをもたらさない建物をつくることは、一切言い逃れをすることができない罪である」。

 市長がこういうことを言ったら、職員の方々も大変なのではないかなと思うんですけれども、こういう考え方であちこちで公言するんです。こうして色々な都市デザインのプロジェクトに取り組んでいきます。


三つの都市デザイン・プロジェクト

チャールストンプレイス
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チャールストンプレイス
 
 主要な都市デザインのプロジェクトとして、中心市街地の再生、チャールストン・プレイスの整備を行います。1970年代、どこのアメリカの都市もダウンタウンが衰退していたということは、皆さんご存知だと思います。その後、「ダウンタウン・インク」という本に紹介されているような形で、民間とのコラボレーションでいくつかの都市は再生します。ボストンのファニエルホールマーケットプレイスやボルチモアのインナーハーバーやサンアントニオのリバーセンターなどは活性化に成功します。

 チャールストンも同時代やはり郊外にショッピングセンターがつくられたりして、中心市街地が衰退するのですが、チャールストンプレイスを都心につくることで、再生に成功します。実はそのプロジェクトは歴史都市にはふさわしくないといった色々な議論がなされたのですが、ライリー市長が反対する人たちと膝を突き合わせて議論をすることで、中心市街地再生をする再開発事業に成功するわけです。

ウォーターフロント・パーク
 ライリー市長の二つ目の都市デザインプロジェクトが、ウォーターフロント・パークの創出です。それ以前のウォーターフロントは忘れ去られていて、あまり人々が使わない所だったのですが、ウォーターフロントを再生することに成功します。

観光客と市民の共存
 そして三つ目が観光客と市民との共存です。今は年間400万人くらいの観光客で、人口10万ちょっとの都市としては相当な観光都市なんですが、1970年ごろはそれほど観光客が来ていませんでした。90年代もアメリカの知られざる宝みたいな形で、観光ブックに書かれていたような状況でした。

 それが急に観光客が多く来るようになったことを受け、観光客と市民との共存の計画を立てます。これも都市デザイン的に考えられるわけですが、車で来る観光客がほとんどなので、歴史地区の外にビジターセンターを整備し、広大な駐車場をつくってしまうわけです。つまり歴史地区には観光客の自動車で入れないということをやるわけです。

 だからこの駐車場にとめたあとは、徒歩か馬車になります。馬車も全部ルートが指定されているのですが、観光客は基本的には自動車では歴史地区には入れないというような、動線の整理をします。

 これら三つが代表的なプロジェクトになるのですが、時間の制限があるので、今日はウォーターフロントプロジェクトについて紹介させていただきたいと思います。


ウォーターフロントプロジェクト

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 写真は現在のウォーターフロント・パークの状況です。

 実はライリー市長が就任してから、ウォーターフロントの開発申請のほとんどを却下していました。市長として開発の許可をおろさないということです。これはどうしてかと言うと、ウォーターフロントへは市民や観光客が常に自由にアクセスできるべきである、よってアクセスできるようにするためには、開発申請を却下するしかないということです。

 このように一方で民間の開発を牽制しておいて、ライリー市長の前に開発申請を得てしまった高層の商業ビル開発については、ウォーターフロントの土地を土地交換で確保し、そこに5ヘクタールの公園を1990年に整備します。ウォーターフロントへのアクセスをチャールストン市民の基本的権利であると位置づけ、ウォーターフロント公園をつくることは、次世代への贈り物であると、ジョセフ・ライリー市長は考えたわけです。

 ここで彼の言葉を二つ引用したいと思います。

 「この公園の土地は、当初は不動産業者が所有していたが、私からすればチャールストン市民全体のものであるべきだった。したがって、全力をもって、その土地を獲得しようと考え、行動した。それには賛否両論があり、多くの困難が伴い、費用も1500万ドルもかかったが、チャールストン市民にとって価値のあることだと考えている」。

 「多くのコミュニティは市民の利益を最優先させない開発をして失敗している。もし、都市で最も魅力ある土地を市民に与えれば、経済的な成功もついてくる」。

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 ウォーターフロントを市長が開発許可を出さないことで、押さえられるところは押さえて、押さえが利かないところは、市の予算を使って買ってしまったわけです。高い買物になったのですが、土地を確保して、ウォーターフロントを徐々に整備しているということです。

 現在もこのウォーターフロントの事業は継続中で、ウォーターフロント公園自体はたかだか5ヘクタールの小さな公園ですが、これをどんどん延長して、回廊をネットワーク化させようと考えています。

