ここからは僕の仕事を見ていただきます。僕のチームは年に3軒くらいしか設計できません。だから作品数が少ない事務所なんですけれど、1軒ごとに精根尽き果てるぐらい一生懸命作っています。 京の遺伝子を仕事に取り込む
この写真は、京都の化野にある陶芸家の家です。依頼されたとき、家を建ててくれじゃなくて「京都を作ってくれ」と言われました。その方のイメージする京都、僕が思っている京都のことをわあわあ議論しながら作った家です。
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なぜそういう風にするかと言うと、京都の町中では自分の家の格子越しに外を見ると、道を行き交う人が見えますよね。その感覚が僕にとっては昔からすごく面白かった。格子越しだと人の動きがコマ落としのように見えますし、のれん越しだと見えたり見えなかったり。その面白さが僕の子どもの頃の原体験なのかもしれません。だから、家のデザインも中のイメージをそのまま外へ出していくようにしたかった。
この家はまさにそのイメージで作ったもので、家の中のしつらえをそのまま外へ出していくと写真のようなデザインになりました。意図としてそうしようとしたわけではなく、内側の視点から考えていくと自然とこういう風になってしまうんです。
残念ながら今はもうない家です。ぼくが吉田五十八賞をもらった時の作品の一つなんですが、競馬の武豊が買い取ってその後ぶっ壊しました。 もともと依頼したのは高下さんという方で、ここから法勝寺跡の礎石が出てきたこともあって、どんな建物がいいだろうと相談したんですよ。そうしたら高下さんは「京都のスカッとした感じがいい」とおっしゃられて、スカッとした感じというのも難しい注文だなあと思いましたが、その一言から出来上がった家なんです。
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家の切口は、家の中の通り庭です。京都は家の中に路地があって、その路地奥に玄関があるという建て方をすることが多いのですが、ここもそれを踏襲してみました。一つ前の写真の家の右にある階段を上がって玄関を開けるとこういう通り庭がずどんとあって、その先に見えるのが上がりがまちです。 お施主さんは大阪から越してきた人でしたが、これを見て「わあ、いかにも京都だ」と感激してくれましたね。気に入ってくれてたんですが、中国で事業をすることになったと手放されてしまったんです。その後、これを買い取った武豊が壊してしまって真っ白けな家を建ててしまったのは残念なことですが、建築ってそういう運命なんでしょうね。
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これも吉田五十八賞の対象作品の家です。庇とすだれの家です。この時は煉瓦を焼いて、その煉瓦の色を利休鼠の色にしました。その煉瓦を庇下に使いました。あとはコンクリートの打ち放しで、よけいなことは何もしない。先ほど言ったように、京都の家は何も付けないのがいいのですね。ただガラス窓を付けて、その奥に京都らしく障子が入っています。 この家を見て、清家さんが大変面白がって、私に賞をくれた訳です。
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これが私の京都の作品では、デビュー作になります。西洞院にあるポケット庭の家です。よく目立つ建物だったらしく、建てた当時は週刊誌がしょっちゅうグラビアで紹介していました。 こういうポケット庭を持つ建物が四条通にたくさんあれば面白いだろうと思って作った建物ですが、出来上がった後、とても効率の悪い建物だと分かりました。建築容積がむちゃくちゃ余ってしまったんですが、こんな建物はもう誰も建てさせてくれないでしょう。でも、京都市の第1回建築景観賞を受賞しました。
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鎌倉にあじさいで有名な明月院というお寺がありますが、そこから「北条時頼の庵をイメージしたものを作って欲しい」という依頼を受けました。僕も北条時頼について一生懸命勉強しましたが、そのときどうしても「蔀戸(しとみど)」を作りたくなりました。ご住職に相談したら、それは面白そうだと快諾していただきました。北条時頼はきっとこういうところで過ごしていたのだろうとイメージして作った作品です。 この蔀戸の腰壁は無双窓にしました。無双窓も京都の特徴です。蔀戸を閉じておいても無双窓を開けておくと風が入るんです。京都の知恵を活かしたと言えるでしょう。
