景観まちづくりの今
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地図に見えるまち

 

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 市街地がいつ頃どういう手法で作られてきたかは、関西の場合、地図を見るとだいたい見えてくるのです。特に道の形に、顕著にあらわれます。例えば、図に見られる船場の綺麗なグリッドは、城下町の町割のままであることを教えてくれます。また大阪の区画整理は、すでにできていた市街地の道のかたちをかなり継承しています。例えば、西船場は川であったところが埋めたてられた所ですし、もともとあった横長の街区が半分に割られてできた市街地です。天満は縦長の街区を継承する形で今に至っています。歴史的な場所だけではなく、戦前に開発された市街地でもそうです。ですから、道の形を見ると、いつ頃それができたかがよくわかるんです。

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 図の左の地区は、田んぼだったところを耕地整理で街区をつくっているので、1街区が
大きい。その中に路地ができて街区内が高密に利用されます。街区内密集と呼ばれ、関西特有の事例だと思います。これは街区が大きいので背割りでは敷地が大きすぎて使えないので、路地が入っていって、このような形になりました。東京では理解されにくいタイプの市街地空間です。

 このように、大きな街区のなかに密集が発生するのは、耕地整理の時にできた市街地で多く見られます。

 図の真ん中の関目地区は区画整理です。土地利用もセットで考えられていて、南北の背割りで敷地割ができている街区です。右の巽地区は、回りの区画整理が進んでも、昔ながらの集落が街区の中に残った場合です。これは大阪に多く、歩いていると突然集落の道に入ることがあります。

 こんな風に、地図を見ると、街の成り立ちが見えてくるのです。基盤の形から歴史や市街地の成り立ちが見えてくるので、これを手がかりとして景観を考えるときの計画単位を探すことは1つの方法でしょう。何を対象にその地域らしい風景の手がかりを探るのか、どういったことをまちのまとまりとして見ていくのか、その手がかりとなるのが道の形であったり、市街地の成り立ちであったりすると思います。

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 神戸の居留地の場合を見てください。明治に居留地としてできた市街地の街区と地番が今でも同じ形で残っています。でも建物の形は居留地の時代とまったく異なったものとなっています。上の写真手前は、明治期の商館の様式ですが、それが時代を経て2代目になると下の写真の形(昭和初期)になり、3代目の現在は上の写真の商館の背後のビルの形になります。

 街区の形は変わらなくても、建物の変化で街の風景は変わっていくのです。船場も街区の構成は4百年前から変わっていませんが、そこに建つものは間口の狭い敷地に合わせたビルもあれば、敷地がまとまって大型化した建物もあり、様々です。敷地の上が変わっていくことによって風景は変わってゆきます。だから、対象とする街のまとまりは、道や歴史が手がかりになるとしても、またそれが変わらなくても、風景としては動いていることを頭において考えていくことが必要です。

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