 歴史地区の南の半島部分のウォーターフロントのほとんどの部分を、常に自由にアクセスできるようにしようとしています。加えて、景観回廊をゾーニング条例で設けて、ウォーターフロントへの視覚的アクセスも確保するよう計画されています。これはまだ今は実現できていないのですが、ライリー市長が今、力を入れている都市デザイン事業です。


ジョセフ・ライリーの都市デザイン指針

 このジョセフ=ライリー市長が都市デザインについて、どういう考え方をしているのか、チャールストン市における都市デザイン事業の指針としては、どいう考え方をもっているかということを、都市デザイン系の雑誌に回答した取材結果を訳したものを挙げたいと思います。

 一点目は「ダウンタウンは壊れやすいエコシステムである」ということ。周辺環境に繊細に配慮した上で、都市デザインをやっていかねばならないと捉えています。

 二点目は、「あらゆる建物は道路に面しており、道路に敬意を払うようにつくられるべきである。道路を無視したような建物は都市においてはつくってはならない」ということです。

 アメリカでは道路に路駐することが、特にダウンタウンの場合多いんですが、都心部のチャールストンプレイスの開発では、道路に面している駐車場は、全部建物の裏側(コートヤード)に持っていきます。だから基本的にダウンタウンに路上駐車している車は見られません。駐車場は景観を害すという面もありますが、ヒューマンスケールを守るために駐車場を建物の裏側にもっていくということを、チャールストンプレイスを開発する上でやっています。これは、都心の真ん中であるチャールストンプレイスに、結構人が集まることにも繋がっています。

 三点目として、「歩道を横切る道路などを整備する場合は、非常に思慮深くしなくてはならない。そのような道路を整備する場合は、なるべく歩道を分断する距離は短くし、歩行者の快適性、安全性、そして喜びを奪わないように配慮する」ということです。

 実際、歴史地区では道路幅が狭いわけです。ですから道路を横断する場合も、そんなに長い距離を横断しなくてすみます。本当に歩行者優先であるという考え方がこの歴史地区では徹底されています。ただアメリカのほかの地区では自動車優先の空間づくりがされていて、チャールストンはどちらかというと例外的な都市です。

 さらに四点目として、「一つの30階建てのビルをつくるなら、5階建てのビルを6個つくった方がよほどましである」ということです。

 ある時、連邦の住宅局がチャールストンに低所得者向けの集合住宅をつくろうと計画したことがありました。30階建てほど高くはなかったのですが、チャールストンにしては高い建物を建てようとしたわけです。その計画に対して、市長はそういうものを一箇所に集中させないで、各地に分散させるように、計画を変更させます。一箇所に集めようとすると、どうしてもヒューマンスケールではない大きな建物や高い建物をつくる計画になってしまうので、ライリー市長はそれをいくつかの小さい建物に分断して、床面積は変わらなくても、建物自体はスモールスケールのものにするわけです。

 このプロジェクトは後に全米デザインの大統領賞を受賞することになります。彼は、一つの大きいものより、小さいものをいっぱいという方がよほどましであると考えているわけです。

 五番目として「都市は駐車場のように見えない駐車場を必要としている。駐車場のために、都市は不必要な傷をつけられてしまっている」。

 ちょっとわかりづらい表現ですが、「都市は駐車場らしくない駐車場を必要としている」という意味です。チャールストンくらいの密度があると、やはりアメリカでも立体駐車場がいくつかつくられたりするのですが、この立体駐車場が非常に醜いわけです。特にチャールストンのように景観が一つの都市のアイデンティティであるような都市であると、目障りです。実際に、ライリー市長は設計し終わって施工する段階になっていた立体駐車場を、設計者にやり直しを命じて、駐車場の意匠を変えさせています。

 その結果、全米のデザイン賞を受賞する駐車場をつくることに成功したのですが、そういう考え方を持っています。

 六番目として、「公共空間。すなわち、建物の間の空間、歩道、街路、緑地…、これは、市民が所有する民主主義的な空間である。ダウンタウンは人々に公共空間への誇り、愛情、そして結びつきを与えなくてはならない」という考え方です。

 こういう考え方で、ダウンタウンや公共空間のデザインに非常に力を入れてきているということです。

 また、ライリー市長はこんなことも言っています。「都市“チャールストン”とは、ヒューマン・スケールで素晴らしく美しい場所であり、博物館やテーマパーク、映画セットとは異なった、アーバンなアメリカの小宇宙である。小さな町かもしれないが、大変デリケートである。しっかりと都市の使われ方を管理しなくてはいけない」。