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庵の内部で、蔀戸を開けたところです。時間さえくれれば僕らはいつまでも凝りにこったことをしてしまうのですが、鎌倉ではなくて京都に北条時頼を住まわせよう思って、実に簡素に作りました。ここも壁とか天井に京都の遺伝子が根付いてこれた空間だと思っています。
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ここはわが家兼事務所です。去年までの京都の事務所は祇園祭の船鉾の会所として使われていました。ですから祇園祭の7月になると、我われは鉾町の人々に場所を譲って1ヶ月ほど事務所を閉めなければなりませんでした。そこで、仕事をする場所を作ろうと滋賀県の湖西、マキノの田んぼの真ん中に作ったのがこの家です。もっとも、今はまた宿替えしましたので、ここは今は事務所の人たちと飲み食いに使う別荘のような所になっています。 見ていただきたいのは、天井の組み手です。京都の町家の通り庭の組み手をもう少し簡単に建築的にやってみようと、こういう構造にしてみました。ただ今となっては、京都の組み手の中に火打ち梁はないだろうと思いまして、とりはずしたいのですが、もし潰れたらどうしようとその勇気がないのですね。
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嵯峨野の家です。簾、門、塀のシンプルな要素でひとつの景観を作っている例です。京都はこうでないとアカンという思いで作った家です。今では塀越しの木もだいぶ大きくなりました。
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神戸の震災で立派なお屋敷がつぶれてしまい、その跡に家を作って欲しいと依頼されて作った家です。実はこういう形態の家は神戸にはないのですが、そこの奥さんが面白い人で「やっぱり家は京都でないとあかんねん。だから京都らしい家を」と言われまして、僕は「それなら家は平家でしょう。京都らしい家はぜんぶ平家ですから、是非平家で作らせて欲しい」と言って作った家です。ですから、この敷地の建物は全部平家です。
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スペインで博覧会があったとき、僕は信長の安土桃山城の天守閣を再建して展示したことがあるのですが、文献によると障子にはオランダ風の組子があったらしいのです。そのエピソードが面白くてやってみたいと思って、障子の格子をアールデコ風に組んでみました。 障子の左上の方にちょっとはみ出たような箇所がありますが、ここは足軽がかぶっていた笠をイメージして作りました。群馬県のどこかの博物館で足軽笠の断面を見せているところがありますが、それを見たときとても印象的だったのでそれを意識して作ったんです。そうしましたら、ここが欄間のような欄間でないような面白いものになりました。近頃はこれに凝っています。
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京都の街並みの屋根の重なりをイメージして、ホテルの屋根を作ってみました。本当は瓦で作れたらよかったのですが、兵庫県たつの市の御津岬という海岸に建っていますので、台風が多い地域で瓦ではどうも都合が悪い。それでガルバリウム鋼板を使いました。ガルバリウム鋼板がまだ商品化されていない時の第1作目です。建物をデザインするというより、建物の重なりをデザインしたいという思いがありました。 京都の町並みを作りたかったものですから、平入りでずっとつなげています。もう建ててから20年ぐらい経つのですが。きれいな屋根が連続的に雁行しています。
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ただここでは、ちょっとイタズラをしました。ところどころこんなデザインもしていますが、京屋根の連続性があったればこそ、このイタズラ、うまく調和しました。吉田五十八特別賞の内の一軒です。
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これはつい最近の仕事で作った軽井沢の木造のウエディング施設です。軽井沢の景観条例(ここのは京都より厳しいかもしれません)に沿って町並みに合う物を作れという注文でした。 この時は、東大の檀さんがマスター建築家で、彼と話し合いながら設計をしていきました。建築家と建築家が話し合いながら、ひとつの建築を作っていくというやり方でした。いずれ京都もこの方法を取り入れるべきだと思います。ただ今の京都で建築家を選ぶのは難しいでしょうが。でもいずれは、建築を作るときにマスター建築家とやりとりする方法にしないといけないと思います。 さて、ここはモミの木を見せるデザインです。モミの木をすらっと素直に見せ、建築もすらっと縦に伸ばすというデザインです。中央に見える高木は神木です。ここに神が宿るという理屈を付けまして、神木と建築がコラボレーションするというコンセプトでした。
