ですから水の都だと言われたのですが、それは江戸時代以降に言われたのではなくて、明冶40年くらいにベネチアとの比較から、大阪は水の都だという評価が定まったというのが定説です。江戸時代については評価が定まってから、遡って、かつても水の都であったと言われるようになったわけです。
八軒家の船着き場の再生にあたっても浜という呼び方が大事だと主張しました。8軒の旅館があったから八軒家浜と言われたそうです。近年の都市再生においても「八軒家浜」という命名の意義を、私は重ねて申し上げてきました。
北浜界隈には北浜ビルや灘万ホテルなども建設され、モダンなビルディングの並ぶ風景を指して、水の都だというような評価が出てまいりました。
それから昨年夏にプロポーザルコンペをいたしましたが、堂島川のリーガロイヤルホテル前の河川空間で、飲食店あるいは物販店の出店が予定されています。京阪の新線の復旧工事の時に堤防の位置を陸側に10mほど下げてもらいました。その河川空間で、デザインの優れた飲食店あるいは物販店が営業を行います。前にちょうど船着き場がありますので、有益に利活用して欲しいと要望をしています。
水都大阪、再生への方途
●水都再生のソフトプログラム
まず水都再生のソフトプログラムについて、その考え方と具体的な実践について、もう少し詳しくご紹介しましょう。かつて大阪は縦横に運河が走る街
ご存じのように、大阪の街のなかには縦横に運河が走っておりました。戦前、大正の都市計画の段階でも、都市計画事業のなかに新たな運河を十数本掘るということが示されていました。川沿いすべてが港湾
実際に天下の台所と言われた大阪は、水路に面してさまざまな集積がありました。堂島辺りの米商屋ですとか、船場の東横堀川では、船場の商家の倉がずらっと並んでいて、そこで荷の上げ下ろしをしていました。取引だけは船場の町屋でやっていましたが、川沿いすべてが港湾であるという形で都市が発展していました。掘割ごとに特徴のある景観
道頓堀周辺には芝居小屋、日本最大のエンターテイメントの集積があり、長堀通り沿いには銅の精練所とか、後は材木町の集積、石屋の集積など、産業的な集積があり、各堀割ごとに特徴のある景観が見られたというのが、かつての大阪です。川沿いの「浜」の存在
私がそのなかでずっと強調しているのが、かつての大阪では川に沿ってどこでも船が着くことができたことです。その空間のあり方を「浜」と大阪では言いました。江戸では「河岸」とか「築地」と言っていたそうですが、大阪では「浜」と呼びます。たとえば船場の北にあるから「北浜」など、現在の地名にも残っています。東洋のベネチアと呼ばれた北浜
近代になると川沿いにビルとか、さまざまな産業集積ができてきました。そして大正の終わりくらいには、北浜の風景はいろんな人から東洋のベネチアだと評価されました。ちょうどアメリカで摩天楼が出来はじめる時期に呼応するのですが、高層のビルディング街が立ち並びはじめ、またこの辺りの川沿いに並ぶ洋館や町屋は、川から見ると3層に見えますが、一番下は地下1階のレベルです。陸側から見ると2建てで地下室があり、地下室から直接船で川に出るというような街並みが並んでいました。ヨーロッパの都市的なデザインを意識した中之島公園整備
中之島の公園整備についてはかなりパリの景観を意識したようです。プロムナードを全体に川沿いに回すスタイルなどは、ヨーロッパの都市的なデザインを意識したとも言えますし、先ほど申し上げた江戸時代以来の大阪の川沿いのデザイン、一段川に近いところに浜という空間を設けるという考え方が継承されたということもできると思います。こういう風景を水都だと先人は呼んだわけです。戦後の都心の河川空間デザイン
当然ですが治水の問題から、高潮等の対策として、戦後、水辺に高い堤防を造らざるをえなかった。河川敷の公園は草が繁りすぎて、ホームレスが住みやすい空間が至るところに出来てきたというのが戦後の都心の河川空間のあり方だったと思います。再評価すべき「水の回廊」=「水都大阪の再生」
近年、再評価すべきものが「水の回廊」と呼んでいる都心部の水路です。大阪の街の特色として河川面積が市域の1割を占めています。従来の堺筋や御堂筋を中心とした南北軸に対して、東西軸を想定した場合、結節点に水の回廊があるという議論になります。これを魅力的な場所にしていくことが大事だという議論が「水都大阪の再生」という名前でコンセンサスを得てきたわけです。
●河川空間の利用〜規制緩和で何ができるのか
昨年末、八軒家浜の船着き場が完成、道頓堀のリバーウォークにも人道橋(じんどうきょう)が竣成しました。先ほど申し上げた河川法準則に係る規制緩和で何ができるのかというと、大阪府の河川室が管轄しております中之島周辺、中央卸売市場の辺りから天満橋・八軒家までの河川空間では、社会実験として民間の利活用が可能になりました。高潮対策を下流で完成させたことが背景にあります。北浜テラス大阪川床
たとえば、北浜の辺りで「北浜テラス 大阪川床」という事業が昨年、暫定的に実施されました。それぞれのビルオーナーが堤防上まで張り出してテラス席をつくりました。今年は水都大阪2009の枠組みのなかで、より本格的な実施を想定しています。水上マーケット
もう一つ、今年の水都大阪2009で、何とか社会実験として始めようと考えているのが、水上マーケットです。船着き場のところに店が並び、それに対して物を売買するような商売をする船が行き交う、朝市が船着き場で可能になるということが、なかなか日本の河川ではできなかったのですが、これを緩和していこうとしています。歴史的建造物のライトアップ
これに加えて歴史的建造物のライトアップが重要です。横浜市では「ライトアップ横浜」の一連の事業で補助がつくのですが、大阪ではなかなかそういう施策がない。魅力ある夜景の創出は、アーバンデザインの根幹であると思いますが、大阪でやろうとすると環境に対して配慮がないとか、地球環境やCO2の問題のなかでそんなことをしていていいのかとか、夜は早く寝なさいとか仰る方がいますが、いかがでしょうか。先に申し上げたように、「光のまちづくり」には市に加えて、府も参画しましたので、ようやく体制が整いました。今後、将来ビジョンづくりを検討する場を持ちたいと私は考えています。
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