このように様々な遺伝子があるわけですが、ではそれが実際の家でどんなふうに使われているのか見ていきましょう。 まずは、うだつがあります。看板があります。黒漆喰の虫籠があります。駒寄せがあります。駒寄せと格子と看板とうだつと虫籠で京都の建築は完成なんです。何にもデザインしなくても、これで京都の家は完成です。建築を設計している我々は、あまり難しいことを考えたら考えるほど、京都を潰すことになるんです。
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これはもっとひどい話で、塀があって、家があって、「痛んだところは、まあ新しい竹で補修しようか」と、ここだけ新しい。これがだんだん年月を経ると、全体が一体になる。この状況とはまた違う風景が出来上がる。ですから部分補修で解決する。粋なはからいです。これが全部新しいものにするのか、それとも板をはるのか、全く違うものとコラボレーションさせるのか、という辺りの読みが京都の家づくりの一番面白いところでしょうか。
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門があって、屋根があって、屋根の高いところから人が入らないように矢来をつけて、越塀までつけて際に植栽までする。一杯凝らしてガードしているつもりなんですが、実は簡単に入れる。これは威圧なんです。シグナルですね。色々の遺伝子を使いに使って、直接防御ではなくて、間接的防御で「怖いよ」というイメージをつくっています。
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この家こそ何にもデザインがありません。格子と虫籠窓と庇に忍返しがあるだけ。ではこの家、格好悪いかと言ったら、全然そんなことはない。こんな家、設計できませんよ。「勇気」がない。何かデザインをしないと、設計料を貰われへんのと違うかと思いませんか。京の遺伝子を集めただけで何も設計してない。これが京都なんです。
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一転して、あれもあるわ、これもあるわの世界です。ここまでやると設計料もらえるでしょうね。だけどこれも一つの京都です。蔵と屋敷と店とが一緒になったような事例です。これは三条通です。
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蔵と蔵の隙間に玄関があるんです。これ、立面図って、何もないんです。色を決めるにしても、「何色にしますか?色彩ナンバー何番に?」と聞かれても、何もない。漆喰は漆喰、瓦は瓦、木は木、それで終わりです。これもたぶん設計料もらえないでしょうね。でも実にいい家です。まさに京都です。
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これは上賀茂の社家の通りです。全体の高さが押さえられていて、目線が低くて、きれいな町並みです。 軒高、棟の高さ、築地塀に掘割の水、そこに架かる橋、いずれも完璧です。屋敷内から見える木々が町内を一層引き立てています。
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京都のまちは、オモテに木は生えてないんです。前庭があって家があるなんて、どこにもないんです。敷地境界線には必ず塀があります。家の中に庭があって、庭の木が道路に張り出しています。それが景色なんです。京都の家の一番の特徴は、庭の木がオモテににゅっと出ている。まるで見越しの松です。建築と塀と庭木のコントラスト、みごとです。京の究極かもしれません。
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これも同じです。外の方は犬矢来が並んでいて、少しずつ屋根の高さを変えて、木がにゅっと出ていて、京都の家とはこんなもんじゃい、と言っているようです。その時の一つのデザインの要素として、出窓であるとか、格子であるとかが出てくる。これが一つの風景です。家は奥にありますから、何も見えません。京都の町並みのあり方の一級品です。
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