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外側はモミの群生林でしたので、内部は人工の木を使おうということになりました。見えているのは祭壇です。ここの構造材は集成材で、構造は元坪井研究室にいた中田捷夫さんです。彼が一生懸命頑張ってくれた仕事です。京の屋敷の坪庭、前庭、建物の内観風景をここでは採用しました。
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板張りにするとどうしてもベタッとしたイメージになりますが、それをどうしたら解決できるだろうかと考えて作った構造壁です。部材にひとつずつ「かましもの」を入れまして、ダボですき間を作りました。そのすき間から漏れた光が夜の景色を作るという考え方です。つまり京の下地窓の巨大版です。 ここを作るときは、それこそ檀さんとガンガン議論しましたね。
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校倉づくりをちょっとカーブさせたように壁を修めていくと、ものの厚みがとても和らいだ雰囲気になるのです。しかも、そこにもひとつひとつにスリットを入れてそこから光が漏れるようにしました。先ほどの構造壁の光とここの光の二重の光で全体をまとめて、建築としてはできるだけ抑える印象にしました。光とそこに生える木で空間をデザインするという内容で、やっていてとても面白い仕事でしたね。
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最初は京の一力さんの色を出したかったんですよ。そうしたら、さすがの檀さんも「いやそれは緑と合いません」と反対して、いろいろ話し合った結果少しトーンを落とした色にしてみました。これは綺麗にできて、道を通る人が時々「なんか京都に来たみたい」なんて言ってくれます。軽井沢に京都ができたようなものです。この色を新しく京都でやると怒られるので、よそでやってみたらうまいこといったという事例です。 当時の田中知事もわざわざやってきて、表彰状もくれたんですよ。景観賞というのじゃなくて感謝状で、「町のなんとかのなんとかに非常に貢献されて云々」という内容でした。
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これは橋のデザインを意識して作りました。柱がない、ガラスだけで持たせた構造です。写真の右に見えるのは桜並木で500メートルほど続く通りになっています。春になると、ガラスに桜が映り込んで、まるで桜のトンネルを歩いているような風情になります。 京都の町の特徴として、先ほどの舞妓や陶器市の例のように町と人がお互いに映り合って景観になるということがあるのですが、ここではそれを表現してみました。京都であれば、堀川通りでやってみたいのですが。川・柳・建築を通したものを作らせてくれたらいいなあと思うところです。京都の町が時代性を将来へつなぐということであれば、京都は景色をどう建築物にとらえていくかを考えるのが重要なポイントだと思います。
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これは新潟にある建物です。香山さんという建築家が作った建物なんですが、所有者が破産してしまってその建物を何とかしてくれという依頼でした。 いろいろと話し合った結果、全部の建物を渡り廊下でつなごうという案になって、建物と建物をずっと渡り廊下でつなぎました。僕がここを作るときにイメージしたのは、京都の家並みの甍の波です。この甍の波が、来た人にバッと目に入るようにしました。 使ったのはガルバリウム鋼板です。この当時の新潟知事が来てとても感激してしてくれて、「ああ、やっぱり京都の町を感じるね」と言ってました。新しい素材でも考え方ややり方によっては、古都を感じるのです。
