初めまして、関西大学の木岡です。今日はよろしくお願い致します。
実はこういう研究会や学会では一人や二人知人がいるものなのですが、今日は会場を見渡しましても鳴海先生以外に知り合いがいないという、まことに緊張する構図の中で話そうとしているところです。
鳴海先生と知り合ったプロジェクトについてですが、今の大学が生き残りをかけてやっているプロジェクトだと言えば、だいたいお分かりいただけるのではと思います。文理相乗りで、日本はおろか西洋やアジアでもやったことがないような新しい景観の共同研究をやろうということになりました。たまたま、そのプロジェクトに私にも声がかかり、鳴海先生と知り合うことになったのです。
かねてから尊敬しております鳴海先生から「JUDIセミナーで話をするように」と仰せつかり、場違いだとは思いますが、この貴重な時間をお借りして、お話しさせて頂きます。これを機会に、私が今まで知り合うことのなかった世界の皆様方とコミュニケートできれば、これほど嬉しいことはないと思っております。
私自身の出自は哲学、倫理学であり、工学・技術系とは水と油のような正反対の分野で研究してきました。しかし、この機会に私は、哲学なんてあっさりやめちゃって、もうこっちの世界でやっていきたいということも思ったりしています。どうぞ、そういう人間だということを頭の片隅に置いて、私の話にお付き合いくださるようにお願いいたします。
近頃は、私の同僚である哲学、倫理学、宗教学の先生方は、文系人間とは言っても、堂々とパワーポイントなるものを使って華麗なプレゼンテーションをやられるわけですが、私はそれはいささか邪道だろうという気もするんです。哲学はやはり、言葉を相手に届かせることに意味があるわけですから、今日もほとんどを旧式の講義スタイルで進めたいと思います。では、今日はよろしくお付き合いください。
一つは、オギュスタン・ベルクが自身の風土論(mēsologie、メゾロジー)を、日本との関わりを通じていかに構想し、展開してきたか。要するに、ベルクはおのれの風土論を日本とどう関わらせてきたかということです。
二つ目は、ベルクのメゾロジーを、われわれ日本人がいかに受け止め、自己の学問として展開していくべきかということです。
おそらく、鳴海先生は、この二つ目の問題を考えるためにこのタイトルをおつけになったのでしょう。私自身にとってもこの問題がもっとも重要であると思っております。
しかし、それを考える上では、ベルクが日本との関わりの中で彼のメゾロジーをどう展開したかを知ることが、欠かせない作業になります。そこで、今日は第一の意味と第二の意味を結びつける形で話を進めていこうと思います。この二つの意味について、最後にお答えすることができればと思っております。
この二つの意味を結びつける上で必要な媒介、私は鏡と思っておりますが、そういう存在の一人の日本人を登場させたいと考えております。それが和辻哲郎です。ベルクの生き方や風土論を語る上で、和辻の存在、とりわけ彼の著作である『風土』は欠かせない存在になっているからです。つまり、和辻の存在を抜きにしてメゾロジーの存在は考えられないのです。
では、和辻哲郎とはどういう人間であったか。どういう生き方をしたのか。略歴を紹介しますと、1889年(明治22年)に兵庫県姫路市で生まれました。ベルクが1942年生まれですから、約半世紀の差があるわけです。和辻は生涯ただ一度しか洋行していないのですが、そのただ一度の海外体験をもとにして有名な『風土』を著したのです。
和辻と西洋の関わりを考えてみると、この関係はベルクと日本の関係にくっきりと対比できます。私が「和辻は鏡である」と申しましたのは、異なる文化的主体の生き方、あるいは考え方を互いに照らし合わせるという手続きを「鏡」という言葉で喩えているからです。
ところで、メゾロジーという言葉は、ベルクの造語ではなく、もともとフランス語にある言葉です。昔は生態学に近い意味合いの言葉として使われたことがあるそうです。死語になっていた言葉を、もう一度ベルクが復活させました。日本語の風土論、風土学に相当するフランス語に、メゾロジーという言葉を使ったということを一言申し添えておきます。
さて、ここからが本題です。
はじめに
●自己紹介
木岡:
●今日のタイトルについて
本日のタイトルである「ベルク風土論の日本的展開」は、私が考えたタイトルではございません。実は鳴海先生が決めたものですが、「これでけっこうです」と答えた後、このタイトルには大きな意味があると考えました。二通り意味があると思っております。
対比
一方に和辻がいて、一方にベルクがいる。和辻は西洋を体験して、「風土」を考えました。他方、ベルクは日本を経験することで、メゾロジーを考えついた。お互いがお互いを映す鏡だと考えれば、風土とは何か、あるいは風土学とはいかにあるべきか、という問題設定に答える道が開けてくるように思います。また、そういう攻め方をしなければ、風土学は成り立ちえないとも考えるのです。
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