まず最初に、今まで私が都市空間をどんな風に考えてきたのか、そして今どう思っているのかを最近の景観法の運用も含めてお話をさせていただきます。
「景観とは何か」については、いろんな人が、いろんなことを言っておられます。
「環境のながめ」「見える環境」が景観であるならば、視覚的にとらえられる環境のまとまりがあるのではないか。あるいは、環境のまとまり、つまり景観の対象となるものが、どういう空間としてとらえられるのか、そういったひとまとまりの環境や空間が景観を考えるときの計画の単位になるのだろうかという疑問がずっとありました。「景観」と言うとき、一体何を対象としてデザインしていくのかということが、ずっと気になっておりました。
景観施策は、都市空間の構成要素である建築、道、樹木などを総合的な群として評価する視点は持っています。しかし、実際のところは構成要素である建築物、工作物の要素単位の基準やガイドラインを作っているにすぎません。それらを総合化する、あるいはそれらの関係性を見るという所には行き着かなくて、現行法制度の枠組みでは、関係性を表現する仕組みがないのが現状です。
ですから、結局は景観の保全、景観創出の場では、景観は個別の要素の集合体として捉えられてきたと思います。景観施策は、全体を分解して要素ごとの基準を作ってきたのです。
しかし、そうした個別要素を環境のまとまりや都市空間の形につないでいかないことには、ある地域の特徴的な風景は維持できないのではないでしょうか。つまり、要素間の関係性や集合体の特性といったものが大事で、そのためには一体何をしていけばいいのかをずっと気にしていたというわけです。
景観とは何か
景観は人間をとりまく環境のながめにほかならない。
景観は、単に形態の操作というだけではなくて、ある環境をどう認識しているかが現れてきているものではないかと思います。確かに、鳴海先生がおっしゃるように景観は視覚的に捉えられるものではあるのですが、見えるものだけでできてくるものでもなく、それを支えている歴史や文化などが景観の基本を作ってきているのだと私は思っています。
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