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セビリアの万博の時に出品した作品ですが、僕の中では「超京都」の作品です。安藤忠雄さんが外のデザインを担当し、中を僕がやりました。和紙で折り紙の手まりを作るようにしたかったんです。和紙で作った手まりでインテリアもエクステリアもやったところ、見に来た外人さんには大いに受けました。 この時は、来たお客さん1人1人に折紙を渡して鶴を折ってもらって、それをこの手まりの中にどんどんぶら下げていくのです。つまり折り紙の中に折り紙の展示で、来た人1人1人が空間を作っていくという内容です。空間が完成するのは期間の終わり頃ということになりますが、なかなかうまいこといったと思いますね。
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これはちょんまげと貝殻をコラボレーションさせて、建物としてぶしゅと差し込んでみたらどうなるかと設計してみました。もともとJRがリゾートを作りたいと言ってきた依頼なんですが、残念ながらバブル崩壊で日の目を見ることなく終わりました。3つの建物で、中は水族館という予定だったのですが、実現しなかった計画です。 こうしてみると、実現しなかった計画の方がいいものがあると思いますね。実現したものは、たいていもうひとつなんです。西京極に檀さんが体育館を作りましたが、あれもできてみたら京都とは無縁のデザインになってしまった。やはり京都にあるなら京都を感じる施設にすることが大事だろうと思うので、この案を檀さんに見せましたら「もっと早く見せて欲しかったなあ」と言われましたが。
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木組みの建物ですが、こういう建物を僕はもっと京都にいっぱい作りたいと思っています。イメージは知恩院の大きな梁がどんと出ている印象です。その前面にガラスをばしっと入れて、上が住まい、下は人が集えるスペースです。住人は大学の先生で、ゼミができるスペースが欲しいとのことで、1階を広い土間にしてみました。京都の家に昔からあるタタキそのものです。土壁と楢の木で作りました。阪神淡路の震災後では一番最初の仕事なんでさすが耐震性に気をつけて設計した家です。 かなりスケルトンな家ですが、僕はこういう家のシリーズを京都の町で展開したいと思っています。今、実施設計を一生懸命やっている最中です。
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その家で戸を開け放したところです。家の前の通りにイスを並べてゼミをしたり、時にはバーベキューを楽しんだりしているという話です。天気のいい日は外をメイン会場にしているということです。 この仕事はやっているときから、京都の家の木組みがテーマでした。僕の家とこの家は、京の通り庭の吹き抜けのイメージを入れ込んでいくデザインにしました。
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こういう仕事をしていて思うのは、やはり京都が持つイメージはどういう町に持っていっても通じる普遍的な価値があるんですね。最近は僕の仕事は京都より、地方の方が多くなっているのですが、注文では例外なく「京都を作って欲しい」と言われます。数寄屋建築や京町家を作って欲しいではなく、「京都を作って欲しい」という依頼がとても多い。それぐらい京都が持つイメージはとてもレベルが高いんです。
ですから、1人1人のデザイナーが京都をよく理解して、「私の京都を作る」ということを目標にしていただけたらなと思います。決して、京都市が推奨する京都ではなく、「私の京都」ですよ。家は百軒あれば、百の顔があってもいいと僕は思うんです。それぞれ違うのに、なぜか京都を感じる、京都の町並みを感じる、そういうものを僕はこれからも作っていけるよう精進致しますし、皆さんもそれぞれの京都を目指していただきたい。
ヒントになる事例が町のあちこちにあるのが、京都なんです。どこを歩いても、何かを見つけることができるんです。「私はこれだ!」と思う物をピックアップして、「私の京都」を作って頂けたらいいのではないかと思います。今まではいざ知らず、これからは環境の時代ですからそういう「京都」は必ず日の目を見るはずです。
京都から発信したら、必ず全国に波及します。ですから京都で暮らす我われ専門家は京都のことをよく知り、知った上で自分の作品を一つ出す。そんな風に1人1人の京都の家がずらっと並べば、それはそのまま完璧な京都の町並みになるでしょう。JUDIの皆さんがそんな風に考えてくだされば、京都の町は昔よりももっといい町になるのではと考えます。
では、これで私の話を終わります。今日はどうもありがとうございました。