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図は、人が道のまん中に立つとき、道の空間をどう見ているのかを考えたものです。建物だけを見るのではなく、建物と建物の関係、建物と道、道と空、空と建物という関係をどのように捉えるかを考えたものです。 これまで、道をどう造るかについて、建物をどう造るかについて、たくさん議論されています。しかし、道や建物など都市空間を構成する個々要素の関係性や、全体像をどう作っていくかは、一体的な開発を除いて、普通の街ではコントロールするのが難しい。これはみなさんも感じておられることだと思います。少なくとも、何を単位に計画するか、どういったところをひとつのまとまりとしてとらえてデザインするのかが、景観にとっては大事なことなのだということを考えていました。
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図は随分前に行った調査ですが、建築の学生さんにOBP、船場、旧居留地を歩いてもらい、ひとまとまりの風景になっているところをあげてもらったものです。 OBPでは、みんな同じ風景をあげます。広場の所、風景が見通せる公園、まちの中心となる道だとか、同じ場所がひとまとまりの風景をつくっているというタイプの街でした。 船場では、御堂筋という縦軸がひとつの風景を作っているということがわかります。御堂筋や三休橋筋の通りの風景が主にあげられ、後はポイント的な場所になりました。 旧居留地は、エリア全体が同じように見えると多くの学生が言っていました。ひとまとまりの風景といった場合、建物と空地が構成する場所と通りをあげていることが多いのですが、ここではエリア全体という、見える対象というより、経験された場所の風景イメージがつながって、地区がひとまとまりの景観と認識されていました。
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結局、思ったことは、今の大阪や京都、神戸という都市は「見えない都市」になっているということです。それらのまちの風景といっても、その中の部分的な街の形であったり道の形であったりします。あるいは町を構成している様々な場所の中に見えてくる風景、生活の風景を景観として考えていく対象にしているのだと思います。それをどう設定し、どういう風に作っていくかを考えようと思いました。
つまり、景観というのは町の空間の形と、形がどう表現されているか(表現力)で決定されるのではないかと思います。空間の形とはボリュームとか配置、建物がどう建ち並らんでいるかなど集合体としての都市空間の形のことです。表現力とは、それぞれの材料や様式、意匠、色などの特質によって現れてくる表現のことです。この空間の形と表現力が、景観を捉えるときの方法論ではないかと思ったわけです。
では、そのとき空間の形をどういう風に表現すればいいかという問題になります。空間の形とは、都市のボリュームやスケールになりますので、土地の条件に対してひとつひとつの建物をどう建てていくか、そしてそれらがどうつながっていくかで現れてきます。それを構成している要素の相互の関係性で表現できないかと考えました。
どう地形と呼応するのか、スカイラインで現される建ち並びの関係性、どう配置するのかということによる地べたの空地の部分のつながり具合(地の部分をどう描くか)、ファサードラインのつながり方、全体としてのボリュームのフレームという視点で見ていってはどうだろうかと思いました。