 「都市の100年後を形づくる力を市長は持っている。都市を少しでも美しくできる喜びを味わい続けたい」ということも言っています。


チャールストンから得られる知見

 では、チャールストンから、我々は日本人として、どんな知見を得ることができるのでしょう。チャールストンの美しく、魅力的で、歴史的な街並みは(写真でしかお伝えできないのが残念ですが)、市民達の継続的な強固な意思としっかりとした都市デザインに因るものです。

 この“歴史的な街並みを継続的な強固な意志で守ってきた市民”について、一つ、象徴的なエピソードがあります。1989年に、ハリケーン・ヒューゴという巨大なハリケーンがチャールストンを襲います。ハリケーンによって、多くの歴史的建築物が破壊されるのですが、歴史的建築物の持ち主たちは、自分が現在住んでいる家ですから、一刻も早く直したいんです。ハリケーンに襲われると、財政的にも相当厳しくなりますので、そういう時は安い建材でとりあえず直してしまおうと、緊急事態ですから思うわけです。

 ところがその時に建築審議委員会はこれを許しません。やはり安い建設材料は使ってはダメだと。目先の自分たちの生活を維持することも重要ではあるけれど、長期的にまちの資産を守っていく、アイデンティティを守っていくためには、天災が来てもルールは守らなければならないと、建築審議会の委員たちも、そこは譲らなかったわけです。最初は、市民も困りましたが、最終的には納得しました。これは上っ面の覚悟ではありません。チャールストンの市民たちは、景観を守る上での相当の責任感を持っていることが、このエピソードからも伺えます。

 また歴史地区について、土地や建物の所有者にとっては自由度がなくなるから、歴史地区の拡張に対して、市民の抵抗があるのかと思っていたのですが、実は逆でした。歴史地区に指定していないところから、「うちも歴史地区に指定してくれ」という要望が出ているくらいで、そういう意味ではチャールストンでは街並みを市民全体でしっかり守っていこうという意識が出来上がっている都市なのではないかと思われます。

 また、その意思を引き継ぐ制度なども、しっかりしていて、「デザイン・ガイドライン」つくらないというところが、面白いと思います。「デザイン・ガイドライン」のように定型化せず、常に上書きすることで形骸化を防ぐという考え方です。「デザイン・ガイドライン」をつくる時は一生懸命考えますが、それを引き継ぐときは、もうルールみたいになってしまいます。やはり現在まちに関わっている市民たちが常に判断していくということが、生きた歴史保全を実施する上では有効なのではないかと思われます。

 さらに、ピンポイントではなく面的に広がるエリアを歴史保全の対象としていること。一つ重要な建築物があったら、それだけを保全するだけではなく、それを見る視界にはいるファサードとか街並みとか、そういう面的に広がるエリアを歴史保全の対象にしているところが、歴史保全を都市のアイデンティティにまで高めている所以なのではないかと思います。

 さらに環境問題との連携を図ったり、中心市街地の活性化として位置づけるなど、マクロ的な都市の課題と歴史保全の連携を図っていることです。中心市街地の活性化をする上で、むしろ歴史保全をすることで勢いづけるという連携を図っているところが、賢明なのではないかと思います。

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 この女性がチャールストンの都市計画部長さんで、フォーテンベリーさんです。彼女は私の取材に次のように回答しています。

 「ウォーターフロントに多くの高いビルができず、また多くの歴史的建造物が取り壊されず、今のようなチャールストンの街並みが保全されているのは、審議委員会がチャールストンの街並みを改変してしまう、そのような試みに大変厳しい姿勢をとってきたからです」。

 さきほどのハリケーンヒューゴの話に象徴されるように、大変厳しい姿勢をとってきています。それが結果的に今のチャールストンをもたらしていると言えます。またライリー市長は「チャールストンの最大の資源は、“問題意識を強く持った市民である”。市民が“情熱と強い関心をもって、空間開発に関して、率直に意見を述べる”ことが、よりより都市をつくりあげていく最大の牽引力である」ということを言っています。

 確かにライリー市長の市政が素晴らしいものであることは言うまでもないのですが、市民が都市づくり、まちづくりに大きく貢献してきたというところが、チャールストンが今のような形になった、大きな要因なのではないかと思います。


 チャールストンのまちづくりの知恵として、一つ目は「歴史的建造物、街並みという都市のアイデンティティとなる資源をしっかり保全したこと」。さらに「都市デザインの力を信じ、積極的に活用することで、アメニティに富む公共空間を創造したこと」。それから「観光客でもビジネスでもなく、市民の利益を最優先することで、市民の都市への信頼、愛着を育てることに成功したこと」。ここらへんが、我々日本人もまちづくりをする上で参考になる知恵なのではないかと思います。

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