まちづくりとの関わり |
次に市民としてはどういう関わり方をしたかをざっと言うと、まず滋賀まちづくり研究所でいろんな勉強をしてきました。それから市民提案イベントという形で、2000年前後から関わってきました。また、1998年頃から「大津の町家を考える会」に関わり、2001年6月にこの大津百町館がオープンしています。「市民活動センター」は2001年に大津市が設立した市民参加推進研究会に参加し、その中で議論してきたのですが、2006年4月に「市民活動センター」としてオープンし、それ以来私が理事長をしているNPO法人「おおつ市民協働ネット」が指定管理者として管理しています。
私と大津のまちづくりとの関わりはこういう流れになっています。
つまり、現地とは関わりなく机上で「こうしたらいい」と提案するだけで、私はそういった仕事に満足感がなくてとてもストレスがたまっていたんです。報告書の多くは市役所の片隅でほこりをかぶるだけということになりますから、もうちょっと現場と関わりのある仕事をしたいとずっと思っていました。そういう場が欲しいと思って参加したのが、この滋賀まちづくり研究所でした。新聞でこういう組織が発足するということを知って参加致しました。
ですから仕事としてではなくて、一市民としてフリーの立場でまちづくりに関わるひとつのきっかけになった勉強会でした。内容は、会員持ち回りによる月例会やまちづくり先進地の視察などです。私はここで「まち研通信」(写真)という会報の編集・発行を担当して50号まで出しました。
これも市民が集まって手づくりでやった提案事業でして、今はそういった提案をして市から補助金が出るという制度がかなりありますが、この当時はまだまだ珍しいものだったと思います。ちなみにこの百周年イベントでは市民を集めて野外劇もやったのですが、それをきっかけに私は役者の道に入ったこともあって、私にとっては記念すべき事業でした。
1999年には大津商工会議所が「商店街等活性化先進事業」を主催したのですが、その時にも市民提案として「空き店舗を使って何かのイベントをしよう」と働きかけました。いくつかのグループが参加したのですが、我われのグループは「まちなか・まちづくりサロン」という取り組みをいたしました。
市民が集まって、議論する場を開設したのです。この時使ったお店は、そのすぐ後にお総菜屋さんとなってオープンしました。我われの活動がきっかけになったかどうかは分かりませんが、我われにとっては嬉しい出来事でした。
2001年には滋賀県が「湖国21世紀記念事業 水といのちの活動」の募集をいたしました。この時我われは「大津の町家を考える会」で応募致しまして、「まちづくり大津百町館の創生と交流活動の実践~町家・まちなか・文化再生」の提案で百万円いただきました。この時点で百町館の建物は10年間空き家になっていたのですが、このお金で屋根の修復、トイレの改修、電気の配線のやり替えをすることができました。トイレなど水回りの改修には助成金が出にくいようですが、我われとしてはラッキーだったと思います。再生後は市民交流の場として開放し、セミナーや交流会、イベントなどの場所として使われています。
このように今まで3つの市民提案イベントに取り組んできましたが、特に「大津の町家を考える会」においては百町館のオープンという大きな前進をすることが出来ました。
では、「町家を考える会」の具体的な取り組みについてお話しします。